13 失格
瑠那がキルスに殴り飛ばされた気付いたのは、自分がどうやら瓦礫の中に倒れていることを認識した後だった。
「ちっ、馬鹿野郎が!」
キルスの声が遠くで聞こえる。
顎が痛い。
死ぬほど痛い。
拳銃の直撃を食らってもこんなダメージはない。
人生で初めて味わう類いの激しい痛みだ。
全力を振り絞った。
確実に当たったと思った。
あの状態からどうやって反撃をされたのか、まるでわからない。
過ぎた痛みがやがて死の恐怖を連想させた頃、目の前にキルスが立っているのに気付く。
「ひっ……!」
殺される、と思った。
同じウォーリアでもキルスは自分では次元が違う。
数秒前までの決死の覚悟もすでに萎え、麻痺していた通常の感覚が戻ってくる。
なぜ、逆らってしまったんだろう。
大人しく従っていればこんなことにはならなかったのに。
「あ、あの、ごめんなさい、すみません!」
死にたくない。
瑠那は必死だった。
身体に染みついた恐怖が湧き上がる。
怒りどころかプライドさえ一瞬にして剥ぎ取られてしまう。
「おわび、また、しますから」
服のボタンを外しながら瑠那は卑屈な笑みを浮かべる。
上目遣いで媚びを売りキルスの腰に手を伸ばす。
腕を掴まれ瓦礫の上に押さえ付けられた。
「あ、あはっ」
よかった、殺されないで済む。
後は恥辱に耐えれば許してもらえる。
まるでご主人様のご機嫌を伺うペット。
もはや少女の無残な死に憎悪を萌え滾らせた少年の面影はどこにもない。
「なあ、瑠那」
「は、はい……え?」
自分の名を呼ぶその声は不思議な響きだった。
それはいつものキルスの声なのに、とてつもない違和感。
だっていつもは坊ちゃんだとか役立たずとか人形だとか言われてたのに。
思い返してみても、瑠那がキルスに名前で呼ばれるのはこれが初めてのことだった。
「お前さ、もう国に帰れよ」
「えっ? えっ?」
何を言っているのかわからない。
国とは紅武凰国のことだろうか。
帰る?
だめだよ。
だってぼくはウォーリアだから戦いの経験を積まなきゃいけない。
勝手に帰るのはダメなんじゃないの?
「やっぱりお前にこの仕事は無理だ。本国には俺たちから連絡を入れておくから実地研修は中断ってことで受け入れろ。国では閑職にまわされるだろうが、命を落とすことはなくなるはずだ」
「研……修……?」
「今まで厳しく当たって悪かったな」
頭を撫でられた。
まるで子どもをあやすように。
信じられない。
だってこれはキルスの手なのに。
殴られるか、嫌な事をされるだけだった手。
こんな優しい言葉をかけられながら、自分の頭を撫でているなんて……
「あは、そっか、そうなんだ……ぼく、ぼくはっ……うえっ……」
涙が溢れてくる。
怒りでも恐怖でも悲しみでもない。
とにかく自分が情けなくてたまらなかった。
運命をねじ曲げるのはこんなにも簡単だったのだ。
ウォーリア失格。
その烙印を押されただけで、すべてが終わってしまったのだから。
「うわあああんっ、うあああああん」
瑠那は泣いた。
恥も外聞もなく泣きじゃくった。
キルスは優しく頭をなで続けてくれている。
あんなに嫌いで、あんなに怖かったのに。
今はなぜか彼女の手の温かさが嬉しかった。
※
それから数日後。
瑠那はひとり上海新市街の港で船を待っていた。
キルスに見限られた瑠那はそのまま宿に戻らず列車で南京に帰還した。
だからカミュには会わず終いのまま別れたことになる。
南京に戻った瑠那にはブシーズ兵士による監視がつけられた。
別にどこかに行ったり勝手な行動を起こすつもりもないのだけど。
しばらく無気力に過ごしていたが、やがて本国から正式に帰国命令が出た。
そして列車を乗り継いでこの港町までやって来たのだった。
上海も他の大都市と同じく旧市街は廃墟同然となっている。
現在の新市街は海沿いにくすんだビルが立ち並ぶ区域である。
船が到着するまではまだ時間がかかりそうだ。
瑠那は何度も読み返した命令書の最後の部分を眺める。
命令を出した者の名が記された書類には自分と同じ苗字があった。
「父さん……」
紅武凰国設立前から国家のために働き、すべてのウォーリアの中でも第二位の実力を持つと言われている父の印である。
息子がこんな結果になったと知ったら呆れるだろうか、それとも怒るだろうか。
いや、あの人はなにも言わない。
生まれた時から一度として自分に興味を持ってくれたことなんてなかった。
結果は結果としてただ受け入れられ、瑠那は新しい場所で自分に相応しい任務に就くのだろう。
ウォーリアとしての地位を剥奪されることもたぶんない。
才能にはそれだけで十分な価値があり、無駄に遊ばされることも、無益に処刑されることもない。
それでもいいさ。
あんな悲しい戦場で生き続けるよりは。
あの少年たちを救えなかったことはきっとこれから一生背負う重荷になるだろう。
世界のどこかでは今日も明日も辛い現実がある。
その上に自分たちが生かされていることを忘れてはならない。
船がやって来た。
日本海を渡るには些か心許ない木造船。
タラップが開き、中から武装したブシーズ兵士たちが姿を現す。
彼女たちは瑠那の姿を見るなり背筋を伸ばして敬礼した。
こちらに義務はないが瑠那は一応の返礼をする。
「ウォーリアの速海瑠那殿でありますか?」
「はい、そうです」
「大陸でのお勤めご苦労様でした。これより召還命令に基づき内地へとお連れ致します!」
「よろしくお願いします」
周りを重装備の女性兵士に囲まれ船に搭乗する。
タラップが閉められる直前、瑠那は最後に一度だけ清国の地を振り返った。
「……さよなら」
何に対して言ったのかもわからないまま、瑠那は清華民国を離れた。
日本列島へ、そしてその奥地にある紅武凰国へと帰って行く。
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