5 修練

 秋山の家における普段の稽古の厳しさは町道場の比ではない。

 それは稽古などという生やさしいものではなかった。


 まさに命がけの修練である。

 立ち会いは竹刀など使わずすべて鉄製の模造刀。

 気を抜けば骨が砕ける大怪我を負うことも十分にあり得る。


 とは言え、修練のほとんどは武器を持たない肉体鍛錬だ。

 技を教わるのはそれと相応しいと見なされた時だけである。


「ついて来い」


 実家の裏山。

 秋山家現当主の秋山透輝が低い声で兄弟に指示を出す。


 透輝は目の前の大木を駆け上がった。

 両手を使わず足の動きだけであっという間に枝上に移る。

 それも大人の体重で乗れば折れてもおかしくないような細い枝の上だ。


「陸玄」

「はい」


 名指しされた兄が同じように木を駆け上る。

 四歩目を踏みしめた直後にどこからともなく矢が飛んできた。


 陸玄は側面を蹴って隣の木に移動する。

 そこに狙い澄ましたように足下に別の矢が刺さった。

 紅葉からは完全に当たったように見えたが、陸玄は再び跳んで躱す。

 そのまま元の木に飛び移って父の傍の枝上に立った。


「よくぞ躱した。続けて行くぞ」


 陸玄に対して称賛の言葉を送る透輝。

 言葉と裏腹に息子の上達を喜ぶような表情はない。

 獲物を狩る獣の瞳で陸玄を睨んだかと思うと、枝から枝へと飛び移り、懐に隠し持っていた短刀手裏剣を投げつけた。


 陸玄はそれを難なく避けるが、またしても別角度から矢が飛んできた。

 この矢はすべて事前に透輝が仕掛けていたトラップである。

 

 二人は枝から枝へと跳び回る。

 地上の紅葉からはあっという間に視認できなくなった。

 葉がざわめく音に紛れて矢の風切り音だけが時折聞こえてくる。


 これはあらゆる角度から跳んでくる攻撃を躱しつつ木上で自在に動き回る修練である。

 もちろん攻撃が当たれば大怪我は避けられない。

 実戦さながらの危険な修練だ。


 剣術道場はあくまで表向きの姿。

 秋山の真の技は余人に教えられるものではない。

 祖父から父へ、父から子へと代々伝わる、歴史の影に潜む裏の者の業である。


 このような動きを可能にするのは厳しい鍛錬のたまものというだけでは説明がつかない。

 いったいどれほどの身体能力が必要か、それにしたって枝を折らずにこれだけ跳び回るのは異常である。


 陸玄はもちろん、透輝も見た目は常人離れした体格を持っているわけではない。

 少なくとも外見上は村の他のたちと何ら変わりない。

 人の身でこのような動きを可能にするのは秋山の家系の者が持つ特殊な才能なのだ。


 それでも本来なら陸玄の歳で行われるような修練ではない。

 父がどれほど兄に期待をかけているのがよくわかる。

 木上の鍛錬は紅葉も行っているが精々枝から枝へと飛び移る程度である。


 陸玄もただ攻撃を受けているだけではなかった。

 ちらりとその姿が木々の隙間から見える。

 驚くべきことに正面から跳んできた短刀を指先で挟んで受け止め、そのまま父に投げ返すという反撃を行っていた。


 やはり兄は凄い。

 このままでは二十歳に届く前に父を超えてしまうのではないか。

 紅葉はもちろん父のことも尊敬していたが、それ以上に類い希な才覚を持つ兄の事を誇らしく思う。


 しばし二人の修練を目で追っていた紅葉。

 だがふと異質な気配が空気の中に混じっていることに気付く。


「父上――っ」


 紅葉が呼ぶより早く透輝と陸玄は地面に降り立った。


 自分が心配するまでもない。

 紅葉がわかる程度のことに二人が気付かないわけがないのだ。


 透輝は立て掛けてあった斧を担ぐ。

 すると急に無言で近くの木を力一杯打ち始めた。


 父は兄弟に目配せをする。

 陸玄と紅葉は並んで樵に扮した父を眺める。


 十秒ほどして林の中を複数の人間が近づいてきた。


「おい、貴様らは何者か?」


 尊大な物言いの野太い声。

 全身を緑と茶の迷彩色の服に身を包んでいる人物が三人。

 みな身長は二メートル以上はある、怖ろしいほど筋骨隆々な人間だった。


「何者って言われても、この辺りで樵なんぞをして生計を立ててとしてる者ですが」


 答える透輝の声にはさっきまでの覇気が欠片もない。

 実の息子相手に命がけの修練を施していた鬼師匠とは思えない変わり身の早さだ。


「この辺りに林業を営む者がいるとは聞いていない」

「昨年に色気を出して二期作をやった結果、畑が一枚ダメになっちまってね。とられる年貢でカツカツなんで食いっぱぐれないよう今年から始めたんさ。いま子たちに木の倒し方を教えてたところよ」

 

 迷彩服の人間は蔵の図鑑でみたゴリラという生き物によく似ていた。

 わずかに顔を歪めたが、どうやら納得したらしく鼻を鳴らす。


 他の二人も豚か牛かというおよそ人間離れした顔つきをしている。

 その凄まじい筋肉も相まって本当に人かどうかも怪しく思う。

 体つきをよく見れば胸部が不自然に盛り上がっている。

 信じがたいことに三人とも女性のようだ。


「そういうあんたたちこそ何者だよ」

「こら、陸玄! なんて口の利き方をする!」


 陸玄が無邪気を装って不遜な態度で尋ねる。

 透輝がすぐに強く叱るが、もちろん二人の演技である。

 いくら何でも分別のつかない子供の言動でなにかをされることはないだろうという打算あっての行動だ。


 ゴリラ女は別段機嫌を損ねた様子もなく端的に答えた。


「我々は『ブシーズ』だ」 

「へぇ……」


 透輝の目が鋭く光る。

 裏の者の表情が垣間見えたが、一瞬のことなのでゴリラ女は気付かなかったようだ。

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