第2章

第1話

 ヘラクレイオスが羽を休めている間も、世界は回り、動いている。

 

 オリゼ侯爵領から遠く離れた北の大地。

 雲を貫く山々からは、煮えたぎる溶岩がとめどなく溢れ、雪氷に覆われた平原には、強力な魔物が跋扈する。軟弱な人間は生存できない。オークであろうと3日と生前出来ないだろう。

 

 そんな過酷な土地にも国はある。


 巨人の国テロス。

 

 古のエルフを差し置いて、最強の種族と自負する彼らは、酷烈な環境においても穏やかに暮らしていた。

 先天的に戦技を使える巨人たちにとって、暑さや寒さは問題にならない。人にとって厄災のような魔物であっても、腹を満たす食料だ。

 侵略を行い、肥沃な大地を領土にしないのは、単にその必要がないからである。

 むしろ、温厚な地では魔物も小さいので、飢えてしまうと考える者までいる。 


 そんな怪物の住まう国の中心には、巨岩が積まれた王城が建っている。

 テロスの王城では、宴が開かれていた。



「本日も良い狩りであった。今宵もテロスに眠る祖先に感謝しようではないか」


「「「うぉおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!!」」」



 城の広間には、むくつけき肉体を持つ巨人たちが並ぶ。

 最も小さい者でも、身長は6メートルはあり、大きいものは8メートルを超える。全員革の鎧を着ているが、同じものは2つとなかった。各々自分で狩った魔物の皮を素材にしているからだ。

 


「さあ、遠慮することはない。存分に飲み、食い、歌い、語り合おうではないか!」



 一斉にジョッキをぶつけ合う。

 ジョッキといっても、人間にとっては酒樽だ。彼らが持つと途端に収まりがよくなることから、その巨大さが窺える。飛び散りこぼれた酒も、水たまりのようになっていた。勘違いした鼠がそれを舐めると、あまりの酒精に昏倒する。


 彼らは長大なむき出しの暖炉を挟んで、武勇譚に花を咲かせた。今日一番の話題は、やはり目の前で串刺しにされている、玄翁大蛇ハンマーヘッドボアについてだろう。


「今日の玄翁大蛇ハンマーヘッドボアは中々しぶとかったな」


「うむ、新人が巻きつかれた時はヒヤヒヤしたわい」


「次は情けない姿なんて見せないっすよ!」



 蛇は暖炉で回転されながら表面を焼かれ、巨人たちに摘まれている。ナイフもフォークもなく、素手でで引きちぎっている姿は蛮族そのものだ。


 ワイワイと騒ぐ中、静かにジョッキを傾ける者もいる。

 暖炉の奥に据えられた、石の玉座に腰掛ける一際著大な巨人だ。その膝丈まで届く人間が、この世にどれほどいるだろうか。遥か高みから人を見下ろす巨人たちであっても、彼の前では可愛く見える。 

 服装も誰より派手だ。鱗や毛皮を使っているため、とても混沌とした色合いだが、全身がいくつものハンティングトロフィーに包まれているのは強者の証。悪趣味と指をさす者はいない。


 彼が飲み干すのを見計らって、別の巨人が酒を注ぎ足した。



「さすが我らが王でございますな。大蛇に臆せず、真正面から剣を突き出す姿。お見事でした」



 そう、彼こそ全ての巨人から畏敬の念を受けるテロスの王。名はアナークといった。


 王は注がれた酒を一気に煽り、蓄えられた長い髭を酒で汚す。そして、すかさず話しかけてきた相手に酒を返盃した。



「それを言うなら大臣、お前こそ誰よりも先に蛇に一撃を食らわせたではないか」


「私などただ勇み足が過ぎたまで。止めは王の突きと、将軍の斬撃によるもの」


「ふむ、そうだな。では将軍に蛇の目玉を取り分けてやれ」


「ありがたき幸せ!」



 王や大臣が魔物を狩ることに、疑問を持つ者はいない。巨人とって、狩りは魂に刻まれた習慣であるとともに、娯楽でもある。

 人の王が馬を駆って小動物や鳥を狩るのと同じくらい気軽に、彼らは天災のような魔物を狩りに行く。


 しかし、危険がないわけではない。魔物は狡猾で、魔法や戦技とは異なる特殊な技を持っている。巨人といえど、1人で戦えば死は免れず、数を揃えても全滅する時もある。

 だからこそ、狩った獲物を皆で食うことで絆を深めていくのだ。

 宴で築いた信頼は、狩りで十全に発揮されると彼らは本気で信じている。

 

 とはいえ、彼らにとってはコミュニケーションだが、傍から見ると中々凄まじい光景だ。

 人を食い殺しそうな巨人が、さらに巨大な蛇を手づかみで食いながら、樽に満たされた酒を飲むなど、人間が見たら悪夢に違いない。あまりの異常なスケールに、頭がクラクラしそうなものだが、そうもいかない者たちもここにいた。



「巨人王アナーク様、まだ我らの話が終わっておりません」


「まだいたのか。もう話は終わったはずだ」



 王の足元で膝をつくのは2人の男。

 1人は毛皮の鎧を身にまとうオーク。

 もう1人は、顔面が見えないほど包帯を巻きつける青い騎士。



「今回の遠征こそ失敗しましたが、次こそはオークの誇りにかけて必ず成功させます。ですから、何卒もう一度魔石骸の採掘許可を」


「私からは、もう一度蛇の卵の提供をお願いいたしたく。前回の倍の酒を献上いたしますので」


「くどい。お前らの持ってくる酒には飽きたと言っただろう。もう、入貢はせぬ」



 アナークは欠片も譲歩せず、彼らの提案を無下にする。

 にべもない態度に2人は俯くだけだったが、思いついたように青い騎士は顔を上げる。



「この玄翁大蛇ハンマーヘッドボア、とても芳しい香りがしますね」


「む、人間にこの良さが分かるのか?」


「ええ、滴る油は甘く、直火で焼かれる肉は何とも言えない香気を放っております」


「!! たしかに、とても素晴らしい匂いだ。オークの国にこれほどの肉はありません」



 オークも話に乗っかって持ち上げると、王は機嫌よく頷いた。



「そうだろう、そうだろう。齢10年を超えた玄翁大蛇ハンマーヘッドボアは、幼体より脂も肉も上質になる。これだけの上物を狩れるのは、余とその供回りの兵のみだな」


「なるほど、ではどうでしょうか。10年後にこれより美味い蛇肉を献上するというのは?」


「ほう」


「人間には牧畜の知識と技術があります。そのため、もし蛇の卵をお預けくださるなら、必ずや最高品質の蛇肉にしてみせましょう」


 

 アナークは舌舐めずりをする。未来の蛇肉を想像して、すでによだれが溢れていた。



「面白い。では、後日玄翁大蛇ハンマーヘッドボアの卵をやる」


「ありがたき幸せ」


「我がオーク軍でも獣の飼育は得意としております。必ずや玄翁大蛇ハンマーヘッドボアを肥育させますので、何卒」


「ふむ……」


 

 王は考える。狩りをしないで食う肉にどれほどの価値があるのか。巨人族にとって、狩りは習慣であり、誇りであり、存在意義だ。

 畜産で増やした肉を食うのは、巨人の怠惰を招くのではないか。

 王は色々考えた。

 

 色々考えて、答えを出した。


「食べ比べるのも面白そうだ。採掘の許可をする」


「ははーー!!」



 結局、食欲が勝った。献上されるのは10年後、その時にまた考えればよいのだと。

 巨人は馬鹿ではないが、少し短絡的だった。



「では、皆のもの10年後の酒肴に乾杯だ!」


「「「乾杯!!」」」



 王の機嫌を損なわない内に、2人は頭を下げて退室する。

 広間の外は松明すらないガランとした廊下だったため、ひどく体が冷えた。



「人間、お前のおかげで助かった。侵略の際はお前の家族と友には手をかけないことを誓おう」


「余計なお世話だオーク、それより提案がある」


「提案?」


 

 オークは訝しんだが、相手は国の窮地を救った恩人だ。間をおいて、二つ返事で了承する。



「良いだろう。なんだ?」


「蛇の生育は私たちがする」


「それは……」



 願ってもない提案だった。青い騎士につられて私もと言ってしまったが、あんな化け物簡単に生育出来るはずがない。10年という時間を利用して煙に撒こうとしていたが、欲しい者がいるなら好都合だ。



「代わりに私たちは何をすれば良いのだ?」


「簡単なことだ」



 青い騎士は、一枚の紙を取り出す。冒険者組合でよく使われるその紙には1人の男の人相が載っていた。

 その下には、でかでかと名前が書いている。


「ヘラク……人間の文字は分かりづらいな。ヘレクレイオスか?」


「この男を殺せ」



 青い騎士リックから、どす黒い魔力が漏れていた。

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