7 水走
「さあ、旅の目的地に近づいたぞ」
九十号線と記された道路をひたすら走ることしばし。
三人の視界にちらちらと大きな水たまりが飛び込んできた。
こんな莫大な量の水たまりは地下都市には存在しない。
やがてリシアはそれが『海』と呼ばれる存在であることに気付く。
バギーは側道に逸れて寂れた鉄の柱が並ぶ区画に出る。
放置され錆びた車が何台も並び、沈み掛けた船の残骸も見られる。
どうやらこの辺りはE3ハザード以前に港として使われていた区域らしい。
目の前には海。
しかしそう遠くない場所にすぐ陸地が見える。
どうからこの辺りは大きく入り組んだ湾になっているようだ。
「ビュージェット湾だね。あっちに見えるのはオリンピック半島。太平洋はそのさらに向こうだ」
「太平洋……わっ」
バジラがアクセルを踏み込みバギーが加速する。
進路の先には船を陸に揚げるためのスロープがあった。
「ちょ、まさか」
「二人とも、しっかり掴まっていろ!」
リシアは身体を深く沈めて左手でドアの縁に掴まった。
前を見たまま手を動かし何か支えられるものを探す。
「ひゃあっ!」
ファルの手に触れた。
あっちも切羽詰まっているらしく、黙って互いに手を握り合う。
盛大な水しぶきを上げてバギーが海に突っ込んだ。
思わず目を閉じて握った手に力を込める。
「痛っ、ちょっと、痛いってば!」
「え。あっ、ゴメン」
ファルが不機嫌そうに手を放す。
リシアは落ち着いて周りの様子を見た。
車は海に沈んではいなかった。
舞い上がった水しぶきで二人の髪がキラキラと輝いている。
バギーは海の上に浮かんでいた。
いや……水上を走っていた。
「はは……成功だ、はははっ……」
嬉しそうなバジラの声。
失敗する可能性があったことを示唆していると思うとゾッとするが、ともかくバギーは海に沈まなかった。
「成功だ! これで日本まで行くことができるぞ!」
※
カーフロートシステム。
バジラが完成させた水上を走る技術である。
海も湖もない地下都市では船舶の開発などできなかった。
ましてや太平洋を渡る船となると夢のまた夢である。
ならば車に水上走行機能を持たせてはどうかという発想から生み出されたのがこのシステムである。
バギーの動力はコアピースという非常に燃料効率のいい物質だ。
地上の民や共和国政府に見つかっても海上へ逃げれば手を出せない。
仮に軍が追って来ても動力のない帆船では追いつかれることはないだろう。
「これで博士の開発したアレを日本に持ち込むことができる……」
アンダーシアトルへの帰り道、高揚しながらバジラが呟いた。
研究者として自分の完成させた作品が成功を収めたのだから当然だろう。
リシアとファルは黙って左右の景色を眺めていた。
地上に出たときはひどく感動したが、その熱ももう覚めている。
本当に海を越えて日本に行くことなんてできるんだろうか?
E3ハザードを引き起こした世界に強い影響力を持つ国。
正確に言うなら日本列島にある紅武凰国という国家。
そこは世界と隔絶した圧倒的な軍事力と技術敵優位を持っている。
その水準は地下に逃れたクリスタ共和国を遙かに上回るという。
博士の作った『アレ』があれば、その紅武凰国とも戦うことができる。
バジラは普段から口癖のようにそんなことを言っていた。
あと必要なのは移動手段だけだと。
そのアレというのが何を指すのかリシアは知らない。
きっと凄まじく怖ろしい兵器なのだろう。
ともあれ、バジラはこうして海を渡る手段を見事に開発してみせた。
まもなく世界は変わる。
二人の天才によって絶対的支配者が打倒される時が来るのだ!
……なんて、話が大きすぎて理解が追っつかない。
「本当にあの陰鬱な地下世界から出られるのね」
ファルは遠くを眺めながらぼそりと呟いた。
「ああ、そうだな」
リシアはそれに頷く。
姉妹には夢があった。
狭い地下都市から抜け出して本物の世界を見て回ること。
家を出た理由は幼いころからずっと感じ続けてきた閉塞感を打破したいと思ったからだ。
ファルはこれで夢が叶うと純粋に思っているらしい。
だが、リシアはそんな風には思っていなかった。
地下都市に戻り、最後の調整を終えたらバジラは日本へ向かうだろう。
彼がその旅に二人を連れて行ってくれるとは思えない。
なにせ、とんでもない兵器を積んで恐るべき敵国へ向かうのだ。
最初は夢を追うために手伝っていた。
いつからかファルはバジラへ好意を持ってしまった。
だから危険を冒してまでコアピースを集めたり、工作作業を手伝ったりしてきた。
もちろん隠れ家にあるシミュレーションマシンが楽しかったからという理由もあるが……
きっとバギーが完成すればバジラは一人で行ってしまうだろう。
もしかしたら、もう二度と帰って来ることはないかもしれない。
夢は叶うことなく、恋も失ってしまう。
そう考えるとあんなに気持ち良かったこのマシンが、今は少しだけ恨めしく思えた。
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