4 閉じられた東京
「ククク、コイツだ……」
埃にまみれた薄暗い倉庫の中、アキナは醜悪に表情を歪めていた。
手に持っているのはソフトボール大の球体。
禍々しく紫と黒のまだら模様を描くそれは湯気のような瘴気を放っている。
同じモノが彼女の目の前の木箱の中にはいくつも重なっていた。
「道具に頼るのは癪だが、舐められたままってわけにはいかねえからな。ディスタージェイド。この俺様をコケにしたこと地獄で後悔させてやるよ……!」
甲高い哄笑が倉庫の壁に反響する。
ボンテージ姿の女戦士は来る雪辱の時を思い描いて愉悦に浸った。
※
リシアの話は非常にわかりづらかった。
説明下手で話がすぐ脇道に脱線するため要領を掴みづらい。
その上、語られる内容が翠にとってはあまりに突飛で信じがたいものだった。
なので何度も質問を挟んだりしたり、腹が減ったので途中でコンビニに食べ物を買いに行ったり、散歩中の老人がなぜか横に座って世間話を始めたせいで場所を移動したりと、一通り聞き終えるまでにものすごく長い時間がかかった。
気付けばすでに時刻は午後三時近い。
我ながらよく耐えたものだと自分を褒めたい気分だった。
そして肝心の内容と言えば、一言で言えば荒唐無稽なアニメの世界。
受け入れるにはかなりの抵抗がある話であった。
例えるなら地球が実は平ら亀と象に支えられて動いていると聞かされたような感じである。
昨日までの自分が見知らぬ他人から同じ話を聞かされたら一笑に付していただろう。
こうして目の前に喋る猫がいたり自分の身体に起きた変化さえなければ……
「日本が世界をメチャクチャにしてるって言われてもなー」
「だから日本じゃなくて紅武凰国だって」
E3ハザードという大事件が十五年前にあったのは知っている。
それで世界中で多くの人が亡くなったことも。
けれど人類は叡智を結集して代替となる新エネルギーSHINEを作り出し、以前と変わらぬ水準の生活を送れるようになったはずだ。
少なくとも翠が生きていく上で飢えや不自由を感じたことは一度も無い。
「っていうかさ、東京から出られないって時点で不思議に思わないの?」
「いや別に普通だろ」
東京の周りには大きな壁がある。
仕事の用事が無い限りは外に出てはいけないことになっている。
しかし、それはずっと昔からそういうものだと思っていたので疑問もない。
大自然が見たければ奥多摩にでも行けば良いし羽田には人工海岸もある。
大人になれば選んだ職種次第では自然と外に出ることになるんだし、皇居が京都に移った後も東京が大都市なことに変わりはない。
若い世代の人間はそもそも東京から出る必要がまったくないのだ。
「テレビも新聞も旅行雑誌まで東京の中だけで完結してんのね……」
さっきコンビニに寄ったときについでに買わされた雑誌のページを器用に前足でめくりながらリシアは深いため息を吐いた。
確かに東京の外の情報は授業で習う以外はリアルタイムで入ってこない。
だからといって同じ日本ならそう変わることもないだろうと疑いもなく思っていた。
「旧首都圏が日本から独立して紅武凰国を名乗って、その中でも東京と『塔』以外の場所は細かく区切られて厳しく管理されてて、世界中のほとんどの場所ではSHINEエネルギーがない前時代的な生活を送ってて、あちこちで戦争やってるなんて言われてもなー」
「あら、わりとしっかり理解してるじゃん」
「で、お前が住んでたクリスタ共和国ってところがオレの知ってるアメリカとは微妙に違ってて、みんな地下都市に住んでるんだったよな」
「そうそう」
猫のリシアは満足そうに頷く。
「E3ハザードのせいで旧来の電気エネルギーで動く機械を使うには地下に潜るしかないんだよ。それでもクリスタはまだマシな方さ。ほとんどの国は夜になると真っ暗闇。ロシアでは一部蒸気機関を使ってたけど紅武凰国との技術格差はどうしようもないな」
「そんで、お前がわざわざ地球を半周して東京にやってきた理由は?」
「アタシの目的は紅武凰国が独占してるSHINEの秘密を暴いてクリスタに持ち帰ることだ」
ここからでは近隣の建物が邪魔だが、高いところに登れば東京外周部の壁が見える。
壁の向こうに見えるのは富士山の頭と山梨県にある天を貫く超高層建築『クリムゾンアゼリア』のみ。
リシアが言うにはあれこそが紅武凰国の真の首都らしい。
壁さえ超えれば車に乗って中央高速を走って二時間程度でたどり着く距離だ。
「クリムゾンアゼリアには簡単に入れない。なにせ世界中の人間がうらやむ紅武凰国の一等国民様が住む聖地だからね」
「聖地ねえ」
「だからまずは力になってくれる人を探してるんだよ。クロスディスターリングの適合者を」
リシアは前足で翠の腕にくっついたリングを指した。
どういう仕組みか変身してから腕にピタリとくっついて外せない。
これのせいで翠は超人的な力を発揮できる代わりに女の身体になってしまった。
「あとさ、お前って本当は人間なんだよな?」
「そうだよ。クロスディスターリングとは違うけど似たような仕組みの道具を使って猫の姿になってるだけ。人間の姿のままじゃ紅武凰国にはどうやっても入れなかったからね」
「別に協力者なんか探さなくてもお前がディスターなんとかになれば良かったんじゃないのか?」
「それは無理」
「なんで」
「適正がない人間が装着したら身体が破裂して死ぬから」
「死っ……!?」
「ここに来る途中でシベリアでそれを盗もうとしたオッサンがいたんだけど、アタシの目の前でセルフミンチになったわ」
「そ、そんな恐ろしいものだったのかよ……」
「本当はもっと慎重に適合車を探すつもりだったんだけどね。いやあ、偶然にもアンタに素質があって本当によかったわ」
翠はゾッとした。
急に腕のリングが爆弾に見えてくる。
もし自分が適合者ってやつじゃなければ、そのシベリアのオッサンと同様、今ごろ人の形を留めない肉の塊になっていたということだ。
今さらながら拾ったものを軽率に扱った自分の行動が恐ろしくなる。
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