12 希望への出立

 たっぷりの食料と、博士から託された腕輪。

 そして必要な荷物を積んだリュックを背負ってリシアはバイクに跨がる。


 エンジンに火を入れ何度か吹かしてみせた。

 派手な排気音、調子は最高だ。


「よし、完璧だよ」


 リシアは博士に向かって親指を立てた。


 見送りにファルは来なかった。

 ちょっと寂しいが、仕方ないだろう。

 自ら憎まれキャラを演じてくれた彼女に恥はかかせられない。


「出発前にトメさんに渡しておくものが二つある」


 そう言って博士が差し出したものは小さな布袋とネックレスだった。


「なんだこれ?」

「こっちはただの交通安全のお守りだ」


 掌に載るサイズの赤い小袋。

 表面にはエキゾチックな模様とリシアには読めない文字が書いてあった。


「親父の故郷にある神社で買ったものでな。御利益とやらがあるかどうかは知らんが、つけておけ」


 どうやら日本の宗教的アイテムらしい。

 今の時代に神を信じるような人間は鼻で笑われるものだが……


 まあ邪魔にはならなそうだし、つけておいても良いだろう。

 リシアはそれをバイクのミラーに括り付けておいた。


「こっちのネックレスは?」

「CDリングを開発していた時に偶然できた副産物でな。お前さんを素敵な姿に変えてくれる、魔法みたいなアイテムじゃ」

「ふーん」

「あ、今はまだ身に着けるんじゃないぞ!」


 首からかけようとしたリシアを博士は強く止める。


「紅武凰国は外部からの侵入への監視が特に厳しく、日本に辿り着いたとしてもそのままでは国境は越えられまい。適当なところにバイクを隠したらそいつを首からかけてみろ」

「素敵な姿って、具体的にはどうなるんだ?」

「その時になればわかる。いいな、絶対に走行中には身につけるなよ!」


 よくわからないが試すのは危険らしい。

 とりあえず、実際に使う時が来ればわかるだろう。

 リシアは受け取ったネックレスをリュックの底にしまった。


「それじゃ、行ってくるよ」

「ああ。気をつけな」

「精々長生きしろよ、じいさん」


 アクセルを捻って発進する。

 バイクは最下層スラムの荒れた路面を軽快に走る。

 リシアは最後に一度だけ振り返り、遠くに見えた博士に手を振った。




   ※


「頼むぞ、リシア。世界を……」


 ファルは物陰からその光景を見ていた。

 博士は去って行くリシアを眺めながら小声で呟く。


 それきり老人はぴくりとも動かなかった。


「まったく無理しちゃってさ」


 ゆっくりとその背中に近づいていく。

 ファルは前に回って博士の顔をのぞき込んだ。

 目は見開いているが、もう瞳は何も映してはいない。


 博士は死んでいた。

 とっくに身体の限界を超えていたのだ。

 想像を絶するような痛みに耐え、旅立つリシアを心配させまいと元気なふりをしていたのだ。


「馬鹿なんだから、本当に」


 目尻に浮かんだ涙を拭う。

 立ったまま大往生なんてカッコつけるにもほどがある。

 どんな強い信念をもって生きてくればこんな見事に逝けるんだか。


 腕が折れていなければ墓でも掘ってやりたいところだが、あいにくとそんな体力もない。

 だがこのまま放置しておけば邪魔に思った誰かがゴミのように端へと追いやるだろう。


 この最下層では人の死など珍しくない。

 引き取る者のいない遺体は道端で腐っていくだけだ。

 ここまで必死に生き抜いた男の末路がそれではあまりに不憫である。


「しかたないわね」


 ファルは整備室に行き、エンジンオイルを持ってきた。

 戻ってくると博士の亡骸はすでに膝を曲げて地面に倒れていた。


 その身体に満遍なくオイルをぶっかける。


「大好きな匂いに包まれて逝けるなら満足でしょ」


 火をつけたライターを落とす。

 博士の亡骸は勢いよく燃え始めた。


「さよなら、博士」


 故郷から遠く離れた地で老人は身寄りもなく果てた。

 自らの手で組み上げた最後の希望を他人同然の少女に残して。

 ファルは炎が消えるのを見届けることなく、ガランとした隠れ家へ戻っていった。




   ※


「ほらほら、どけどけどけぇっ!」


 博士から託されたバイクを運転するリシアは上機嫌であった。

 カーフロートシステムを搭載したタイヤは最下層の未舗装道路でも問題なく走る。


「なんだ、うわっ!」

「アブねえ!」


 道行く人たちは何事かと振り返った後、高速で迫ってくる機体に気づいて慌てて飛び退く。


 地下都市の車は専用通路を走るものである。

 時速八〇キロオーバーで走行する車両など軌道電車くらいしか存在しない。

 ましてやこんな狭い路地をバイクで走るなど、それだけで重犯罪というべき暴挙である。


 ギアを落として爆音を響かせ、周囲に威圧感を与えつつ地上へ繋がる坑道を目指す。

 皆が自分を恐れて道を空ける感覚はまるで世界の王にでもなったような気分だった。


 と、逃げる人の流れに逆らって向かってくる勇敢な者がいた。


「止まれ貴様っ!」


 緑色の軍服を纏った治安維持軍の兵士である。

 腰だめに構えられたカービン銃を見て一瞬ギクリとする。

 しかし気が大きくなったリシアは姿勢を低くして思いきりアクセルを開けた。


「みんなの仇だこの野郎っ!」


 こいつが隠れ家を強襲し、ファルたちを傷つけてバギーを破壊した兵士の仲間かはわからない。

 だが、とにかく溜まりに溜まった鬱憤を晴らすには絶好のチャンスであった。


「死ねっ!」

「ぐぎゃーっ!?」


 リシアは速度を緩めず立ち塞がった兵士を撥ね飛ばした。


「へっ、ざまあみろっ!」


 兵士に対する暴力行為は即座に死刑レベルの罪である。

 だがそれも地下都市を出るリシアには関係のないことだ。


 勢いのまま坑道に入る。

 炭鉱夫が驚いて尻もちをついた。

 リシアはからかうように中指を立ててそのまま通り過ぎる。


 トロッコのレール上は枕木でデコボコだが走れないほどではない。

 少し前に苦労してバギーの箱を押し歩いた道をあの時とは段違いの速度で駆け上がって行く。


 坑道を照らすのは等間隔で照らす蛍光灯とヘッドライトの頼りない明かりのみ。

 その中で狭い軌条の間を走るのはさすがに神経を使ったが、一時間とかからず地上の明かりが見えて来た。


 以前はここからが長かったな……

 なんてことをふと考えた瞬間、ヘッドライトの光が消失した。


「わっ、と」


 思わず軌条を踏んでしまいバランスを崩す。

 ぶれるハンドルを押さえ込んでなんとか体勢を立て直した。


 どうやらここから先は地上の影響範囲。

 電気エネルギーの消失した土地の始まりだ。


 光のトンネルを潜って外に出る。

 二度目の地上は前回よりもずっと太陽の光を眩しく感じた。


 リシアはバイクを停めて深く息を吸い込んだ。

 地下ではいくらエアダクトが効いていても隠しきれない息苦しさがここにはない。

 やっぱり人間が生きていくべき場所はこの地上なんだ。


 博士とバジラの魂、そして技術の粋を集めて作られたこのマシン。

 こいつで広大な大地を駆け抜けてまだ見ぬ地平を目指す。

 こんなに素晴らしいことが他にあるだろうか。


「うーん、それじゃ行きますかぁ!」


 マグネット式の方位磁石をタンクに固定。

 カーナビやGPSなんて便利なものは存在しない。

 進むべき方角を決めたらひたすら勘を頼りに走るだけだ。


 まあ、何とかなるだろう。

 大地はどこまでも続いているのだから。


 バッグに大量に積んだコアピースの欠片を水に溶かして燃料にするだけで数万キロは走れるし、いざとなればそこらの廃墟で探せばいい。


 問題は食糧だが、たぶん何とかなるだろう。

 だって、この地上は別に死の世界なんかじゃない。

 機械文明を捨てて自然と調和した人も多く暮らしている。


 リシアはアクセルを全開にし、バイクの性能限界を試すかのように思いっきり駆けた。


「ひゃっほーい!」


 草原を抜け、荒れた舗装路を走り、雄大な雲の流れを追う。

 圧倒的な開放感の中で最高の気分を味わっているリシアはまだ気付いていなかった。

 この旅が果てしないものになるということを。


 地球半周分にほぼ相当する長い長い旅。

 その後に待っている、地球の運命をかけた闘いを……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る