第33話

 ズボンという衣服は、何とも着心地が悪い。

 教会を探すためにピエタを回っている間、どうしても下半身の違和感が拭えなかった。

 嫌だと言っても、ユーリッドが頑なに履かせようとしたので、仕方なく履いてはいるが、股の可動域が狭まるし蒸れるのは不快極まる。

 こんなことならエマから買い付けた布を全て燃やさず、服用に少し取っておけばよかった。


 ただ、私の気持ちを別にすると、都市住民から奇異の目を受けることがないあたり、服装としては正しいのだろう。


「鎧に着替えたらすぐに脱ぐか」


 とはいえ、この国ではギリシア式の胴鎧が見られず、エマの運んでいた鎧も全て全身を包む甲冑であった。



「肩を並べる友がいない状態ならば、やむなしか?」



 スパルタ重装歩兵の防具が腕や太ももを守らないのは、単に隣で守ってくれる者がいるからだ。

 密集陣形ファランクスは大きな円盾で自らの左半身を守るだけでなく、隣の兵の右半身を守る。それが何人も重なってこそ生まれる防御力はまさに巨岩石キュクロプスの壁に匹敵するが、1人ではどうしても無理がある。


 今回の戦で学んだ。スパルタ人といえど、1人では乱雑なオークの打ち下ろしすら防ぎきれない。

 必要なのは数。実力と規律は後でスパルタ式で覚えさせれば良い。



「冒険者は身内でクランとやらを組むそうだが、それを試してみるか」


 

 仕組みはよく分からないが、金を積めば集まるだろう。戦列が3列揃うくらいには人が欲しいものだ。



「戦勝会の前にピエタの冒険者ギルドを覗いてみるか……と、ここだ」



 ユーリッドに教えられた通りの場所へ訪れると、そこには高い石積みの建物あった。



「これは、すごいな」



 形はギリシアの神殿と似ても似つかない。屋根を支える何本もの柱が無ければ、贄を捧げる台もない。神話を伝える装飾も、雄々しい神の青銅像も、耽美な女神像も何もない。

 だが、どこか神々しさがあった。中央のΔデルタ型の屋根を押しのけて、両側から険しい山々を思わせる尖塔が空へと伸びている。塔の先端には、エアリスで門限を知らせたものより大きい鐘が、ぶらんと吊り下げられていた。

 ギリシア……いやアジア、エジプト、果てはエチオピアまで探してもこれほど見事な建造物はそうはない。



「おや、死者を悼みに参られたのですか?」


 

 教会のアーチ型の入り口に立っていた男が、笑顔で近寄ってくる。ギリシアキトンに似ているが、キトンが肩から膝までの丈に対して、あちらは手首まで袖が長いし足首も隠している。黒単色というのも、ギリシアの神官ではあまり見ない出で立ちだ。

 


「神官か?」


「はい、この教会で司祭を任されております」


「ふむ、教会の隣に病院があると聞いたのだが」


「怪我人でしたか。それではこちらにどうぞ」



 司祭と名乗った男についていくと、すぐに目的の建物が見えた。教会の荘厳さにはとても及ばないが、それでも大きな建物だ。奥行きがあり、なだらかな傾斜の屋根は神殿の病室アバトンに近いものを感じる。


 中に入ると、その感覚が正しいことがわかった。大きな部屋は仕切りで区切られており、小区画にはベッドが置かれている。



「おかけください」


「うむ」


 

 彼は丸い椅子に腰掛け、私はベッドに腰を下ろした。やけに静かだが、他に神官や病人はいないのだろうか。



「それでは、怪我を見せてください」


「待て、神官が見るのか?」


「そうですが、何か?」



 当然ですけど、という顔をされても困る。

 医療神殿アスクレピオスにも神官はいたが、彼らは慢性的な病気を治すために、神と人をつなぐのが仕事だ。普通に怪我をしたならば、そちらにはちゃんと医者がいる。1年任期の神官が傷を見たところで、どうしようもないだろうに。

 怪訝な目を見て何を思ったのか、神官は朗らかな笑顔になった。



「ああ、魔法のことを心配されているのですね。ご安心ください、オークが町から消えてから、徐々に魔法を使えるようになっていますので」


「そうなのか? では頼む」



 なんと魔法は医者と神官の垣根すら越えるのか。

 しかし、魔法で治るならば、これほど広い施設はいらないのではないだろうか。唱えて傷を治したならば、その後ずっと居座られても迷惑だと思うのだが。


 疑問は尽きないが、神官を待たせるのは良くない。私は不慣れなボタンを外して、上着を脱ぎ払った。

 引き締まった筋肉と、名誉の負傷が晒される。



「これは……すごいですね」


「わかるか。やはり、スパルタの肉体は芸術的でさえある」


「いえ、傷の方ですが」



 この国ではあまりにも筋肉に対する敬意が足りない。筋肉を育てれば育てるほど、力は強くなるし、脚は速くなる。さらには戦場の生存率も上がる。良いこと尽くめだというのに。


 やはり、魔力というものが関係しているのだろうな。

 戦技を使えば腹が膨れていても壁を登れるし、魔法を使えるならば槍を持てなくても人を殺せる。

 スパルタ人のように、毎日鍛錬せずとも強くなれる。


 その甘えが今回ピエタが都市を落とされた原因だ。

 クランを作ったら、手始めに魔力の使用を禁じよう。いざという時に役に立たない兵は、邪魔どころか有害ですらあるからな。特にファランクスを築くなら、その問題が顕著になる。穴の空いた壁など、壁の意味をなさない。



「では、いきます。治癒促進ヒール最大マキシマム



 などと考えている内に、傷はみるみる塞がっていった。かさぶたができ、剥がれ、桃色の肉が肌の色に変わるまで劇的な変化だ。

 しかし、同時にひどい倦怠感を覚える。スパルタ人をして、動きたいと思えないほどに。



「かなり体力を消費したでしょう。ベッドで休んでいってください」


「ありがたい、その言葉に甘えよう」



 なるほど、ベッドはこのためか。たしかに、これではすぐに帰れまい。

 魔法も良し悪しだな。



「いえ、これも神の思し召しです。ピエタ家ゆかりの方なら尚更」


「うむ?」



 そういえば服はユーリッドから借りているからピエタ家のものか。見た目だけなら貴族に見えるかもしれない。やけに丁寧に案内されたと思ったが、私を貴族と勘違いをしていたのか。



「お布施はいつもどおりの金額で結構ですから」


「……」



 神官というのはどこでも変わらないな……。

 人々に奉仕しながらも、農業の収入も戦利品も全てかっさらうのだ。スパルタから予言の聖地デルフォイまで金銀財宝を運んだ記憶が蘇る。



「どうなされました?」


「その、なんだ」


 

 とはいえ、嘘を吐いて煙に巻くのはスパルタ人らしくない。



「出世払いで……」



 この回答がスパルタ人らしいかは別として。


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