11 襲撃

 陸玄の年齢は十三歳。

 たぶん火刃も同じくらいだろう。

 普通に考えればまだまだ二人とも子供である。

 ケンカの原因はプライドの高い火刃が陸玄に突っかかったせいだが、冷静に見えて陸玄もしっかりとそのケンカを買っている。


 ところが、ケンカの中身は十三歳の少年同士のものではない。


「せいっ!」

「破っ! 破っ!」


 互いに凄まじいスピードで拳を打ち込み合う二人の少年。

 間合いをとり、攻撃の瞬間に一気に懐に飛び込む。

 傍目で見る紅葉は目で追うのもやっとだった。


 陸玄の身体能力の高さはよく知っている。

 修行中に死角から飛んでくる矢を的確にかわすほどのセンスもある。

 秋山には武器を持たない時を想定した体術の心得もあるが、これだけ戦えるのはやはり陸玄自身の才能だろう。


 火刃も言うだけのことはある。

 動きでは決して後れをとっておらず、むしろ体さばきにおいては陸玄を上回る。

 突きからの流れるような蹴撃はまるで舞踏のような滑らかさだ。

 少なくとも紅葉なら最初の一撃で沈んでいる。


 二人の戦いは見ていて感動すら覚えるほど美しい演舞であった。

 しかし……


「痛いな、このやろうっ!」

「るせえ! うらぁっ!」


 一分ほど経った頃から、どうも二人の様子が変わってくる。

 陸玄は次第に攻撃を避けきれずに拳を食らうことが多くなった。

 火刃の動きも優雅とはほど遠いメチャクチャなものに変わっていく。

 結果として陸玄の反撃もよく当たる。


 早い話が単なる殴り合いになっていた。

 どちらも防御を捨て、乱暴な攻撃をぶつけ合うだけ。

 動きのレベルはともかく子どものケンカそのものになってきた。


 そして十分ほど殴り合った頃、二人の拳が同時に互いの顔面にキレイに入った。

 一秒の間を置いて陸玄と火刃は同時に膝から崩れ落ちる。


「あ、兄上」


 紅葉は慌てて兄の元に駆け寄る。

 陸玄は鼻血を流しながら目を見開いて天井を見ていた。

 そしておもむろに笑い出す。


「あはははっ、すごいやつがいたもんだなぁ!」

「ちっ……」


 火刃も気を失ってはいないようだ。

 同じように大の字に寝転んで小さく舌を鳴らす。


「引き分け、だね」

「どこがだ馬鹿野郎!」


 火刃の声に思わず紅葉は身構える。

 ビックリするほどの大声だ。


「どの口で引き分けとか言いやがる。俺の負けに決まってんだろうが。ちくしょう、とんでもねえなお前。剣術家を相手に拳で挑んで相討ちとか……ああもう、信じられねえ!」

「そりゃあ秋山の当代が簡単に負けるわけにはいかないからね」

「言ってろ。次はぶっとばしてやるからな、陸玄」

「返り討ちだよ、火刃」


 そして二人は声を上げて笑い合った。

 紅葉は今の状況がよく理解できていない。

 あれほど怒りをぶつけ合っていたのに、こんな風にすっきり和解できるものなのだろうか?


 無邪気に笑い声を上げる二人を見ていると、紅葉は同年代の少年に兄をとられてしまったような気がして面白くなかった。


 ふと、陸玄の笑い声が止まる。


「どうした?」


 火刃が問いかける。

 陸玄は答えずに立ち上がった。


 顔の血を袖で拭いドアの方へ駆け寄る。

 耳をすませて何かを聞き取る兄は先ほどまでと一変した真剣な表情だ。

 ちらりと荷物に目を向け、小走りに駆け寄って黒塗りの鞘に収められた自分の刀を掴む。


 その様子を見た火刃も黙ってドアに近づき目を閉じて音を聞いた。


「三人か」

「心当たりは?」

「ない」

「露骨な敵意があるね。もしやる気なら……」


 紅葉には何も感じられない。

 しかし兄が言うのなら間違いはないのだろう。

 少なくとも未熟者の自分では感知できない程度に気配を消せる手練れがいるのだ。


 しばしの沈黙の後、外側から思いっきりドアが蹴破られた。


 現れたのは緑と茶の迷彩服の人間。

 凄まじい筋肉と野生動物のような精悍な面構えの女である。


 しかも腰だめには小銃を構えている。

 ブシーズだ思った瞬間には女の首は胴から離れていた。

 陸玄が抜刀と同時に斬り落としたのである。


「ノンコォ!」


 別のブシーズ隊員が悲鳴に近い声を上げながら銃を乱射する。

 しかしドアの影に隠れた陸玄には一発たりとも当たらない。

 轟音と共にバラ撒かれる弾丸が壁に床に無数の穴を穿つ。


 陸玄は物陰から飛び出すと、その女の横腹に刀を突き刺し、躊躇わずに横薙ぎに切り払った。

 血飛沫が舞い、はらわたがぶちまけられる。


 残った女は呆然としながら死んだ仲間の姿を見ていた。


「な、なんだよこれ。ガキを捕まえるだけの簡単な任務じゃ――」

「オラァ!」


 マヌケに突っ立った女の顔に火刃の拳が叩き込まれた。

 全身のバネを使って振り抜いた強烈な一撃は、警戒を怠った女兵士を沈めるのに十分な威力を持っていた。


「う、が……っ」


 陸玄は倒された女兵士の肩を踏みつけ刀を振り上げる。


「まて、殺すな!」


 振り下ろした刀は火刃の制止の声を受けてギリギリの所で止まった。

 切っ先はすでに女兵士の喉元に触れている。


「情報を聞き出せ。なんでこの場所がわかったのか。狙いは秋山と宗のどっちなのか、仲間は他にもいるのか。どっちにしてもここは放棄するしかないが、少しでも情報が欲しい」

「それは一理あるね。ねえきみ、いったい何の目的でここに来たの?」


 女兵士は顔面から手を離すと、怒りと嘲りが混じったような表情で陸玄を見上げて言った。


「言葉を慎め。貴様たちゴミ溜めの住人に我らの崇高な使命を語る必要などない」

「わかった」


 会話を拒否された陸玄はためらいなく刀を引いた。

 女兵士の喉が切り裂かれて凄まじい量の血が噴出する。


 まさかいきなり殺されるとは思っていなかったのだろうか。

 女戦士は苦悶の表情を浮かべて声もなく悶える。

 やがて力を失って動かなくなった。


「おいっ!」

「どうせ何の情報も引き出せないよ。モタモタしているより少しでも早く逃げた方が良いって」


 陸玄は火刃の非難の声を軽く流した。

 火刃もその意見に納得したらしく、険しい顔で頷いた。


「ちっ、仕方ねえな。そうと決めたらすぐに移動するぞ」

「まずは父上たちと合流しよう。逃げるにしても戦うにしても戦力は……紅葉?」

「え、あ」


 冷静に今後のことを話しあう二人。

 それに対して、見ていただけの紅葉は完全に足がすくんでしまっていた。


 初めて見る人の死。

 しかもそれをやったのは尊敬する兄だ。


 もちろん武器を持って襲撃してきた敵を前にしては正しい行為だというのはわかっている。

 普段からそう教わっていたし、秋山の、裏世界の人間としては何も間違ったことはしていない。


 しかし、あんな風にまったく躊躇うことなく人を殺害できる陸玄はもう、自分のよく知っている兄ではなくなってしまったような気がした。


「怖いんだね。ごめん、もう少しがんばれるか?」

「うっ……」


 膝を屈め、同じ目線で優しく言って聞かせてくれる。

 その優しい表情と声はいつも通りの兄であった。


 兄は以前にもこんな緊迫した状況を経験したことがあるんだろうか?

 弱い自分が情けなくなって必死に勇気を奮い立たせようとする。


「だ、大丈夫です」


 それでも膝の震えは止められない。

 物言わぬ骸となった女兵士をちらりと見る。

 少し前まで生きて喋っていたのに、今はぴくりとも動かない。

 次は自分があんな風になってしまうかも知れないと思うと、怖くて仕方ない。


「怖いなら残ってろよ。こいつらの目的が何か知らないけど、無力な一般人のフリして震えてれば見逃してもらえるかも知れないぜ」

「くっ……」


 挑発的な火刃の言葉を受けた紅葉は自分の膝を強く叩いて己を奮い立たせた。


「怖くなんかない」


 大丈夫、歩ける。

 二人の足手まといにだけはなりたくない。

 精一杯の虚勢を張る紅葉に火刃は小馬鹿にするような笑みを浮かべ、陸玄は気遣わしげな目で見た。


「紅葉、無理なら本当に」

「大丈夫です兄上。行きましょう」

「むこうに裏口がある。そこから逃げるぞ」


 先導する火刃の後に兄弟が続く。

 女兵士たちの死骸を残し、三人の少年は隠れ家を脱出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る