第42話
雨音が耳朶を打つ。
続いて薪が燃える音、湯の煮える音。
まるで、要塞の中にいるような安心感だ。
ゆっくりと目を開けると、そこには知らない天井があった。
「へ、ヘラクレイオス。起きた」
「ザクロか。ここは?」
「あ、あの赤と青が使ってたき、拠点の村。大丈夫、今は私たちしかい、いない」
体を起こすと、全身が激痛を訴える。
特に、折れた右腕と背骨の主張が激しい。奥歯を噛み締めてやり過ごすが、鈍痛はいつまでも残っていた。
「まだ、な、治ってないから、動かない方が良い」
「そのようだな……すまない。水をもらえるか?」
「う、うん」
ザクロが水差しからコップに移した水を勢いよくあおった。
冷たさが体に染み渡る。戦帰りの水は、
「は、
「よく生きていたな」
あの三人衆もしぶといものだ。二人の騎士の対決だけでなく、天災のような
「そ、それで傷ついたヘラクレイオスを見て、安全に休めるってここに」
「確かに奴らは溺れかけていたところを介抱されたのだろうが」
私にとっては紛れもない敵地だ。常駐している兵がいたら、どうするつもりだったのか。
もしかして、罠にかける狙いがあったのか?
いや、あの間抜けたちだったらそこまで考えられないだろう。恐らく彼らなりの善意だ。
「……まあ結果的に助かった。もし次会うことがあったら礼の1つでもしなければな」
「す、すぐに戻ってくると思うから、その時にね」
「まだ逃げてないのか……やはり山賊に向いてない奴らだ」
ザクロは体を震わせる。どうしたのかと顔を覗くと口を抑えて、眼尻にしわを作っていた。笑っているのか。
雨音を聞きながら、ベッドの上で語らう。
穏やかで静かな時間だ。もし、私が家族を作り、娘が生まれたらこのような感じになるのだろうか。
家族といえば、5年以内に嫁を見つけて行かねばな。35歳で未婚ではスパルタの市民権を失ってしまう。
詮のないことを考えていると、ザクロが話を続ける。
「み、3日間、ずっと寝てたんだよ」
「そんなにか」
「ほ、本当だったら死んでもおかしくないき、傷だった。回復魔法もないのにお、起きたのはすごいことだよ」
「3日間寝ていたということは、3日間誰でも私を殺せたということだ。恥じることはあっても、誇ることではない」
「ヘラクレイオスは自分に厳しい……」
「自らに厳しくなければ、スパルタ人など名乗れぬよ」
そのためにスパルタでは7歳で親元から離して訓練させられる。親の顔より、教官の顔と
それこそ、自分の赤子が病弱と判断されたならば、谷底に落とす覚悟が出来るほどに。
「そんなことより、良いのか?」
「な、なにが?」
「私は先の戦闘で、ある程度納得した。ここで死んでもしかたないと」
共に戦い、信頼関係を築いた自負はある。しかし、彼女の目的はあくまで私の肉体、屍体なのだ。
「私を不死兵にするならば、寝ている内に殺すべきだった」
「…………」
うつむいた彼女の顔を窺うことは出来ない。今気づいたという驚きか、やればよかったという後悔か、いつもどおりにへらと笑っているのか。
顔を上げて、私に向き合ったザクロはそのどれでもなかった。
いつになく真剣な表情だ。
「え、エルフはね。長命なの」
とつとつと、ザクロは喋りだした。
「古のエルフが神々に近しい存在ならば、エルフも不老ということもあろう」
かつてギリシアも
「長命ってだけで、に、人間とは同じ時間を過ごせない。最初はき、気にならなかったけど、いっぱい別れるうちに、だんだんと寂しくなって、それでし、死霊術を覚えたの」
「屍体の傀儡を侍らせて、無聊を慰めていたと?」
「ひ、ひどい言い方……でもそ、そんなとこ。だけど死霊術は、人間に嫌われた。不気味がって、さらに近づく人がいなくなった」
「そうであろうな」
ギリシアでもこの国でも人の死は悼み、弔いを行う。それを侮辱し、弄ぶならば、誹りは免れまい。さらには腐敗した肉は疫病を運ぶ。好き好んで近寄る者は誰もいない。
「もう、そろそろし、死んでもいいかなって考えてた。そんな時、あなたにで、出会った」
「私にだと?」
「い、いつもどおり殺して、不死兵にしようと思ってた、のにヘラクレイオスは、最初から死んでいた。死んで生き返ったに、肉体には強い自我は残らないのに、自分の意志で生きていた」
「ああ、確か私に触れた時に死んでいると言ったな」
「うん、それで不思議だった。もっと見ていたくなった。だから、蘇ってあなたに同行したの」
「肉体はおまけだと?」
「ほ、欲しいけれど、もう、魂のない肉体に、そこまで興味をもってない」
ザクロは腐敗した顔面を歪め、にへらと笑う。
「今は、誰よりも苛烈にい、生きているあなたに興味津々。だから、もう少し、あなたが死ぬまでの間だけでいいからわたしも生きてみ、見届けたい」
無垢ではない。無邪気でもない。彼女は歪みきっている。
どれだけ死別を繰り返したら、人の一生を短いと言えるのか。
平気で屍体を操れるのか。
そんな彼女と共に歩むものなど、きっとこの国にはいないだろう。
だから、彼女を利用しようとする私もきっと歪んでいる。
「いいだろう。その代わり条件がある」
「ほ、ほんと。条件って?」
私の望みはただ1つ。
「語り継げ」
「語る?」
「あまねく全ての者に、スパルタはここにありと。詩として、物語として、いつまでも。やがて風に乗ってはるか遠くのスパルタの地に届くほどに」
記憶は人の死によって消え去る。
神の御業も、英雄の偉業も、皆が語るからこそ続いていく。
もしかしたら、レオニダス王と私を含めた300人の兵士も、時を越えて語り継がれるかもしれない。
スパルタがトロイアのように滅び、人々が異なる神を信じるようになっても、アジアの覇者を食い止めた勇姿が、ありありと残っているのかもしれない。
そうであれば、スパルタとして生きたことを誇りに思う。
スパルタとして死んだことを誇りに思う。
「オークに虐げられる都市を解放し、神話の怪物を倒した私を歴史に刻め」
「わ、わかった」
それが、スパルタ人にとって生きるということだ。
顔を上げると、窓から見える雨は上がっていた。
陽光が草木の水滴を照らし、世界が輝く。空に架かる
私は、この国で初めて肩を並べる戦友と握手を交わした。
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