7 RAC

 人混みをすり抜けるように駅の外に出る。


 東京が周囲から隔離されているため、前世紀と比べればかなり人の数は減った。

 とは言え現在でも新宿は一日にほぼ一〇〇万人近い人が利用する巨大ターミナル駅である。


 もちろん近所に住んでいる翠は何度も来たことがあるが、今は見慣れた駅前が不思議と知らない場所のように思えた。


 入ったこともないような裏路地を通り、地上と地下を行ったり来たり。

 百貨店を突っ切って駅の反対側へ。

 まるで何かに吸い寄せられるように勝手に足が動く。


 駅近辺をしばらくうろつく。

 三十分ほどあてもなく歩いた後、護国通りを渡る。

 その地域に足を踏み入れる直前これまでと違う嫌な感じがしてわずかに躊躇する。


 しかし結局は抗えない感覚に導かれる。

 翠とリシアは赤い目玉のような特徴的なアーチを潜った。


 瞬間、これまでの急かされるような感覚がすっぱりと消失する。

 翠は近くの建物の壁に寄り掛かってため息を吐いた。


「もういいの?」


 リシアがこちらを見上げながら尋ねる。

 翠は力なく首を縦に振った。


 意味もわからないまま、こうしてここまでやって来た。

 自分の身体が何者かに乗っ取られたような感覚。

 何とも言えない気持ち悪さでいっぱいだ。


「私も人間に戻るから、とりあえずそこの喫茶店に入りましょう」


 リシアが前足で指し示す方向に目線を向け、翠はもう一度力なく頷いた。




   ※


「で、なんなんだよコレは」


 仕切りで囲われた奥の席に座ってアイスティーを二つ注文する。

 なぜか引きつった顔のウェイターが見えなくなると、翠は褐色少女の姿になったリシアに尋ねた。


「あの公園からずっと嫌な感覚が続いて気がついたらこんな所まで来た。オレの頭がおかしくなったんじゃじゃなけりゃ、このリングのせいなんだろ?」


 翠は腕のリングを指先でぱしぱし叩く。

 やはり何かを知っているらしいリシアは神妙な表情で「ああ」と男みたいな返事をした。


「たぶんだけど、それはきっとクロスディスターの最大の特徴の『RAC』だよ」

「ラック……ってなんだ?」

「突然だけど問題だ。超人的な力を持った人間が、たった一人で大規模な敵組織と戦うことになった時に一番必要になる能力ってなんだと思う?」


 突然の質問に翠は少し考えた。

 そもそも意図がわからないので適当に答える。


「相手が組織だと、大勢を攻撃できる必殺技? いや、集団に囲まれても傷つかない防御能力か。それか持久力とかスタミナとか」

「どれも違う。いくら強くても相手が本気になれば人を殺すのなんて簡単だ。例えば狙撃、毒殺、人質作戦、無関係な人間への依頼暗殺……どんな屈強な戦士でも四六時中ずっと周りの警戒し続けるなんて不可能なんだよ」


 たとえ人間離れした力を持っていようと、そもそも戦いにならなければ無意味。

 不意打ちで攻撃されたらどんなすごい猛獣だって一方的に狩られるだけだ。


「RISK・AVOIDANCE・CAPABIRITY。日本語に訳すなら危機回避能力かな。クロスディスターになった人間はあらゆる危険を察知することができるようになるらしい」

「未来予知みたいなもんか?」

「どっちかって言うと直感が異常に鋭くなるって感じかな。アンタがここに来るまで、えらく周到に監視カメラの切れ目を選んで歩いてたのに自分で気付いたか?」

「いや……」


 道を選ぶどころか、監視カメラが街中に備わっていることすら知らなかった。

 ただなんとなくこっちには行かない方がいい、こっちに行くべきという感覚に従っただけだ。


「ここに来たら落ち着いたって言ったよな。たぶんここは監視の空白地帯なんだ。東京は一見すると自由な街に見えるけれど、実際はどこもかしこも監視の目が光ってる。どこかで見てる何者かの目が届かない場所がここだけなんだ。なんでそんな場所があるのかは知らないけど」

「ああ」


 翠たちがいるこの地域の名は新傾町という。

 星の数ほどの飲み屋やギャンブル場、風俗店などが点在する東京最大の歓楽街だ。

 中学生である翠にとっては近寄りがたい大人の街だが、ここにはさらに裏の顔が存在していた。


 奥に行けば他では決して手に入らない品物を取り扱っている非合法ショップがいくつも存在し、街の裏を取り仕切る複数の反社会的組織の事務所が軒を並べている。

 さらにそれぞれの傘下である少年チームが互いに縄張りを主張して代理戦争を繰り広げているとのうわさもあった。


 ハッキリ言って都内有数の危険地帯なのである。

 リシアにそういったことを説明すると、彼女は呆れたように肩をすくめた。


「反社組織なんて国がその気になればすぐにでも潰せるくせに。サファリパークのつもりかよ、くだらない」


 リシアの言っている意味はよくわからないが、翠の表面上の感覚はさっさと家に帰りたいと思っている。

 しかし心の奥から湧き出る別の感覚はここを出るべきではないと警告を続けていた。


「危機回避能力うんぬんはわかったけど、なんで急に能力が発動したんだ?」

「前回ぶっ飛ばしたウォーリアがアンタを狙ってるんだろ。カメラで位置を調べればいくらでも先回りできるし、アンタは無意識のうちに敵を撒いてたのさ」

「ここも十分に危ない場所だと思うんだけど……」

「それよりアイスティーはまだか」


 椅子の背もたれに腕を投げ出してカウンターの方を見るリシア。

 その時、喫茶店のドアが開いて強面の男が三人ほど入ってきた。


 縦縞のスーツにパンチパーマ。

 しかも一人は顔に大きな傷がついている。

 いかにもヤバそうな組織に所属してそうな方々だ。


「な、なあリシア。場所を変えないか?」


 翠は目をつけられないうちに店から出たいと思ったが、それより早く三人の強面男たちは床を強く踏みしめながらこちらの席へと近づいて来た。

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