6 騒がしくも楽しい日常

「おい、今の娘すげー可愛くね?」


 頼太たちが待つ喫茶店に入った時、すれ違った高校生くらいの男の声が耳に入った。

 きっと直央さんのことを言っているんだろう、そうに違いない。


 窓際の席に三人組はいた。

 こちらに気付いて最初に反応したのは楓真である。


「あっははは! 翠なんだよそれ、変なの! あははは!」


 指をさして思いっきり笑われた途端に正気に戻った。

 スイと名付けようが何だろうが、今この格好をしているのは紛れもない自分である。

 馬鹿にされたのはムカつくが逆に開き直るきっかけになった。


「おう、お前らの望み通りに女装してきてやったよ。これで満足か?」

「あはは! マジウケる!」


 四人テーブルの壁側。

 一番奥には何が楽しいのか満面の笑みを浮かべている冷二郎。 

 その隣ではよほどツボに入ったのか楓真がテーブルをばしばし叩いて呼吸困難に陥っていた。

 冷二郎の向かいには頼太が座っており、空いている席のは彼の隣だけなのだが。


「すげえ、可愛い……」


 目を見開いて血迷ったことを呟いてる奴の横に座るのはすごく嫌である。


「……頼太」


 引きつった顔で名前を呼ぶと、頼太はビクッとして窓の外を向く。


「な、何にも言ってねえよ!」

「なにしてんの。ほら早く座んなよ」


 翠がいつまでも突っ立っていると、直央さんに背中を押されて無理やり座らされた。

 しかもそのまま自分も座ろうと押し詰めてくるので自然と三人で密着する形になってしまう。


 肩が触れると頼太は可哀想なくらい窓側の壁に身体を押しつけていた。

 その態度はどっから見ても女の子相手に緊張する中学生男子。

 楓真のように笑い飛ばしてくれた方がよほど楽である。


「やっぱり直央に見立ててもらって正解だったね。すごく可愛いよ、翠」


 冷二郎までそんなことを言う。

 こいつの場合は本気なのかからかっているのか判別し辛い。

 なんと言い返すのが正解かと迷っていると、なぜか得意げに直央さんが答えた。


「へへー、でしょ? じゃあ質問だけど私とこの娘どっちが可愛い?」

「翠」

「ほう即答……?」


 人を間に立てて痴話げんかをするのは止めて欲しい。

 本気で怒っているわけではないようで直央さんはコロっと表情を変えた。

 彼女は近くを通りかかったウエイトレスさんを呼び止めて自分と翠の分の紅茶を注文する。


 しばし五人は喫茶店で歓談に興じた。


 主に直央と冷二郎、そして面白がっているだけの楓真から「次は言葉遣いを女らしくすべき」だの「学校にも女子用制服を着てこい」だのと散々にからかわれた。


 まあ、開き直ってしまえば別にそれほどの苦痛でもない。

 たまたま今日のイジラレポジションになっただけ。

 普段でもミスを犯した時にはあることだ。


 むしろ下手に隠し事を続けてギスギスするよりよほど楽である。

 話が「頼太って態度怪しいけど実は翠のこと好きなんじゃね?」とかいう方向に向かったときはどうしようかと思ったけれど。


「ね、ねえよ! だって、翠は本当は男じゃねえか! そんなの気持ち悪いぜ!」

「おう、そう思ってくれると助かるよ。けど周りの客から注目されたくないから大声を出すの止めてくれるか?」

「そんなこと言って翠、本当はちょっとショックだったりして」

「ねえよ冷二郎。いい加減にしないとぶっとばすぞ」

「あっはっは、あんたら本当に仲良いねー」

「ねえねえ、俺としては翠よりも直央さんと冷二郎の関係に興味あるんですけど」


 ある程度翠の話題が落ち着くと今度は直央さんと冷二郎の関係に水が向けられる。

 翠も反撃してやろうと思ったが、この二人は冷やかしに対する受け流しは柳のように上手い。


 結局、直央さんが実は同じ中学の三年生であるという事くらいしかわからなかった。

 どうやら頼太と楓真に対しては彼女が男であることは秘密のようである。


 仕返しにバラしてやろうかとも思ったが、冷二郎が発した無言の圧力に屈して思い止まる。

 まさかこんなことで危機回避能力RACが発現するとは思わなかった。


 気がつけば夕方になっている。

 付き合ってくれた直央さんにお礼を言って解散することになった。


「明日、学校もその格好で来いよ」

「行くか!」


 馬鹿なことを言う楓真を小突いて彼らと別れた。

 一人で帰路を歩いていると、緩く胸を締め付けるブラの感覚にはやはり違和感を覚えた。


 そうしていると次第に気分も冷めてきて、自分が紛れもなく女の格好をしていることに対して急に恥ずかしい気分になってくる。


 小走りで家に帰り着くと玄関の戸を閉めて即座に服を脱ぎ捨てた。

 間の悪いことにリシアがひょっこりと顔を出す。


「なんで玄関先でストリップしてんの?」

「うるさい黙れ」


 ブラも外して二階の自室に駆け込む。

 シャツを着てそのままベッドに倒れ込む。

 うつ伏せになった胸が潰れて痛いのがまた癪に障る。

 下だけは最後まで男性用パンツを死守したが、何か大事なものを完璧に失った一日だった。


「うう、早く元の身体に戻りたい……」


 枕を抱きしめながら弱音を吐きつつ目を閉じる。


 母さんが帰ってきたら玄関先で脱ぎ散らかした服を見て文句を言われるかな。

 頼太のやつかなりヤバい空気だったけどマジじゃないよな。

 直央さん良い人だったけど変な人だったな。

 結局冷二郎とはどんな関係なんだろう。

 というか冷二郎こそホモだよな絶対。

 そういえばスイって呼び方懐かしいな。

 今ごろどうしてるだろう小学校の頃に仲が良かったあいつ。


 そんな風にあちこちに思考が飛びながら、翠はいつの間にか眠りに落ちていった。

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