13 消去

 迫り来る死への恐怖に対する防衛本能。

 命乞いすら許されなかった仲間たちを思えば、なんという身勝手か。

 もしこれが映画の中のワンシーンだったなら琥太郎はその登場人物を心底軽蔑していただろう。


 それでも、琥太郎は死にたくなかった。

 本能的な生存欲求がプライドを容易く乗り越える。

 そして琥太郎にこんな惨めな言葉を言葉を吐かせてしまう。


「うけけ。そうだよなあ、あんな風に死ぬのは嫌だよなあ。いいぜ、助けてやるよ」

「え……」


 あまりに予想外な言葉に琥太郎はきょとんとした。

 本当に殺されないで済むのだろうか?


 いや、これは罠だ。

 安心したところをグチャリとやる気だ。

 そうに決まってる、絶対に希望なんて持っちゃダメだ。


「そんな顔すんな、本当に生かしてやるよ。つーか調子に乗ってぶっ殺しまくっちまったけど、実のところ一匹だけでも持ち帰らねえと体裁が悪いんだよ」

「な、何を言って……」

「見るからに素質はなさそうだし、死ぬのがちょっと伸びるだけかもしれねえがよ。一般人でも運が良けりゃウォーリアになれる可能性はある。そんときゃ今日の出来事も全部忘れてるだろ」


 琥太郎は目を見開いた。

 殺されることはないかも知れない。

 だけどこいつらは自分のことを壊すつもりだ。

 記憶を変え、別の人間にされ、まったく違う人生を歩むことになる。


 三等市民になった時に忘れたのは自分の苗字だけだった。

 紅武凰国の支配者たちは人の記憶を改ざんすることなんて造作もない。

 きっとこの女の言う通りにしたら、自分はもう今の自分ではなくなってしまう。


「嫌だ、そんなの、嫌……」

「あーうるせえ。ちょっと寝てろ」


 一切の抵抗は無駄だった。

 鳩尾に突き上げを喰らい、琥太郎の意識は闇に沈んだ。




   ※


「アキナ殿!」


 気絶した琥太郎を肩に担いだアキナの所にジープに乗った数名のブシーズ兵士がやってくる。

 アキナは黙って琥太郎の身体を放り投げて彼女たちに渡した。


「ほら、捕獲しておいてやったぞ。責任もって連れて行け」

「は? しかし、この男は別に危険遺伝子の保持者ではないのでは……」

「黙って従え。いいか、もしコイツが危険遺伝子の持ち主じゃないとしたら、それは監視役を与えた市民協力者の失態だ。そいつは抵抗するそぶりを見せたから処刑しちまったが俺様はきちんと任務を全うしたぜ。お前らも上にしっかりそう伝えておけよ?」

「は、はっ!」


 姿勢を正して敬礼をするブシーズ兵士たち。

 彼女たちに後を任せると、アキナは不満を口にしながら橋を渡っていく。


「ったく、都市内勤務も意外と面倒くせえなあ。上役は勝手だし、俺様が一年前に掴まえてきたウォーリア候補もみすみす逃しちまったくせに、代わりを用意しろとかふざけんなよ」


 そしてアキナは再びポケットから取り出したタバコに火をつける。


「ま、外と比べてメシは遙かに美味いのは良いんだけどな」


 紫煙を燻らせながら、いつしかその姿は闇の中へと消えていった。




   ※


 礼治が体操着に着替えてグラウンドに行くと、すでに他のクラブ員たちはみな集合していた。


「練習を始めるぞー!」


 高校二年生のキャプテンの掛け声と共にクラブ開始。


「イチ、ニ!」

「イチ、ニ!」


 まずはいつものランニングからだ。

 キャプテンの久志を先頭に声を出しながら一周四百メートルのグラウンドを廻る。


 小学生もいるので初めはゆっくり目にスタート。

 二週目からは中学生以上、三週目は基本高校生だけになる。

 その都度ペースも上がっていき、ラストはほとんど全力疾走状態だ。


「ついてこれるやつはついてこい!」

「はい!」


 礼治は三週目になっても脱落せず高校生のペースに合わせて最後まで付き合った。

 流石に走り終わる頃には息も上がっているが、何とか三番手をキープすることに成功した。


「ハァハァ……やっぱ久志さんと篤さんには敵わないな」


 グラウンドにへたり込む礼治。

 そんな彼をキャプテンの久志が叱責する。


「ほら、モタモタすんな! すぐにキャッチボール始めるぞ!」

「ういーっす!」


 二人一組になってボールを投げ合う。

 礼治は唯一の同級生である久貴と組みながら愚痴をこぼした。


「あー、試合やりてえなあ」

「文句言うなって。うちのソフト部は人数が少ないんだからしかたないだろ」


 クラブ員は全部で十三人。

 二チームに分かれて試合をすることすらできない。

 内訳は高校生が五人に、中学生が礼治を含めて二人、小学生が五人である。


「けどよお……あー、転校生でも入ってこねえかなあ」

「ねーよ、どこから人が来るってんだ。来年まで待って小学生の入部に期待だな」


 今日もひたすら練習にのみ精を出す、ミナミスクールのソフトボールクラブの少年たち。


 彼らは知らない。

 覚えていない。

 気づかない。


 つい昨日までは二チームに分かれて試合ができるだけの人数がいたことを。

 キャプテンが久志よりひとつ年上の別の人間だったことも。

 かつて苗字を持つ二等市民だったことも。


 近い将来、突然見知らぬクラブ員数が増えたとしても変わらない。

 素知らぬ顔で受け入れて今日の不満は覚えていないだろう。


 彼らの記憶は数日ごとに書き換えられている。

 わずかな例外、危険遺伝子の保持者を除いて。


「よーし、次はノックいくぞーっ!」


 偽りの青春を謳歌する少年たち。

 その姿をウラワコミューンのローカル女王の肖像が優しげな笑顔で見下ろしていた。

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