6 友情の危機

「ん?」


 冷二郎がぐいっと顔を近づけてくる。


「な、なんだよ」


 地味な顔立ちであるが割と端正で中性的な容姿の友人。

 三人の中では唯一の彼女持ちであるが、どうにも距離感が近くて困る。

 彼女さえいなかったらコイツの方こそホモなんじゃないかと思う時もあるくらいだ。


「翠、化粧してる?」

「は? してねーよ」


 思わず顔を背けながら距離を取る。

 何度も言うが翠はホモでもオカマでもない。


 化粧なんてする趣味はない……と思いかけて、今の自分が女になっていることを思い出した。


 もともと翠は女顔だと言われており、それをコンプレックスに感じていた時期もあった。

 幸か不幸か女になってもそれほど大きく容貌は変わっていない。


 ただ、よく見れば変化には気付かれるようだ。

 髪を切って黒く染めたくらいじゃ誤魔化せない。


「嘘だよ絶対。だっていつもより明らかに可愛いもん。あ、ここだけ髪の毛が緑色。彼女ができてオシャレに目覚めた?」

「ぐっ……」


 しかも染め残しがあったようだ。

 やはり猫の視点は当てにならない。


「なに言ってんだよ冷二郎、気持ち悪ぃな。いくら化粧しても翠が可愛いわけ……」


 そう言って今度は頼太が翠の顔を覗き込んでくる。

 鼻先三〇センチの距離で視線を交わすこと五秒。


 頼太は頬を赤くして視線を逸らした。


「おいなんだその態度は!」

「い、いや、別に……何でもねえよ馬鹿野郎!」


 そっちが勝手に混乱してるくせになんでこっちが馬鹿呼ばわりされなきゃいけないんだ。


 というか本格的にヤバい。

 早いうちに男に戻らないと危険だ。

 友人関係が変な形でぶっ壊れてしまう。


「あっはっはは!」


 災厄を運んで来た茶色い毛の猫。

 人間の正体を現したリシアとかいう女はベンチの隣で膝を叩いて笑っている。

 マジでぶん殴ってやろうか。


「……と、さて」


 気まずい空気が流れる中、満足した様子のリシアは足を組み替えて三人組に話しかけた。


「悪いんだけどさ、アタシたち用事があるんだ。お友達のみんなは今日は遠慮してもらえるかな」

「あっ、はい!」

「わかりました!」


 あまり女慣れしていない頼太と楓真は年上の女性に命令されて素直に姿勢を正す。

 それから二人揃って恨めしげな目で翠を睨んできたが、そっぽを向いて視線を合わせなかった


「じゃあまたね、翠」

「ああ」


 一人だけクールな冷二郎に片手をあげて応える。


「てめえ、彼女さんと何かしたらちゃんと報告しろよ!」

「け、化粧は気持ち悪いから止めろ! 少なくとも学校にはしてくんなよな!」

「だからしてねえよ!」


 こっちの二人はいろいろと誤解を解く必要がありそうだが、とりあえず三人組は去って行った。


「いやあ、楽しそうな友だちがいて羨ましいわ」


 彼らの姿が見えなくなるとリシアは猫の姿に戻った。

 全身を光が包んだと思ったら一瞬にして魔法みたいに変身する。

 首根っこを掴まえようとした翠の手をするりと抜けてベンチの下に潜った。


「なあ、お前が自由に人間の姿に戻れるなら、オレも男に戻れるってことだよな?」

「さあねえ。仮に戻れるとしても方法を教えるつもりはないけど」

「何でだよ」

「元の姿に戻るための交換条件って言えば戦ってもらえる理由になるだろ?」

「この、馬鹿猫っ――」


 ベンチの前にしゃがみ込んで猫を引きずり出そうとする。

 ……が、ふいに心がざわついて手を止めた。


「ん、どした?」

「いや……」


 なにやら嫌な予感がする。

 数秒前までの怒りはしぼんでよくわからない不安感が湧き上がる。

 具体的なことは何もわからないが、このままここにい続けてはいけないような気がする。


「なあ、ちょっと移動しないか? 特に理由はないんだけど」


 リシアはベンチの下から出てきた。

 そして翠の顔を見上げて神妙そうに頷く。


「わかった。アンタについていくよ」




   ※


 公園から出ると、不安は少し和らいだ。

 しかしまだ立ち止まる気にはなれず、とりあえず駅の方へ向かって歩く。


 少しでも早く公園から離れたいと思うと自然駆け足になった。

 五分くらい経った辺りで胸の気持ち悪さはようやく薄れ始めてきた。


「なんだったんだ……?」


 原因不明の感覚に翠は顔をしかめる。

 まだ不安は完全に消え去ったわけではない。

 リシアは何も語らずに黙って後ろをついて来ている。


 都道に出て少し歩くとバス停に辿り着いた。

 ちょうど駅行きのバスが停まっていたが、乗るつもりはないので通り過ぎ……

 ようとした時にまたあの気持ち悪さが襲ってきた。


 翠はカバンを空けて乗車カードを取り出した。


「乗るならちょっと待って」


 リシアは電柱の影に隠れると、すばやく人間の姿になって駆けてきた。

 彼女がお金を持っているとは思えないので二人分の料金をカードで払ってバスに乗る。

 翠たちはドアに近い二人がけ席に座った。


「なあ、なんだこの感覚」

「この感覚って?」

「わかってるんだろ。こんな感じ初めてだ、これもクロスディスターと関係が……」


 バスが甲州街道を左折して次の停留所のアナウンスが流れた。

 それを聞いた瞬間、翠はほとんど無意識のうちに停車ボタンを押していた。


 バスから降りると同時に翠は駆けた。

 向かう先は駅の構内だ。


「ちょっと待ってよ。おいていくなってば」

「これ使え」


 一枚の乗車カードで二人が改札を潜ることはできない。

 しかたなくリシアには小銭を渡して切符を買わせた。


 彼女が改札を潜るのを待っている間も謎の不安は止まらなかった。

 電車に乗るとまた少し落ち着くが、すぐ一駅で終点になる。


 降りたのは東京有数の大ターミナル。

 新宿駅である。

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