2 管理

 ウラワコミューンは紅武凰国北部にある隔離地区の一つである。

 この地区の外にも、かつて埼玉県、千葉県、そして神奈川県と呼ばれていた地域には同じように外界から隔離された地域が無数にある。


 紅武凰国の三等国民は特定の区切られた地区に押し込められ外界との交流を許されない。

 毎日決められた時間に起床し、決められた食事を取り、決められた仕事をこなし、決められた通りに生活することを義務付けられている。


 通り沿いは大災厄E3ハザード(electric energy extinction)以前の面影はまったく残っておらず、道のどちらを見ても首が痛くなるほどの高層ビルが乱立している。

 ウラワコミューンには五十万人を超える三等国民が生活していて住民のほぼすべてが製造業に従事していた。


 琥太郎のような若者は珍しくバスの中を見渡しても三十代から四十代の人間がほとんどだ。

 片側三車線の道路は通勤バスで埋め尽くされているが、全体がコンピューターで統制されており、各々のバスが通るルートも異なるため交通の流れは良い。


 頻繁に停車と発車をくり返すこと三十分。

 ようやく琥太郎の通う職場がある停留所に到着した。

 景色を眺めていたせいで席を立つのが遅れ、慌てて立ち上がる。


「14929164! きちんと挨拶をしなさい!」


 隣席の前をを横切るときに「失礼します、親友」と言い忘れたためPDAの女王映像に怒られた。

 しかしバスが停留所に止まっている時間はわずか一分ほどなのでモタモタしてはいられない。


 降りるのが遅れたら反対側のバスに乗り込まなくちゃいけない。

 万が一にも遅刻したらやはり女王から酷い説教を食らうハメになる。

 どうやら女王陛下は次善策や優先順位という言葉をご存じないようだ。


 職場は一見すると真新しいオフィスビルだが、中に入ると工場になっている。


 外から見て四階分までが一つのフロア。

 一階から中二階、中三階と一つのラインになっている。

 中は決して暗い雰囲気はなく、外観通りの清潔感が保たれている。


 作っているのは主に家電品。

 別の工場から送られてきたパーツを組み立て、完成した商品は自分たちに配給されるか、二等国民様の住む地域に送られる。


「14929164! 靴は揃えて脱ぐことを推奨します!」


 室内履きに履き替えるところでまた女王様に怒られた。

 琥太郎は顔を逸らして渋面を作る。

 後ろから哄笑の声が聞こえた。


「相変わらずだな、ライオン小僧」

「4918188! 親友への挨拶はきちんと礼儀正しく行いなさい!」


 女王の咎める声が響く。

 ただし発生源は琥太郎のPDAではなく、壁に飾ってあるドデカい肖像画からだ。

 男はそちらを向いて慇懃に頭を垂れて見せる。


「これは申し訳ありません女王様。つーわけでおはよう、親友琥太郎」

「……おはようございます、親友翔大さん」


 彼はこの工場の先輩だ。

 琥太郎が最初にここに来てから一週間ほどつきっきりで仕事を教えてくれた人である。

 豪快な性格の中年男性で、決して悪い人ではないのだが、過剰に子ども扱いしてくるのでどちらかというと苦手な相手だ。


 靴を履き替えて一緒に更衣室に向かう。

 その間も翔大はいろいろと話しかけてくる。


「どうだ、いい加減にここでの生活は慣れたか?」

「はい……って答えるしかないでしょ」


 腕のPDAを見ながら答える。

 この程度の皮肉はセーフだったようで女王は何も言わない。


「がっはっは。その様子じゃまだまだ馴染んでないみたいだな」


 答えるまでもない。

 ここでの生活は常に女王に監視されており、食べるものも寝る時間もすべて管理されている。

 部屋では等身大人形に、そして移動中はPDAの電子画像に見張られ、完全なプライベート時間などというものは一秒たりとも存在しない。

 これで息が詰まらないわけがないだろう。


「元二等国民のお前から見るとここでの生活は窮屈かも知れないがな。受け入れちまえば絶対にこっちの方が楽だぜ? 東京じゃ食を失って食えなくなる人間もいるんだろ?」

「まあ、そういう話は聞いたことあります」

「なんでも自己責任の生活には自由があるかもしれないが、余計なことを考えず楽しく暮らしていける方が良いに決まってらあ。管理、監視されてるって言っても生きるか死ぬかの奴隷扱いされてるわけじゃない。腹一杯に食えて娯楽を楽しむ余裕もあって、これで後は何を望むんだって話さ」


 たしかに三等国民になってからひもじさを感じたことは一度もない。

 自分一人で生きるよりも遙かに健康に良い生活をしている自覚もある。

 それに監視付きではあるが家に帰れば好きなことを楽しめる時間もある。


 客観的に見れば悪い暮らしではない、のかもしれないが……


「それとも女王様が煩わしいか」


 琥太郎は目を見開いて翔大を見返し、それからPDAに視線を落とした。

 反抗と受け取られかねないセリフだが何故か女王は黙っている。

 慌てた琥太郎の反応を見て翔大はまた笑う。


「女王様はな、母ちゃんと同じなんだよ。三等国民は生まれた時から家族なんていやしないが、母親が教えてくれるようなことは全部女王様が代わりに教えてくださるんだ。厳しいけど別に無茶なことは言われないだろ? その厳しさはお前が立派な人間になるための教育なんだよ」


 そういうものなのだろうか。

 二等国民だった頃の琥太郎はまともに隣人への挨拶もできなかった。

 夜更かしや間食なんかも当たり前で、あまり人として立派な生活を送っていたとは言い難い。


 女王の言う通りに行動する方が立派な人間になれるという理屈はわからないでもない。

 しかし……

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