3 この国の名は
なにか大事なモノを喪失したような気分になりながらも、汗を流してさっぱりした翠は普段通りの服に着替えて出かける準備をする。
しかし、女の身体って柔らかいんだな……
「なにボーッとしてんだよ、変態」
「うっせえぶっ飛ばすぞ!」
元はと言えば元凶である茶色い毛の猫を怒鳴りつけ帽子を被って外に出る。
登校時間はすでに過ぎているため他に学生の姿は見られない。
「でさ、お前はオレに何をさせたいわけ?」
リシアは翠のすぐ横を並んで歩いている。
こいつには聞きたいことが山ほどあるが、猫と話している所を誰かに見られたら変な奴と思われかねないので、できるだけ小声で喋る。
「世界のために戦って欲しいってのが本音だけど、こっちとしてもアンタみたいなガキの手にリングが渡るなんて思ってもいなかったから、どうしようか困ってんだよね」
すさまじく勝手な言いぐさである。
翠は思わず蹴り飛ばしたくなる衝動を抑えながら質問を続けた。
「っていうか、戦うって何とだよ。昨日は国とか言ってたけど……」
「アタシたちの敵はこの紅武凰国そのものだよ」
猫のリシアは短い単語を口にして足を止める。
つられるように翠も足を止め、ほとんど首を真下に向けながら問いかけた。
「なんだそりゃ?」
「は?」
リシアは目をぱちくりとさせ、眉根を寄せて訝し気な目つきで見上げてくる。
「なんだって、紅武凰国は紅武凰国よ。E3ハザードを起こしてこの世界をメチャクチャにした悪の国家」
「だからなんだよその変な名前の国は。世界征服を目論む闇の帝国か?」
「ちが……いや、闇の帝国と言えなくもないけど」
「そもそもどこにあるんだよその国は」
「はぁ!? いまアンタが住んでるこの国でしょうが!」
「いや意味わかんねーし。ここは日本だろ」
翠が当たり前のことを答えると猫は今度こそ絶句した。
そしてブツブツと何かを呟いている。
「なんてことだ、東京自由区の教育はそこまで歪んでるってのか……いや、もしかすると自由の街ってのも建前で実は外周部以上の監視が……」
驚いているんだか馬鹿にされているんだか判別しづらい。
しかし無知を責められていることはなんとなくわかって翠はムッとする。
「オレとしてはお前の方がおかしいんだって思いたいけど」
実際にこうして変身してしまい、喋る猫を目の当たりにしてはすべてが冗談とは断じきれない。
とにかく元の身体に戻れない以上はしばらく付き合うしかないが……
「待ちなさい!」
「なんだよ。置いてくぞ」
リシアは尻尾を振ってこちらを強く睨み付けた。
早いところ黒染めスプレーを買いたいので無視して先を歩く。
すると猫らしく素早い動きで先回りされた。
「あぶねえな、踏んじゃうぞ」
「危ないのはアンタだよ。この街はアンタが思ってるよりずっと危険かも知れないんだ」
「ああ、よそ見して猫と喋ってたら車に轢かれるくらいにはね」
「茶化すな!」
冗談半分の対応に猫が怒声をあげる。
道路の落ち葉を掃いている近所のおばさんがこちらを見てきたので翠は慌てて脇道に入った。
「大声出すなよ。喋ってるのを人に見られたらお前も困るだろ」
「怒鳴ったのは謝るよ。でもアンタは危機感が足りなすぎる。やっぱり今日は帰って情報の共有をしたい。またウォーリアに襲われる前にいろいろと知っておいてもらいたいんだ」
「よくわかんないんだけど、ウォーリアって
「アンタが持ってるクロスディスターリングを狙ってるからって言っただろ」
「よくわからないけど、お前が言ってる紅武凰国ってのはつまり日本のことなんだろ?」
「違うけど、アンタに認識ではそう。この国で間違いないわ」
「って事はもしかしてオレは犯罪者扱いなのか?」
「何を今さら。思いっきり国家警察にケンカ売った重犯罪者よ」
「ちょ、マジかよっ!?」
思っていたよりもずっと大変な状況に気付いて翠は戦慄する。
なにが悪と戦う正義のヒーローだ、完全な悪人じゃないか。
「ウォーリアも名目上は治安維持部隊だし、流石に街中でいきなり襲ってくることはないと思うけど、今日の所は一人にならないよう気をつけな」
「うげえ、買い物なんかしてる場合じゃないような気がしてきたぜ……」
「下手に家の中に閉じこもってるより外にいる方が安全かもよ。とりあえずアンタにはいろいろ説明したいから、適当に落ち着ける場所に向かってくれ」
「黒染めスプレーを買ったらな」
駅前に到着すると、翠は近くにあったドラッグストアへと向かった。
黒染めスプレーを買ってコンビニのトイレに入り鏡を見ながら染めていく。
「下手だなあ。後ろの方とかかなり染め残しあるぞ」
外で待っていたリシアに駄目出しをされた。
「うるさいな……こんなのやったことないんだし仕方ないだろ」
内緒でバイトこそしているけれど基本的に翠はまじめな少年である。
仲間とつるんで悪さをすることもない、どこにでもいる普通の中学生だ。
髪染めに興味を持ったこともあるが、せいぜい高校生になったら茶髪にしようかと思っていたくらいである。
猫の手を借りながら何度かコンビニのトイレを往復。
どうにか髪の色を黒く戻した翠は、次にゆっくり話をするため落ち着ける場所を探した。
しかしペット同判で入れる店など街中にはそうそうない。
しかたないので十五分ほど歩いた先にある大きな公園に行くことにした。
「別にコンビニのトイレを行ったり来たりしないでもここで染めれば良かったんじゃない」
「言うな」
遊具のある辺りでは近所の子どもたちやその保護者がわいわい戯れているが、昼前なのでそれほど人は多くない。
翠は自販機側のベンチに腰掛けた。
周りに人がいないことを確認し隣にちょこんと座った猫に話しかける。
「で、詳しく説明してもらえるんだろな」
「もちろん。そのために来たんだからね」
リシアは人間のようにコホンと咳払いをすると、神妙な声色で話し始めた。
「いいかい? アンタに取っちゃ信じられないような話だろうけど……」
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