第30話

 朝日が世界を照らす。


 何もかもが焼き尽くされた戦場、ピエタの外壁、倉庫跡、荒らされた貴族屋敷、誰もいない市場。



「ご苦労様」


「出迎え感謝する」


 

 私の登場にエマと護衛たち、ピエタの兵士たちは疲れた顔で歓迎してくれた。

 味方をアンデッドにされたことで複雑な感情を持つ者もいるだろうに、何も言わずただ労わってくれる。

 ちなみにザクロはいない。魔力阻害剤が残っていれば都市に入ったら動けなくなるため、外で待機だ。空気を読まずにワンズ将軍の不死兵を出されても困るしな。



「オークは全員殺したのかい?」


「ああ、1人残らず」



 果敢に戦うオークは不死兵に殺されて自らも不死兵になり、逃げようとするオークは投げ槍にて背中から串刺しにした。


 私の言葉に、皆が心からの安堵のため息をもらす。


 オリゼ商会にとって長い夜、ピエタの市民にとってはそれ以上の地獄が終わったのだ。気が抜けるのも仕方がない。



「それじゃあ、あたしに魔力増幅剤まで使わせた落とし前に鹵獲したオークの船をもらおうかね」


「船……そうか、略奪するのを忘れていたな」


「安心しな。あんたの取り分は残しておくよ」



 悪い笑顔だ。だが、同時にとても楽しそうだ。酒を飲んでいる時より生き生きしているエマに、こちらまでつられて笑ってしまう。



「戦利品の品定めは任せて、あんたは少し休みな。一応重傷者なんだからね」


「そうだな」



 包帯はすでに真っ黒になっている。もし、ワンズ将軍がサザンカに致命傷を与えていなければ、歩いて戻ってこれなかったかもしれない。


 戦争に滾っていた血も静まり、じくじくと痛みを訴えている始末。もしレオニダス王に見られたら、鮫が寄るから良い訓練になると笑ってラコニア湾を泳がされただろう。



「では、身を清めたいのだが水場はあるか?」


「清めるなら教会で十分さ。兵士に案内させるからそこで休みな」



 教会。そうだこの国では教会が医療神殿アスクレピオンを兼ねているのだった。しかし、染みついた習慣は如何ともしがたい。



「せめて戦場の汚れと汗を流したいのだ。できれば浸かりたい」


「あんた意外に綺麗好きなんだね……ピエタに浴場なんてあったかい?」


 

 兵士に訊ねても皆顔を突き合わせている。誰も知らぬようだ。

 井戸程度なら上って来られるし落ちてやろうかと思った矢先、1人の兵士が手を挙げる。どこか見覚えがある。

 そうだ、やけにテュケーに恵まれた男だ。



「アレックスだ。あんたのおかげで母親と妹を助けられた。感謝する」


「礼には及ばない、ただやるべきことを成しただけだ。それよりアレックス、浴場に心当たりがあるようだな」


「ああ、とびっきりのやつがある。ついてきてくれ」


「ありがたい。では、エマ後程会おう」


「ああ、とびっきりの財宝に期待してるんだね」



 商人というよりもはや海賊だ。


 目を金貨にした荒くれものの彼女らと別れ、アレックスとともに浴場に向かう。


 道中、町を眺めるが静かなものだ。海辺の都市ならば、日が昇る前から活気に満ちているというのに。戦争の終わりを知らない都市は、未だ覚めない悪夢の最中にいるようだ。



「気になるかい?」


「ああ、海が身近な国に住んでいたものでな。違和感がぬぐえない」


「まあ、そうだよな。オークが来なけりゃ今頃そこらで釣れたての魚が売られていたぜ」


 屋台も店も放置されたまま、もぬけの殻。

 オークを退けたからといって明日に日常が戻るわけではない。海の男は荒っぽいもの、兵士が死ぬ中で指を咥えていたとは思えず、死者も相当でているだろう。



「寂しくなっちまったよ、全く」


「そうだな」



 同情はする。だが、それだけだ。

 戦争にたらればを持ち出してもどうしようもない。結果が全て、ただ受け入れるしかない。

 神の意志が混じろうものなら、どれだけ足掻いたところで運命を変えることはできないのだ。神が滅ぶと言えば国は滅ぶし、神が死ぬと言えば英雄は死ぬ。

 

 だからこそ、スパルタは肉体を極限まで鍛え上げる。運命に抗うためではなく、運命に納得するために。



「その、すまない。ピエタを救った英雄に聞かせる愚痴ではなかったな」


「まあな。だが、気にするな」


 

 彼には倉庫で割と無茶を押し付けたが、命からがら遂行した。ならば、すでに戦友である。故郷の朋友には遠く及ばないが、テルモピュライに駆け付けたアルゴス人くらいには気を許しても良いだろう。



「そう言ってくれると助かる。と、ここだ」



 アレックスが指さした先は、よく知る浴場とは似ても似つかなかった。



「ここは?」


「貴族屋敷だよ。オークが占領してたから今は誰もいない。金持ちたちが大枚払って作った風呂に入り放題だ!」


「…………」



 平民が貴族に良い印象を持たないのは常ではあるが、彼の笑顔はあまりに眩しすぎないだろうか?





 アレックスの言った通り、浴場は見事なものだった。大理石の像や金獅子の蛇口など、スパルタの職人たちペリオイコイに迫るほどだ。


 水は清浄で、砂も泥も混じらずに透きとおっている。全身に浴びると、その冷たさに思わず身体を震わせる。まるで地下から湧き出る湧水のようだ。

 ハデス冥府の神に撫でられたような怖気に耐えながら、ゆっくりと浸かると内側からじんわりと熱を感じ始める。戦場の火照りともまた違う、優しいぬくもりに身をゆだねた。



「ほんとにお湯でなくていいのか?」


「清めるには水の方が良い。身も引き締まるしな」


「あんたが言ったから水にしたけどよお……風邪は引くなよ?」


「いらぬ心配だ。生まれてこの方体調を崩したことはない」


 

 伊達に真冬にエウロタス川を水泳していたわけではない。スパルタ人の筋肉から発される熱の前では病魔など無いも同然だ。

 さすがに疫病の神アポロンの怒りには勝てないが。



「ん?」



 窓から見える青空の下にはいくつもの黒煙が昇っていた。昨日の火事の残り火や、朝食の準備などではない。そうであれば、煙は白いはずだ。

 ずっと見ていると、次々に新しい黒煙が増えていく。



「どうした……って、ああ。葬儀がはじまったか」


「葬儀、この国は火葬なのか」


「この国はって、死者がアンデッドにならないように燃やして見送るのはどこも同じじゃないのか?」


「火葬もあるが土葬でも問題ない。離れた国では鳥葬もあった」


「アンデッドに飲まれるぞそんな国」



 ハデスに交渉でもしない限り、死者が復活することのないギリシアでは無用の心配だが、アンデッドの身近なこの国では死活問題なのだろう。


 立ち上がって窓を開け放ち、町を見渡す。煙のもとには人だかりがあり、アレックスの言う通り葬儀が行われていた。


 戦死者の屍体は薪の上に置かれ、一人ひとり丁寧に火葬されていた。すでに灰となった者に対しては、ただ膝をつき祈りを捧げている。



「アンデッドにならないように屍体を焼く……か」


 

 窓から覗く景色を見ながらぽつりとこぼした。


 ピエタのために命を落とした戦士たちを、不死兵にしたと知られれば、ピエタの市民はどんな態度をとるだろうか。

 

 外でサザンカとワンズ将軍の不死兵を侍らせるザクロは、どう感じるだろうか。


 私は蒸れた海風を肌に感じながら、他愛のないことを考えていた。



 



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