10 休息

「ん……」


 窓から差し込む光に目が覚める。

1

 口の中が異常に乾く。

 腰が痛い。

 昨晩のキルスの折檻を思い出して暗い気持ちになるが……


「はっ!?」


 瑠那はベッドから飛び起きた。

 ここは重慶二番街の宿の一室である。


 同じ部屋にいたはずのキルスとカミュはすでに部屋にいない。

 太陽の感じからすればもう昼過ぎだろう。


 寝過ごしてしまった。

 ウォーリアとしてあり得ない失態である。

 昨日に続きこれでは、また二人に強烈な叱責を食らう。


 瑠那は急いで脱ぎ散らかしたままの服を着た。

 洗濯する余裕もなかったので汗でべとついて気持ち悪い。

 部屋を出て一階ロビーに向かうと、テーブル席でコーヒーを飲んでいるカミュの姿があった。


「も、申し訳ありません!」


 カミュはちらりと瑠那の方を見る。

 瑠那は彼の傍まで走って深く頭を下げた。


「寝過ごすなんて気がたるんでいました! 深く反省するので、どうかご容赦――」

「構わない。今日は臨時休息日だ」


 ところが返って来た予想外の言葉に瑠那は思わずきょとんとする。


「それより風呂にでも入ってこい。汗も流していないだろう」

「え、あ……」


 瑠那は戸惑った。

 普段なら冷たい口調で精神的な責めをされてもおかしくない失態である。

 何故、今日のカミュは優しい言葉をかけてくれるのか。

 彼女の声色は怒気を隠している様子ではない。


 しかし、いつまでも汚れた身体のままというのも失礼だろう。

 瑠那は命令と割り切ってお言葉に甘えることにした。




   ※


 風呂がある宿を選べて良かった。

 数日ぶりに身を清めて気分もさっぱりできた。

 汗を流して戻ってくると、カミュの隣席に簡単な朝食が用意されていた。


「食っておけ」

「は、はい。先輩は?」

「もう食べた」


 一体何杯目だろうか、カミュはまだコーヒーを飲んでいる。

 瑠那は恐る恐る彼女の隣に座った。


 朝食は目玉焼きとトースト。

 いただきますと言って口にする。

 戦闘糧食以外のものを食べるのは一週間ぶりだ。

 美味しい。


「瑠那」


 半分くらい食べたところでカミュから名前を呼ばれた。

 瑠那は即座に持っていたトーストを置いて姿勢を正す。


「はい!」

「手許金の消費が激しすぎる。詐欺にでも遭ったか」


 カミュが手帳を開いて見せてくる。

 そこにはびっしり数字が書き込まれていた。


 瑠那は青ざめた。

 昨日、リュウたちに多額の生活費を渡してしまった件である。

 現地の相場を考えた協力者に対する謝礼金の域を大きく超えた金額を使ってしまったのだ。


「そ、それは……」


 先輩がこまめに徴募をつけているとは思わなかった。

 なんと言い訳をしようか考えていると、カミュは手帳を閉じて懐に収める。


「次からは気をつけろ」

「え……」

「お前が私欲のために使い込んだとは思っていない。問題が発生したら一人で解決しようとせず、私たちにも報告しろ」

「は、はい。わかりました」


 良い風に勘違いしてくれたのか?

 とにかくお咎めも追求もないようだ。


 それにしても今日のカミュは別人のように穏やかだ。


 この先輩二人と一緒に行動するようになって三ヶ月になる。 

 そう言えばオフの日に会話をするのはそう言えば初めての経験だった。

 拠点の南京で休みを取れた日は大抵ふたりとも朝から出かけてしまうのである。


 普段の厳しい態度はやはりウォーリアとしての先輩だからなのだろうか。

 今なら普通に仲良く話をすることもできるのだろうか……


 いや、そんな甘い考えを持つよりは緊張感を保っていた方がいい。

 万が一にも失礼なことを言って怒らせてしまえば余計にやり辛くなるだけだ。


 瑠那は黙って食事をとり続けることにした。

 トーストを食べ終わる頃、黙っていたカミュが口を開く。


「四僉工業公司の本社の火災は近隣三棟を巻き込んだのち鎮火した。生存者はいなかったようだ」


 燃えさかる煉瓦の建物と扉の向こうで聞こえる絶叫の声が頭の中に蘇る。

 瑠那は思わず食べたばかりの食事を吐き出しそうになった。

 やはり、誰も助からなかったらしい。


「そうですか……」

「いちいち気に病むな。私たちは紅武凰国のためにやるべき仕事をしているだけだ。そう割り切れなければ、いつか自分に返ってくると思え」

「わかっています」


 ウォーリアは戦闘職。

 人の命を奪うのがその主たる仕事だ。

 誰かを守るためとか、祖国の繁栄のためとか、いくら言い訳してもそれは同じ。


 ならば受け入れるしかない。

 選ばれし者として、これ以外に選択肢はないのだから。


 自分はまだまだこの先輩たちから様々なことを学ばなくてはならない。

 特に怖い方の先輩からは一刻もはやく怒られないで済むようにならないと。


「そういえば、キルス先輩はどこに行ったんですか?」


 思い出したら気になったので尋ねてみる。

 カミュはすぐに答えてくれなかった。


 手に持ったカップを傾け、ゆっくりと飲み干した後で呟くように言う。


「仕事だよ」

「え、キルス先輩はオフじゃないんですか?」

「昨日の作戦が物足りなかったらしく、別動隊が命じられた工場破壊任務に着いていった」


 そういえば昨日は本社を潰しただけで条約違反の兵器を作って工場は見ていない。

 あんな小さなビルでは大量の兵器を作ることはできないだろうし生産拠点は別にあるのだろう。

 しかし、何故キルスはひとりで行ったのだろうか?


「ぼくたちは任務に参加しないでもいいのでしょうか」

「南京から呼んだブシーズに引き継いだ。広範囲の殲滅には数が必要だからな」


 広範囲。

 殲滅。

 なぜか無性に嫌な予感がした。


「その工場っていうのはどこにあるんですか?」


 お前が知る必要はないとでも言われるかと思ったが、カミュはちらりと目線を外に向けると、まるで独り言のように答えた。


「旧市街中に複数の部品工場があるそうだ。働いている者は自分が何を作っているのかもわかっていないだろうが、条約違反の兵器製造に関わった以上はすべて潰さなければならない。幸いひとつの区画に集中しているとのことなので、その地域だけ焼き払えば済む」


 旧市街。

 まさか。


 瑠那の頭に少年と少女たちの姿が思い浮かぶ。

 そんなはずはない、違っていてくれ。

 祈りながら最後の質問をする。


「どこの地区かわかりますか」


 カミュは答える。


「十七街区と言っていたな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る