7 棄民
陸玄がいない間、紅葉は一人で町の道場に出かけた。
自分では上手くスケートボードを乗りこなせないので仕方なく徒歩で二時間かけて山道を下る。
「おはようございます紅葉さん!」
「紅葉さん、はよざっす!」
前回の兄弟模擬戦のせいで紅葉はにわかに門下生から信頼を向けられるようになってしまった。
おかげで蔵に籠もって読書をすることを許してもらえないので個人的にはあまり嬉しくない。
下手ながらも兄に変わってマジメに門下生たちに剣術を教えることにする。
もしかして陸玄は自分がしばらく留守にすることを見越してあの模擬戦を行ったのでは……
というのは考えすぎだろうか。
陸玄がいなくなって三週間め。
つまり一人で町に通うようになって三回目の日だ。
紅葉は道場に向かう途中の道端に人だかりができているのを目にした。
「この野郎!」
「いぎゃっ」
なにやら怒声と悲鳴が聞こえてくる。
これはただ事ではないと思って人だかりに割り込んだ。
すると一人のみすぼらしい格好の青年が複数の男たちから暴行を受けている姿があった。
「何をしているんですか」
紅葉は男たちに声をかけた。
兄の代理として来ている以上、もめ事を見過ごすのは気が引ける。
そうでなくとも集団で寄って集って暴力を振るう人間を見るのは気分がいいものではなかった。
「ああ、秋山の坊ちゃんじゃねえっすか」
秋山一家は修行のために街道から外れた村のそのまた奥に居を構えてはいるが、本来の道場師範ということで町長や町三役と同じくらいの名家扱いを受けている。
父の透輝が以前に近隣に出没した山賊団を退治した実績もあって多くの信頼を受けている。
集団の中心で主に暴力を振るっていたのは町で酒造を営む男性であった。
兄と話しているのを何度か見たことがあるが、気のよさそうな人だったと記憶している。
しかも彼はいわゆる若衆の一人で町の自警団のような役目も担っていたはずだ。
ボロボロの青年が紅葉の足下に縋り付くように這い寄ってきた。
「そ、そこのアンタ。助けてくれ――」
「馬鹿野郎テメエ、誰に向かって口を効いてやがる!」
「ぐわっ」
別の人物が這いつくばる青年を蹴り飛ばす。
こちらも若衆の一員だ。
「落ち着いて下さい。一体彼が何をしたんですか」
二百人近い町人の顔をすべて覚えているわけではないが、少なくとも紅葉はこの暴力を受けている青年に見覚えがない
「こいつ、紅武凰国からの棄民なんですよ」
「棄民……」
若衆の言葉に紅葉は眉をしかめた。
日本は隣国である紅武凰国は同盟関係にある。
とは言え、ほとんどの日本人は紅武凰国を強く嫌っている。
圧迫感を与え太陽の光を隠す塔の存在に先日のブシーズのような高圧的な態度。
それらもさることながら紅武凰国の民は自分たちとは隔絶した文明と生活水準を持っている。
誰もが国家の庇護を当然のように受けて、飢えることも戦に巻き込まれることもない平和な生活を送っている。
そして何より、彼らの国の落伍者――理由は様々だが、紅武凰国に相応しくないと見なされた者――を棄民という形で日本に押しつけるからだ。
まるで流刑地のような扱いである。
向こうは楽園、こちらは地獄とでも思っているのだろうか。
とはいえ彼も同じ人間には違いない。
紅葉はわずかに怒りを込めて酒屋の主人に言った。
「棄民だからって理由で差別していたんですか」
「いえいえ! 真っ当に働くなら棄民だって普通に扱いますよ!」
酒屋の男性は慌てて弁解をする。
「こいつには便所汲みの仕事を教えていたんですが、こんなのは人間のやる仕事じゃないとか抜かしやがったんですわ。どうやら罪を犯して二等国民から一気に棄民扱いになったらしくて、無駄にプライドだけが高いみたいで。これはちょっと仕置きしてやらねえとと思った次第でさ」
彼の言う理屈は正しい。
基本、町では働かざる者食うべからずだ。
好き嫌いで仕事を選ぶなんて町の大人としては失格である。
町の人から見れば厄介者を押しつけられているようなものであり、そのせいで誰かの仕事が減っているという問題も出ている。
むしろ仕事を与えてもらた時点でこの青年は運が良いと言える。
場合によってはいきなり海外の最前線に放り込まれる棄民もいるらしい。
酒屋の主人が説明する足下で青年は身体を縮めて蹲りながら何かブツブツと呟いていた。
「訴えてやる、訴えてやる……」
自分が間違っているとは微塵も思っていないのだろうか。
紅葉はそんな彼の態度にうすら寒いものを感じた。
「お話はわかりました。ですが往来であまり大きな騒動を起こすのはよくありませんよ。周りの皆さんにも迷惑だと思います」
「いや、すいません。ちょっとカッとなっちまって、反省してますわ」
「ほら立て! 迷惑だろうが!」
若衆の一人が青年の襟首を掴んで無理やり立たせる。
「うう、訴えてやる、訴えてやるからな……」
「いつまで寝惚けてやがる、テメエはもう紅武凰国の人間じゃねえんだよ! 飢え死にしたくなきゃしっかり働きやがれ!」
「ううう……」
若衆たちが三人がかりで青年を運んでいく。
野次馬に集まっていた人たちも三々五々散らばっていった。
世界で最も住みよいと言われる国に生まれながら、国家から捨てられた男。
あんなみすぼらしい姿になっても身についた気質は変えられないらしい。
紅葉は何とも言えないような複雑な気分でその場を後にする。
その日の道場稽古はいつも以上に口数が少なくなってしまった。
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