クロスディスターJADE - LOVERS SAGA Ⅲ-

すこみ

第一話 剣士

1 巨塔

 産まれたときからそれは当然のようにそこにあった。

 八ヶ岳の向こう、天を貫くように聳える巨塔。


 季節によっては一日に数分だけ太陽が塔の陰に隠れる時間がある。

 一帯が巨大な影に覆われる『塔日蝕』と呼ばれる現象だ。

 夜でもないのに薄暗くなって、あちこちで灯火の明かりが灯される。


 秋山紅葉くれははこの時間が嫌いだった。

 小高い丘の上に座って太陽の光が戻るのを待つ。

 そして読めなくなった本を手元で拡げたまま思考を巡らせた。


 かつてあの塔のあった場所も日本の一部だったと聞くが、今は違う。

 十三年前に起こった電気エネルギー消失事件、通称『E3ハザード』の後に旧首都圏地域は独立っした。

 あの塔までは陸続きだが別の国なのである。


 近所の寺子屋で勉強を教えている父親からその話を聞いたときは「なんで外国の都合で自分たちの生活が妨げられなければいけないのか」と思ったものだ。

 日照権などという言葉はとっくに過去の概念になっている。


 紅葉は今年で十一歳になる。

 旧制で言えば小学五年生になる年齢だ。

 しかしこんな町から離れた辺鄙な田舎には学校などありはしない。

 彼の住む家は山深い林の中にあり、今日は週に一度の町行きのための待ち合わせをしていた。


 やがて塔日蝕が終わった頃に待ち人がやってきた。


「ごめん、遅くなった!」


 言葉とは裏腹に悪びれもない声の調子で片手を上げるのは紅葉に似た少年。

 やや背が高く、髪の色が若干薄いこと以外はほとんどそっくりだ。


 兄の秋山陸玄りくである。

 紅葉は膝の上の本を閉じて立ち上がった。


「いいえ。では行きましょう」


 近くの木に立て掛けてあった竹刀袋を掴み、兄弟は町へ向かう。




   ※


 陸玄と紅葉が並んで畦道を歩いていると、農作業中の青年から声をかけられた。


「おう陸玄、これから町か?」

「いつもの出稽古ですよ」

「精が出るねえ。俺もたまには町に出てみたいぜ」

「よかったら一緒にどうでしょうか。中村さんなら町の女の人たちも放っておかないですよ」


 社交性のある兄の陸玄は冗談を交えてしばし立ち話をする。


 近隣に暮らす者はみなああして畑を耕して日々の糧を得ている。

 月に一度、郡司から派遣される徴税官に年貢を納めるだけの慎ましい生活を営んでいた。


 村人たちは決まった休みなど持たず日々労働に勤しんでいる。

 特に若い年代の者たちは自発的に町に出る用もなければ遊んでいる暇もない。

 八歳頃までに寺子屋で一般常識と生活に必要な知識を学んだ後は、ひたすら畑を守る生活だ。


 娯楽と言えば年に二回の祭くらい。

 前世紀を除けばかつては日本中どこでも見られた典型的な農村である。


「親父の許可が下りたらなあ。おっと、引き留めて悪かったな」

「いいえ。畑仕事お疲れさまです」


 二人の会話が終わるまで紅葉は黙って待っていた。

 人見知りというほどではないが、彼は他人と会話をするのがあまり得意ではない。

 村社会においてそれが致命的な欠点であることは自覚しているが、生まれ持った性分を変えるのは容易ではなのだ。


 それに比べて陸玄は気さくな性格で誰からも人望がある好青年。

 中村は会話の最中、一度も紅葉の方に視線を向けることはなかった。


「待たせてごめん。行こうか」

「はい」


 陸玄のがやや歩幅が大きく、紅葉は兄に合わせようと小走りで隣を歩く。

 それに気付いた陸玄はわざと歩調を緩めてニコリと微笑んだ。

 兄のそんな気づかいが気恥ずかしくて紅葉は視線を地面に落とす。


 畦道が途切れる。

 荒れ果てた県道に出た。

 アスファルトの舗装道路である。


 そこは十三年前まで自動車と呼ばれる鋼鉄の乗り物が絶え間なく走行していたらしい。

 しかし今はあちこちがひび割れて、隙間からは草木が伸び放題になっている。


 用途のわからない灰色の柱が道路に沿うように並んでいる。

 その上部で真っ黒な複数のロープがそれぞれの柱を結んでいた。


 柱の近くに透明なガラスで覆われた小部屋があった。

 内部はツタに覆われていて、ぽつんと緑色の箱が置かれている。

 E3ハザード以前はこの箱を使って遠距離にいる人と会話ができたらしい。


 陸玄はガラスの割れ目から手を突っ込んで四つの車輪がついた板を取り出した。

 スケートボードという乗物である。

 兄は道路に置いたそれの上に乗って紅葉の手を引く。


「しっかりつかまってなよ」

「はい」


 紅葉がボードに足を乗せたのを確認すると、陸玄は強く地面を蹴った。

 緩やかな下り坂をスケートボードが加速していく。


 でこぼこしたアスファルトの上を進むボードから伝わる振動は凄まじいが、これを使えばわずか三十分ほどで町まで辿り着くことができた。


 紅葉は兄の背中にぴったりと密着した。

 二本の足で歩くだけでは絶対に味わえないスピード感。

 もしバランスを崩して転倒すれば大怪我をしてしまうかもしれない。


 そんな状況で兄に身体を委ねている。

 気恥ずかしい反面、なんとない誇らしさがあった。


「紅葉、もっと上手く体重移動してよ。あとそんなしっかり掴まられちゃ動きづらいよ」

「ご、ごめんなさい」


 しっかり掴まっていろと言ったのは自分なのに。

 そう思っても文句は口に出さなかった。


 必死にバランスを取っていると、気がつけば道路の先に町が見えてきた。

 この先に少しだけある上り坂を越えたら後はもう一気に降るだけだ。

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