9 平穏の終わり

「二等国民なんてモンはちょっと広い庭を与えられただけの家畜と変わりねえんだよ」


 アキナは嬉々として語る。

 翠の怒りなど気にも留めずに。


「病原菌が混じったら焼却処分は当然だよなあ。ついでに教えてやるけど、テメエの母親もすでに連行済みだぜ!」

「母さんにも何かしたのか……?」

「うけけっ、せっかく都内で働ける優秀な大人だったのに、息子がテロリストに荷担したせいで人生台無しってわけだ。運が良くて三等国民に転落。悪けりゃ国外追放だろうなあ」


 こいつの言っていることはいまいちよくわからない。

 だが翠の大切な人たちを奪い、それを全く悪びれていないことは理解できた。


 翠は拳を握り締めてアキナに殴り掛かる。


「おっと!」


 アキナは大きく後ろに飛びつつ地面に球体を叩きつけた。

 激しい煙が巻き起こり、その中から例のロボット・ガゼンダーが姿を現す。


「ははっ、キレてるねえ!」

「おおおおおおっ!」


 翠は恐れることなく出現したロボットに向かって飛び込む。

 腹に拳を突き立て躊躇なく右腕からエネルギーを放つ。


 ディスタージェイドの必殺技クロスシュート。

 圧倒的なエネルギーを持つ極太の光線がガゼンダーの腹部に巨大な風穴を開けた。


 身体の大部分を失ったガゼンダーの骸が校庭に倒れ込む。


「うけけっ! さっそく切り札を使いやがったな、馬鹿野郎がっ!」


 兵器を破壊されたにも関わらずアキナはおかしそうに哄笑を上げた。

 自らは二階相当にある梁の上に避難し、さらに三つ取り出した球体を地面に投げつける。


 視界を完全に奪うほどの煙の中、翠は目を見開いていた。

 彼の周囲に追加で三体のガゼンダーが出現する。


「一体ずつしか襲って来ないって思ってたか? 律儀なアニメの悪役じゃねえんだよ! ほらほら、エネルギーを消耗しちまったテメエがこの数を相手にできるかあ!? じわじわとなぶり殺しにしてやるから覚悟しろやあ!」


 アキナが何を言っているのかよくわからない。


 左右からガゼンダーが襲い掛かってくる。

 頭上に掲げた清国風の青竜刀を振り下ろす。


 翠はら一歩も動かずそれぞれの手で受け止めた。

 指先に力を込めると刃が欠け落ちてバラバラになる。


「……お?」


 身体を軽く半身にずらして三歩ほど踏み込む。

 右側のガゼンダーの腹に拳を当てる。


 クロスシュート。


 翠色の光線が鋼鉄の巨体を貫いた。

 くるりと反転し、次の標的に見据えた左側の敵に接近する。


 ロボットにも恐怖の感情があるのかガゼンダーは数歩後ろに下がる。

 翠はステップで懐に飛び込むと、同じようにクロスシュートで敵を屠った。


 ふわりと跳躍し残った一体の顔面を蹴り飛ばす。

 ボールのように吹き飛んだ首の付け根に拳を叩き込む。

 そのまま下方向に向かって四度目のクロスシュートを打ち込んだ。

 両腕を除いた全身が一瞬で消失し、無機質な鉄の塊がぼとりと地面に落ちる。


「はい、ええ……? な、なんだよその力……」


 戦いに関しては素人。

 ケンカすらろくにしたことがない。

 そんな翠がプロの兵士や恐ろしい兵器相手に戦えるのは何故か。


 それはRACのおかげでもあるが、もっと単純な理由がある。

 クロスディスターの力があまりに圧倒的すぎるからだ。


 一人では生きていけない人間の幼児でも三匹程度の蟻には決して負けることがないように。

 もっとも原始的、かつ絶対的で理不尽な理である力の差。


 前回の戦いでは紅葉の自主的な変身を促すためにわざと苦戦したフリをした。

 リシアと考えたその幼稚な作戦にアキナは見事に騙されたようだ。

 このような勘違いをさせてしまうほどに。


 翠は跳んだ。

 二〇メートルほど離れていたアキナに一瞬で接近。

 その首を掴んだまま校舎の壁を蹴って強引に地面に引きずり下ろす。


「ぐえっ!」


 苦しみの声も翠の耳には届かない。

 翠は怒っていた。

 これまで持っていた「仮にも女だから手加減してやる」などという甘い考えは消失するほどに。


「オラァっ!」

「ぐぺっ」


 顔面を殴りつける。

 アキナは奇妙な声を上げた。

 それが彼女の最後の言葉になった。


「オラアアアッ!」


 二発目のパンチで頬の骨が砕ける。

 アキナは声もなく絶命した。

 翠が殺害した。


 それでも翠の拳は止まらない。


「よくも、よくもっ!」


 顔の原型がわからなくなるまで殴りつけた。

 頭蓋骨は砕け、後には血と肉と脳漿の残骸だけが残った。

 翠は血まみれになった己の拳の感触を不快に思いながら立ち上がった。


「う、動くな……!」


 うつむく翠の周囲を複数人の警察ブシーズが取り囲んでいる。

 国民に向けるものとは思えないゴツいライフルを手にしたゴリラのように屈強な女戦士。


 そんな治安維持のプロたちの声と体は明らかに震えていた。

 常日頃から畏れ敬っているウォーリアを殺害した化け物を前にすればこうもなろう。


 翠が警察ブシーズに視線を向ける。

 彼女は短い悲鳴を上げて銃を落とした。

 翠はその横を悄然としながら歩いて通り過ぎる。


 体育館は依然として激しく燃えている。

 今から中に飛び込めば何人かは救えるだろうか?


 いや、この体育館からは下校時にいつも運動部の声が聞こえていたのを覚えている。

 叫び声のひとつすら聞こえてこないのは、つまりそういうことなのだろう。


 翠は炎に背を向けた。

 校庭の外の街路では一連の出来事を見ていた民衆がパニックに陥っている。

 警察ブシーズが必死に静まらせようとするが上手くいかず、怒鳴り声と同時に破裂音が響いた。


 我慢できなくなった警察ブシーズが発砲したようだ。

 市民の誰かが倒れ、さらにパニックは拡大する。


 民衆の中から茶色い猫が飛び出して翠の足下に駆け寄った。


「翠……」

「これが、オレたちの暮らしていた世界の正体か」


 申し訳なさそうな目で見上げるリシアに翠は問いかける。


「……そうよ。まさかこんな強硬手段にでるとは思わなかったけど」


 猫は答える。

 アキナはさっき翠にこう言った。

 二等国民などちょっと広い庭を与えられた家畜に過ぎないと。


 普通に暮らしていると思っていた。

 自由はここにあると思っていた。

 外の世界なんて関係ないと思っていた。


 だが奴らにとって必要とあれば簡単に身柄を拘束され、簡単に殺される。


 二等国民とはなんだ。

 大人になると大半の人が東京から出て行くのは何故だ。


 自分は何も知らなかっただけじゃないのか。

 何も知らずに暢気に生活し、大人になってから気付くのを待つだけの人生だったのか。

 この街を、この国を、この世界を支配している絶対的な悪の存在に!


 翠は振り返る。

 すっかり怯えた警察ブシーズたちは、それでも翠に銃口を向けていた。


 彼女たちは怯えながらも懸命に燃える背後の建物を守っている。

 その背後では体育館の屋根が崩れ落ちて崩壊を始めた。

 それに巻き込まれて悲鳴を上げる奴もいた。


 あいつもまた被害者の一人なのだろうか?

 もう、ここにいても仕方ない。


「帰ろう、家に……」


 翠は力なくうなだれていた身を起こし、リシアを肩に担いで地面を蹴った。




   ※


 人垣を飛び越え、街を駆ける。

 どこをどうやって来たかも覚えていない。

 気がつくと翠は自分の家の前に辿り着いていた。


 玄関を開ける。

 脱ぎ散らかしっぱなしの服が目に入った。

 昨日、文句を言いながら直央さんに見立ててもらった女物の服。


 これを着ていた自分を喫茶店でからかった友人はもういない。

 これを着た姿を見てもらうはずだった母さんももういない。


「う、うううっ」


 翠は靴も脱がずに玄関先で膝をつき、そして泣いた。


「うわあああっ、わああああああっ」


 止めどなく溢れる涙を拭うこともせず、少女の姿をした少年は慟哭した。


 なぜあの時、学校を離れようなんて思ったのか。

 もう少し慎重に考えて行動すればみんなも助かったかも知れないのに。


 戻らない時を思いながら翠は後悔の涙を流す。

 傍らの猫は黙ってその姿を見守っていた。

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