第二話 管理

1 三等

 紅武凰国の三等国民に苗字はない。

 元より生活上で必要もないが、ハッキリと言えば二等以上の人間と区別するためでもある。


 代わりに専用のIDが与えられ基本的にこの個体識別番号で呼ばれることとなる。

 この区域で暮らす人間は誰もそれを疑問にも思わない。

 家族という生活単位が存在しないからだ。


 怖ろしいのは、二等以上の国民から三等国民に落ちてくる人間もまた苗字を消失してしまうという事である。


 名乗りを許されないという意味ではない。

 三等国民になった人間は即座にこの地域に相応しいよう脳を弄られる。

 どんなに記憶を辿ってみても、自分がどんな苗字を名乗っていたのかわからなくなるのだ。


 これは極めて小さな措置だが、この紅武凰国を支配する者がどれほどに強大な存在なのかを嫌でも認識させられる例でもある。


 ID14929164番。

 琥太郎こたろうもそんなかつては二等国民だった落下組の一人である。


「14929164! 起床時間です!」


 無遠慮な機械音声が部屋の中に響く。

 その音は時間と共に次第に大きくなっていく。

 琥太郎は眠気に抗いたくなかったが、も音声は一向に喋り止まない。


 意を決して思い切って布団から跳ね起きた。


「おはようございます、14929164。今日も貴方が素晴らしい一日が過ごせるよう心から願っています」


 琥太郎は頭を振って不快な音を耳から閉め出した。

 頭をかきむしりながら部屋の隅に積まれた配給食を手に取る。

 ラップで包んだ弁当箱を手に取り、レンジに突っ込んで加熱ボタンを押す。


 その間に洗面台で髪を整える。

 と言ってもワックスをつけて適当にセットするだけ。

 まるでライオンのように逆立てた髪は琥太郎にできる唯一の反抗の証だ。

 幸いなことに髪型に対する決まりはないのだから。


 洗面所から出る。

 暖め終わった配給弁当をレンジから取り出し机の上に置いた。


「14929164! 朝食の前に着替えることを推奨します!」

「わかってるよ、うるせえな……」

「14929164! 偉大なる女王の指導に対する反抗は減点対象です!」


 思わず吐いてしまった悪態を後悔しながら服を着替えて弁当箱を開ける。

 中身はちょうど一週間前と同じ魚の切り身と漬け物、それからご飯とふた付きカップの味噌汁だ。


 味は悪くない。

 栄養のバランスが考えられた見事な朝食だ。

 二等国民時代は適当にパンで済ませていた頃から考えると、むしろ食生活は改善されたと言える。


 だが琥太郎は口に出せない不満を抱えたまま、不味そうに朝食を口にかき込んだ。


 そんな琥太郎を無表情で眺めているのは部屋の隅にドデンと置かれた等身大人形。

 整いすぎた顔立ちが逆に不気味なウラワコミューンのローカル女王像だ。


「14929164! ご飯は最低でも十回は噛んでから飲み込むことを推奨します!」


 無表情のままのその口から、食事マナーについて咎める機械音声が流れた。




   ※


「ウラワコミューンのみなさん、おはようございます! 今日もあなたにとって素敵な一日が訪れますように女王は心より祈っておられます! SHINEの恵みに! 労働と安息を得られる喜びに! そして偉大なる女王の治世に! 感謝を! 感謝を! 感謝を!」


 朝八時になると街中のスピーカーから例の機械音声が流れてくる。


 琥太郎は嫌々ながらベランダに出た。

 至る所から「感謝を!」の合唱が聞こえてくる。


「……かんしゃを、かんしゃを」

「14929164! キチンとお腹の底から声を出すことを推奨します!」


 続いて『女王を讃える歌』という眠くなるような曲の大合唱が始まった。

 毎日聞かされているので歌詞は覚えているが、未だに大声で歌うのには抵抗がある。

 適当に小声で誤魔化しているとまた女王像に叱られた。


 朝の合唱が終わると通勤時間である。

 作業服に着替えた琥太郎は女王像の横にあるテンキーで「1♯」と入力した。

 女王像がガタガタと不気味に動き、電子音の後に像の腕に巻かれた腕時計型のPDA《携帯端末》が光を放つ。

 琥太郎はそのPDA取って自分の腕に巻いた。


「さあ、今日も一日がんばりましょうね!」


 PDAには滑らかなアニメーション画像で女王の姿が表示されている。

 表情の動かない像よりかは幾分とマシだが、やはりどこか作り物めいていて人間らしさがない。

 そして部屋の外に出ても監視が続くと思うとげんなりする。

 まあ、いつものことだが。


 マンションの自室から出ると、廊下は同じく通勤する人たちで溢れていた。

 ちょうど前を通りかかった青年が挨拶をしてきた。


「おはよう、親友」

「……おはようございます。親友」


 決まり切った挨拶である。

 琥太郎はこの青年の名前すら知らない。

 一人で行動している人間を見かけたら挨拶をするというルールなのだ。


 何度も挨拶をするのは面倒なので、建物から出るまではこの青年のすぐ隣を歩くことにした。


 マンションの外に出るとバスが連なって走っている。

 通勤時間中はひっきりなしに特定ルートを回っている公共交通機関だ。

 一分と建たず次の車両がやってくるのでモタモタしていても乗り遅れることはない。


 ただし立ち乗車は禁止なので座席がなければそこで満員。

 すでにいっぱいの場合は停車しないこともある。

 逆を言えば必ず座れるので楽ではあるが。


 四本ほどやり過ごしてようやく乗車できた。

 バスはすべて二階建て、三人席×十五列×通路の左右。

 一八〇人が同時に乗車できる大型のバスである。


 乗車時にPDAをセンサーに当てると割り当てられた席が表示される。

 二階席十四列目右側右、眺めの良い窓際の席である。

 だからと言って喜ぶようなことでもない。


「お隣を失礼します、親友」

「どうぞ、親友」


 二階に上がり、隣に座る人物にこれまた決まった挨拶をする。

 ルートは一定なので目的地までは時間がかかる。

 琥太郎の場合は三十分ほどだ。


 隣に座る中年男性は熱心に本を読んでいる。

 通勤時間中は席から動かない限り何をするのも自由だ。

 とはいえ琥太郎はこれといって座りながらできる趣味も持っていない。

 窓から町の景色を眺めて時間が過ぎるのを待った。

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