第32話

 結論から言うと、アレックスは領主屋敷の衛兵だった。道理で迷いなくこの屋敷にたどり着いたわけだ。

 領主は治世者としては申し分ないが、潔癖症の嫌いがあり、平民出身のアレックスを度々詰なじっていたようだ。領主がいなくなったことを良いことに、些細な復讐として、屋敷の施設を勝手に使う暴挙に出たらしい。


 なんというか、小さい。領主に恨みがあるなら、顔面に拳を入れれば良いものを。



「この狼藉は後で追及させてもらう。今はチャンスなのだ、早く行動しなければ」


「チャンス?」


「そうだ、オークに占領されてから、僕はクローゼットに隠れていたんだけど、昨夜騒がしくなってな。しばらくして急に静かになったと思ったら再び轟音が響いたんだ」



 倉庫炎上の騒ぎから、オーク殲滅の火計のことだろう。それにしても、この屋敷まで聞こえるほど音が響いたのか。

 火力は最高だったが、あまり頼り過ぎては戦士でなく魔法使いとして名を馳せてしまいそうだ。今後は自重しよう。



「お前たちも隙をついて、この屋敷にきたのだろう? ならば僕の供をしろ、今ならオークの眼がないうちにピエタを脱出できる」


「領主の息子が脱出か」


「臆病だと思うのか? それは違う、僕はエアリスまで落ち延びて援軍を呼ばなければならないのだ」



 この軟弱な少年がエアリスまでの道中を無事に越えられるとは思わないが、それはそれとして情報を正してやらねばならない。今都市を出ていって逃げおおせても、ただの道化である。



「安心しろ、援軍は必要ない」


「必要ない? 馬鹿なことを言うな。オークの大軍はピエタを占領し、民を人質に取っている。領主の息子として、救う手立てを講じるのは義務だ。それともなんだ? お前1人でオークを倒してくれると言うのか?」


「それなのだが――」


「ユーリッド様、ここにおりますヘラクレイオスと私によって、すでに人質は解放されております。そして、我らの力でオークはすでに殲滅しました」



 急に慇懃に膝をつくアレックスに目をむく。先ほどまで慌てふためき、物乞いのように頭を下げていたというのに、何という変わり身の早さ。

 というか、我らと言ったか。人質解放はともかく、戦は一切関与してないだろう。



「誠か! では、昨夜の騒ぎは」


「はい、人質救出の作戦行動によるものです」


「なんと、そうであったか! 天晴れである。では、褒美を取らせなければな」


 ユーリッドに見えないように拳をグッと握るアレックス。本当に詐欺の神ヘルメスに愛されている。

 そして、少年は少年で騙されやす過ぎる。クレタ島に行ったら一夜で素寒貧にされるだろう。



「褒美と言っても、君は領主の息子であって領主ではないだろう」


「父上はすでに処刑された。母も同様に……だから僕が継がなければならない」


「この都市は僭主せんしゅ制なのか?」


「僭主とは初めて聞くが、この都市は代々我がピエタ家がオリゼ侯爵から預けられた土地だ。他の家に渡すことはない」


 屋敷の豪華さから、スパルタ王のように倹約しているわけではなかろう。つまり、アテナイの貴族のようなボンボンか。奴隷に働かせておいて、自らは詩と哲学と宴会に興じる、良いご身分だ。



「だから、僕の初めての公務としてピエタを救った英雄に褒美を与えたいと思う。そうだ、英雄には相応しい騎士の勲章などどうか」


「スパルタ王以外から頂く勲章などない」


 

 すっぱりと切り捨てると、2人は驚愕の表情を見せた。特にユーリッドは断られると思っていなかったのか、拳が入りそうなほど口を開けている。



「あんた平民が騎士の勲章を受けるってどういうことかわかってんのか!?」


「知らん。知らんが要らん」


 

 スパルタの誇りを見せつけるために生きているのに、他の都市の勲章など提げていれば意味がないだろう。もし、スパルタ人が盾にアテナイの意匠フクロウをつけていたとしたら、良い笑いものだ。

 もし、スパルタ王から貰えるとしたら、双子の神ディオスクロイの意匠を施した盾が良い。スパルタの2人の王を称えるために、Λ《ラムダ》とは別に持っておきたいものである。



「ふ、ふむ。随分と不遜だが許そう。英雄は得てして傲岸であるものだからな。だがせめて褒美だけは取らせたい、これは貴族の沽券に関わるものだからな」


「そうだな……では、牛と犬、大量の酒をもらいたい」


「お前は農家か何かか?」


 

 土地があれば農業をするのもやぶさかではないが、まず先に戦勝を全能神ゼウス戦神アレスに捧げる儀礼が大事だ。そのためには、生贄がなければ話にならない。

 野良を狩っても良いが、どうしても褒美を与えたいというので貰っておこう。



「まあ良い。ピエタで最も力の強い牛と、最も勇敢な犬を贈ろう。酒はワインを樽ごと贈る。それでよいか」


「うむ」



 十分だ。今宵は宴だな。



「ではアレックスは?」


「私は騎士勲章と金貨両方を頂きたい所存でございます」


「こいつは逆に正直だな……」



 金狂いのミダス王のように強欲な男だ。いずれロバの耳が生えてくるに違いない。

 


「他に活躍した者らはいるのか?」


「私と共に戦ったのはエマとその護衛たち、ザクロ。あとワンズ将軍もサザンカに致命傷を与えていた」


「おお、ワンズ将軍が! これは誇らしいことだな、彼はどこにいるんだ?」


「戦死した」


「――――そうか、激戦だったろうからな。無念だっただろう。せめて、彼が怨念を残してアンデッドにならないことを祈るばかりだ」



 すでに不死兵にしたことは黙っておいた方がよさそうだ。



「そしてオリゼ商会か……あの者たちに搾り取られるのは嫌だが、活躍を認めないわけにはいくまい」


「立派でございます」


 

 アレックスが持ち上げて、ユーリッドは鼻を高くする。処世術なんだろうが、誰よりも早く陶片追放オストラコンされそうな性格だ。アテナイでは出世欲の高いものは割と簡単に追放される。英雄だろうと関係はない。

 この運の強い男ならばちょっと流されたくらいなら、元気にしてそうではあるが。



「オリゼ商会とザクロという者はどこにいるのだ?」


「都市の外で、オークの残した船を略奪している」


「う、うーん。まあ活躍したのだろうからな……それくらいの暴挙は許そう。それではその者らにも伝えておいてくれ。今夜にはこの屋敷で戦勝会を行うと」


「会ったら伝えておこう」


「会ったらじゃなくて、積極的に伝えて欲しいんだけど……」


「それではユーリッド様、私が伝えて参ります」


「ではアレックス、頼んだぞ。あと五体無事なものだけで良いから、屋敷の者を集めてくれ。式典のためには、オークが荒らした屋敷を綺麗にしなければならないからな」


「承知しました」



 アレックスはそそくさと出ていく。そこだけ見ると勤勉な兵士にも見えるが、屋敷で行った狼藉の追及を避けるために逃げただけだろう。

 まだ私は病院に行かねばならないのだが、適当にふらついたら見つかるだろうか。

 夜まで時間はあるだろうし、ブラブラするにはちょうど良いかもしれない。そう思って、歩き出そうとした矢先、ユーリッドに手を引かれた。



「さて、それとヘラクレイオスとやら」


「なんだ?」


「服を着ろ」



 黙っていれば誤魔化せると思ったんだが、駄目だったらしい。

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