12 命乞

 和喜雄はトラックの助手席に、琥太郎は運転席へと乗り込んだ。

 洋一と、呆然としたまま彼に手を引かれた直太は荷台に滑り込む。


「琥太郎、さっき徹二さんの運転見てたろ。操縦できるか」

「あ、ああ……多分」

「頼むぞ。俺はこいつで追っ手を牽制する」


 和喜雄はガラスのなくなった窓から銃を出し、追ってくるブシーズ兵士に牽制射撃をする。


「早く出せ! 弾はそんなに多くないぞ!」


 急かされるままに琥太郎はキーを捻った。

 クラッチ操作をしながらシフトレバーを上げ、アクセルを踏み込む。


 加速できたらもう一段シフトチェンジだ。

 ぎこちないがトラックはしっかりと前に進んでくれた。


「よし……どっちへ行けばいい?」

「東京方面へ向かってくれ。三等国民地域に戻ってもすぐに掴まるだけだ。橋さえ渡っちまえばいくらでも逃げ場はあるさ」

「わかった」


 琥太郎はアクセルを踏み込んだ。

 トラックの進路の先には東京へと繋がる橋。

 そこに建物の中から現れたブシーズ兵士が銃を撃ってきた。


「うわっ!」

「走ってりゃそうそう当たるもんじゃない! 急げ!」


 プラスティック製の柵を撥ね折って橋上へと入り込む。

 和喜雄は窓から身体を乗り出して後方に向かってライフルを撃ちまくった。

 銃撃の音が響き、さっき殺された友人と先輩の姿がフラッシュバックして心臓が強く脈打つ。


 それにしても和喜雄だ。

 こいつはずいぶんと銃器の扱いに手慣れてる。

 それに、二等国民の住む地域についても少なからず知っているようだ。


「和喜雄、お前はいったい何者なんだ……?」


 琥太郎の疑問に和喜雄は攻撃の手を休めず答える。


「お前と同じ三等国民だよ。ただ、危険遺伝子の持ち主ってやつらしい」

「危険遺伝子……って何だ?」

「人よりちょっと力が強くて運動神経がいいだけの普通の人間だよ」


 琥太郎の知る限り、和喜雄は特別運動神経が優れているわけでも力比べが強いわけでもない。

 よくわからないが彼は今までずっと力を隠していたのだろうか。


「そして直太先輩、アンタは監視市民だったんだな」

「……ああ」


 荷台から消え入りそうな直太の声が返ってきた。


「どうせ二等国民にしてやるって甘言に引っかかったんだろ。自分が使い潰されるだけだとも知らずに政府の犬共を信用しやがって……哀れな野郎だ」

「お、お前に俺の苦しみの何がわかる!」

「わかんねーよ。わかるのはアンタが俺たちの生活を台無しにしちまったってことだ」


 琥太郎にはよくわからない会話を続ける友人と先輩。

 そんな彼らはまるで自分の知っている二人ではないような気がした。


 誰しも自分のことをすべて仲間に話しているわけじゃない。

 琥太郎だって父親のせいで二等国民から落ちたことは誰にも言っていない。


「言い争いは後にして、今は一刻も早く東京に逃げ込もう。この時間ならまだ二等国民の街は――」


 和喜雄の言葉が急に途切れた。

 琥太郎は運転しながらちらりと横を見る。

 和喜雄は頭を下げたままで表情はよく見えない。

 ガチャリと何かが外に落ちる音がした。


「どうした?」


 ズルリ、と。

 和喜雄の身体が車内に崩れ落ちる。

 真っ赤な血が吹き上がった和喜雄の首から上には何もなかった。


「和喜雄!?」

「ほーら、ダメダメ。よそ見しない」


 前を見る。

 車体前方に女がへばり付いていた。


 ブシーズではない。

 陰気そうな顔をした黒髪の女だ。

 ボンテージ衣装のような黒い服を身に纏っている。

 

「よっと」


 身体が浮遊感に包まれる。

 視界がぐるりと縦に回転した。

 目の前に灰色のアスファルトが迫る。


 琥太郎は外に放り出されていた。

 身体を強く打ち、痛みに耐えながら数メートルほど転がる。

 止まった先で見えたのは乗っていた逆さまになったトラックが地面に打ち付けられる光景だった。


「うぎゃっ!」


 同じく荷台から放り出された直太と洋一が宙を舞う。

 洋一はそのまま地面に叩きつけられたが、直太は……


「よぉっと! 裏切り者は削除ぉ!」


 黒髪の女が飛び上がる。

 コマのように回転しながら蹴りを放った。

 まるで鋭利な刃のように直太の胴体を真ん中から真っ二つにし、周囲に血と臓物の雨が降った。


 黒服の女が降り注ぐ鮮血を浴びながら着地する。

 そして懐からタバコを取り出して口に咥えた。


「ったく面倒くせえな。ようやく念願の国内勤務になったのに、なんだって俺様がまたまたゴリラ共の尻ぬぐいなんざしなきゃなんねーんだよ」

「うわ、うわ……」


 あまりに凄惨な光景に何事が起こっているのか理解が追いつかずに呆然としてしまう琥太郎。

 そして立て続けに友人たちの凄惨な死を目にした洋一はついにパニック状態に陥った。


「うわーっ! 誰か、誰か助けてーっ!」


 洋一は半狂乱で橋の上を駆ける。

 大声を上げながら、二等国民の街へと向かって。


「うるせえなぁ、下等国民」


 黒髪の女は足下に落ちていた石ころを無造作に拾い上げた。


「やめ……」


 声を上げる間もない。

 黒髪の女が投げた石は洋一の頭部を後ろから貫通した。

 頭の半分がはじけ飛んだ洋一は脳漿をまき散らしながら声もなく前のめりに倒れる。


 またひとり友人が死んだ。

 残されたのは琥太郎だけになってしまった。


「さて、と」


 黒髪の女は一口だけ吸ったタバコを放り捨てると、邪悪な笑みを浮かべながら琥太郎の方へと近寄ってきた。


 逃げようとは思わなかった。

 無駄だってことくらいはわかるから。

 ボンテージ衣装の女は琥太郎の前にしゃがみ込んだ。


「おい、ガキ」

「ひっ」


 残虐な殺人鬼が目の前にいる。

 直太と洋一を虫けらのように殺した女が。

 だんだんと麻痺していた恐怖感が舞い戻ってくる。


「なんだぁ、ライオンみてえな髪型のくせにビビり小僧だな。そんなに俺様が怖いか」

「こ、こわ……」


 引きつって声も上手く出せない。

 そんな琥太郎を女はおかしそうに嘲笑う。


「うけけ。まあ仕方ねえよなあ、ダチが目の前で死体になっちまったんだ。平和で退屈な暮らしを送ってるだけの市民様にゃあ刺激が強すぎたか」


 琥太郎は強く拳を握り締め、声にならないうめき声を上げる。

 頬を伝う涙は悔しさのせいなのか恐怖のためなのかわからなかった。


「なあガキ、助かりたいか?」

「……え」


 頬を叩かれた。

 たいして力を入れたようには見えない。

 なのに頭が吹き飛んだかと思うほどの衝撃で吹き飛ばされる。

 琥太郎の頭を掴んで女は再度同じことを問いかける。


「煩わせんな。助かりたいかって聞いてんだよ」


 助かる?

 殺されないで済む?


 嘘だ。

 だってこいつは洋一たちをあんな風に殺したじゃないか。

 きっと助かる希望を持たせた後で嘘だと告げて残酷に殺して笑うつもりだ。


 どうせ逃げることもできやしない。

 だったらせめて、そのふざけた顔に唾を吐きかけてやる。


「……いです」


 そう決意したはずなのに。


「助かりたい、です……」


 身体が、口が、心が言うことを聞いてくれなかった。

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