4 学校

 十八歳以下の若年者は午前に二時間の勤労を行った後、普通に学校に通う。

 移動に使える時間はたっぷりあるが、周りがまだ働いている工場に居残る理由もないので着替えてすぐに外に出た。


 二時間前まではバスで溢れていた道路も今は閑散としている。

 自分と同じ若年工員向けの通学バスが時折走っているのを見かける程度だ。


 当たり前だがウラワコミューン内に自家用車などは存在しない。

 移動はすべて公共バスを使うし物流は夜のうちに二等国民の配送員によって行われる。


 間の悪いことにちょうど通学バスは会社前を通り過ぎたばかりのようだ。

 この時間帯は次の車両が来るまでに十五分ほどかかる。


 琥太郎は迷った。

 学舎まではここから走って二十分ほどだ。

 バスに乗っている時間も含めれば待ってもほとんど時間は変わらない。


 授業が始まる前に昼食休みもあるし、少しくらい体力を使っても問題ない。

 結局、琥太郎はバスを待たずに学舎まで走ることにした。


「はっ、はっ」


 仕事中も走り回り、今もこうして走っているが、琥太郎の顔に疲れの色はない。

 歩いているだけでも汗ばむ初夏の陽気が彼にとってはただ心地よかった。


 横の路地から緑と茶色の迷彩服を着た人間が姿を現した。

 琥太郎より二回りは大きく全身が筋肉の塊のような見事な体格。

 野生の獣を思わせる獰猛な顔つきをしているが、これでも女性である。


 紅武凰国の治安を守る特殊警察ブシーズの女兵士だ。

 面倒くさいやつに出会ってしまったと思った時には荒々しい口調で呼び止められた。


「待て貴様。こんな時間に何をしている。IDと所属を名乗れ」

「14929164番。七番家電工場若年工員です」

「照会するからちょっと待ってろ…………ふむ、間違いないようだな」


 彼女の手持ちのPDAには恐らく琥太郎の個人情報と顔が映っているのだろう。

 権限のある人間ならばいつでもIDから三等国民のデータを参照できる。


「こんな所で何をしている。学業はどうした」

「バスが行ってしまったばかりなので学舎まで走って行こうと思いました」

「馬鹿かお前。少し待てば次のバスが来るだろうに、せっかく国がお前らのために用意してくれている公共の交通機関は有意義に使え」

「……」


 なんとなくの気まぐれを馬鹿呼ばわりされてムカついたが、ブシーズに逆らうなんてことが出来るはずもない

 琥太郎は内心のイライラに耐えながら女兵士の説教をやり過ごした。


 女兵士は自分が言いたいことだけ言うと、自分勝手に話を切り上げてさっさと立ち去っていった。

 差別も階級もないという建前のウラワコミューンにおいてもブシーズだけは別である。

 あいつらこそ女王の教育を受け直すべきだと琥太郎は思った。


 とりあえずランニングするような気分ではなくなってしまった。

 琥太郎は学舎までダラダラと歩いて行くことにする。

 すぐ横をスクールバスが通り過ぎていった。




   ※


 五十万人が暮らすウラワコミューンだが、都市内に学校は四つしかない。

 すべて小中高一貫教育の総合学校で琥太郎の所属するミナミスクールの生徒数は五〇〇人程度。

 他の三校も同じくらいらしい。


 人口比率を考えれば明らかにおかしいが、それだけ十八歳以下の若年層が少ないという証拠である。

 ちなみに小学校は四年生からで三年生以下は存在していない。


 十歳以上になると午前中は若年工員として大人に混じって働く。

 そして午後のわずかな時間に机を並べて教育を受ける。

 これが三等国民の若者の一般的な生活リズムだ。


 授業が始まるのは一時から。

 それまでにどこかで昼食を取る。

 工場に食堂がある学生はそこで食べてから登校しても良いし、弁当持参が良ければ配給を多めに申請することもできる。

 琥太郎はいつも少し早めに登校して学校の食堂を利用することにしていた。


 食堂では事前に配給された引換券を使って自動券売機で食券を買う。

 一日のうちで唯一自分の意思で食べるものを選べるのがこの昼食の時間だった。


 といっても選択肢はそれほど多くない。

 無難にカツ丼を頼んで販売所に持って行く。


 すぐにカウンター前の隙間から食品が出てきた。

 ちなみにこの向こう側に何があるのかは一切見えない。

 作り置きだとしても美味いから文句を言うつもりもないが。


「琥太郎、こっちだこっち!」


 トレイにのせたカツ丼を持ってテーブルの間を歩いていると、端っこに陣取っている三人組から声がかかった。


「今日はずいぶん遅かったな」

「ヘアのセットに時間がかかったのか?」

「うるせ。バスに乗り遅れたから歩いてきたんだよ」


 四人がけテーブルの空いている席に座る。


 正面の琥太郎を呼んだ男が洋一。

 その隣のやたら前髪が長い男が真男。

 右側の髪型をからかってきた男が和喜雄。

 みなクラスが同じ琥太郎とは仲の良いグループである。


「14929164! 親友にちゃんと挨拶をしなさい!」

「あ」


 しまった、と思った時には周りから失笑が漏れていた。

 挨拶を疎かにしたことではなくPDAの設定を変えてなかったことに対してだ。


「早く事務室に行ってこいよ。それとも逐一女王様の説教を聞きながら食うつもりか?」

「いや、ひとっ走り行ってくる」

「カツ丼冷めちまうな。食っておいてやろうか」

「勝手に食ったらぶっとば……いや、絶対にやめてください。親友和喜雄」


 こっちが悪態を返せないと知って調子に乗ってる和喜雄は後で小突くとして、とにかく琥太郎は食堂を後に事務室へと急いだ。


 今日は空腹とブシーズに会ったイライラのせいで忘れていたが、学校に来たらまず事務室へ行かなくてはならない。

 そこでワンタイムパスワードを発行してもらってPDAに入力すると女王の監視が学業モードに変わって注意や指導が平時に比べて緩くなる。

 監視がなくなるわけではなく、もちろん度を超した行為に対しては注意が入るが、若年層らしい言葉遣いの悪さやちょっとしたふざけ合い程度は許容してくれるようになるのだ。


 工場で働いている間は大人に混じってコミューンの民としての役目を果たす義務があるが、学校にいる間くらいはのびのびと羽を伸ばしても良いという女王様からのありがたいご配慮である。


 事務室に声をかける。

 無事パスワードを発行してもらいPDAを学業モードへ切り替えてダッシュで食堂に戻る。

 途中で小学生くらいの男子にぶつかりそうになったが軽い謝罪だけで女王から文句は出なかった。


 戻るとカツが一切れ消えていたので、とりあえず犯人とめぼしき和喜雄を一発殴っておいた。

 学業モードでなければこの短時間に三回は女王の怒声が飛んでくるところだ。


 三等国民の若者にとっては自宅以上に気の休まる場所。

 それが学校なのである。

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