第37話

 猛火の剣筋が、周囲の木々を焼き尽くす。

 


「オラオラ、どうした! 亀みてえに固まってても俺に勝てねえぞ」



 円盾は刃と炎を完全に防いでいた。さすが鍛冶屋の親方が技術の粋を込めて逸品だ。しかし、周りの熱気までは防げず、じわじわと体力は奪われていく。

 昨夜の戦いと回復魔法による疲労が残る今、長期戦は不利である。



「よく吠える」



 エドが剣を振り切った瞬間に、最速で槍の刺突を繰り出す。だが、赤い鎧には傷ひとつ付かない。しかも、防御の姿勢でもなんでもない、不安定な状態でだ。



「貴公の方が亀の甲羅のようではないか」


「はは! それはてめえの銛が貧弱だからだろ」


「これでもサメを素潜りで突き殺せるのだがな」



 斬り返される炎剣を盾で受ける。大振りで躱すことは容易いが、炎熱をよけるために、こちらの体幹が崩されてしまう。


 急所は頑丈に守られているため、鎧の間隙を狙う。一番狙いやすい、肘の間接だ。



「しゃらくせえ!!」



 だが、驚いたことにエドが槍を肘に挟み込んだ。まるで、待ってましたと言わんばかりの反応に面食らう。

 すぐさま槍を手放すが、判断が一手遅い。

 私は痛烈な横薙ぎで、槍2本分も遠くに吹き飛ばされた。



「器用な」


「てめえこそ、なんて反射神経してやがる。今のを防ぐかよ」



 エドが口笛を吹いて称賛を贈ってくる。余裕しゃくしゃくと言った態度だが、実際余裕があるのだろう。息ひとつ乱した様子もなく、燃える剣を担いでいる。



「貴公も大した馬鹿力だな」



 傷をつけられなかったとはいえ、盾を持ったスパルタ人を後退させるとは、大したものだ。ペルシアの戦象の突撃さえ跳ね返し、エーゲ海に突き落としてやったというのに。

 私は腰に佩いた斧を抜き、エドと対峙する。

 


「だが、解せねえな。その動きなら堅牢無比マッチレス・ストレングスを使えば吹っ飛ぶこともなかったはずだ」



 戦技……魔力を使った武術か。

 やはりこの国では戦士は戦技、魔術師は魔法という切り札があるという前提で成り立っている。今は戦技を警戒しているようだが、使えないと気付かれたら攻撃はより苛烈になるのは火を見るよりも明らか。


 だが、早期決着の糸口もない。


 

「まあいい、だったら俺からいかせてもらうぜ。筋力強化マッスルストレンティニング!」



 エドの大鎧が軋みをあげるほど、全身が膨れ上がった。まさかとは思うが、この一瞬で筋肉が増えたのか。



「まだまだいくぜ、自由走行フリーランニング



 大男が空を駆ける。かつてエアリスで私に戦技を教えてくれたガルドのように、重さを感じさせない、軽やかな動きだ。


 だが、振り下ろす剣は尋常ではなく重い。

 当然だ。騎馬兵の剣が容易に盾を断つように、城壁から落とされた石が兵士の頭を割るように、高さは力を与えてくれる。


 膂力りょりょくだけで私を吹き飛ばしたエドが筋肉を増大させ、高さまで得てしまったならば、その威力たるや絶大。

 さらに肌を焼く高熱がダメ押しをするように降り注ぎ、私は不覚にも膝をつく。



「どうした、どうした! 使えよ、戦技をよぉ。てめえの全力を見せてみろ、俺をもっと楽しませてくれよ」


「頭の上でピーチクパーチク、姦しい青銅ステュムパリデスの鳥か貴様は」


 

 しかし、それだけだ。ただ重く、ただ熱い。

 これならばレオニダス王の鉄拳の方がまだ重い。ペルシアの巨人にも劣る。


 丹田はらに力を込めて、跳ねるように立ち上がる。

 エドはその衝撃で飛ばされ、距離が空くも、依然空中で剣を構えていた。



「戦技なしでこれか、たまんねえな」


 

 兜で表情は見えないが、興奮しているのだろうか。戦いに酔っている。

 だが、自らの状態すら確認できないようでは戦士として下の下。盾で跳ね返した時に発した、手首の筋をたがえる音を聞き逃すほど、私は甘くない。



「オイオイオイオイ、どうした、どうした! まだ戦い足りねえぞ!」



 戦技がない? 魔法がない?


 それがどうした。


 私はスパルタのヘラクレイオス。ギリシアの神々の加護と、スパルタ教育アゴゲで鍛え上げられた肉体、戦場で培った技があれば他は必要ない。



「では、今度はこちらからいくぞ」



 斧を低く構える。腰に触れようかというほど、引き付ける変則的な構えだ。連動するように身体をねじる姿は、とても戦闘向きではない。


 だが、これこそギリシアでもっとも伝統的な殺害方法である。

 円盤投げ――光明の神アポロンが愛するスパルタの美少年を、ゴルゴン殺しペルセウスが実の父を殺したように、不慮の事故でさえ命を奪う恐ろしい技だ。

 それが意図的に、スパルタ人の力で、陶器の円盤でなく斧を投げるとなれば、その破壊力は推して知るべし。



「ふんっ!」



 呼気を爆発させて射出。回転する斧はエドの首めがけて、曲線を描きながら襲い掛かる。



「こんな、やぶれかぶれの一撃、効くかよ――おっ!!??」



 金属同士がぶつかりあう甲高い音。

 彼の手元には炎の剣がなくなっていた。

 防いだ衝撃で剣を取りこぼしたのではない。

 手首ごと、地面に落ちたのだ。



「オリンピア祭典の代表選手ではないが、これくらいの芸当はできる」



 小手先の技術だ。回転して飛ぶものは一定の軌道に乗せれば、帰ってくる。防がれる手前で曲がるように調節すればこの通り。

 本人は痛みに気付いていないようだが、捻って可動域が狭まった手首ならば、狙うのは容易だ。


 そして、炎の剣がなければ奴の脅威は半減。


 さらに、地面に突き刺さった剣から、未だに柄を握る手を外して、空へ掲げると形勢は逆転する。



「さて、いつまで飛んでるつもりかな?」


「てめえ、俺の右手を、俺の剣を……」



 ふつふつと怒りが湧き上がっているのが見て取れる。

 手負いの獣は恐ろしい。狼や熊と戦う際は、ここからが本番といったところだ。しかし、牙すら失った獣はただの獲物だ。



「よくもおおおおおおおおおおおおぉぉおおおおぉおお!!!!!」



 空へと上がる。


 エドと目が合うのは一瞬。兜の隙間から見えた彼の眼にあったのは、憤怒、狂気、そして怯え。

 私は渾身の一刀を赤い鎧に叩きつけた。


 案の定、剣身から炎が上がることはないが、膨大な鉄を使って打たれた大剣はそれだけでとてつもない暴力だ。


 あれだけ硬かった鎧はひしゃげ、ひび割れ、砕け散る。

 エドはそのまま流星のごとく地面に激突した。



「中々強かったぞ、エドとやら。だがスパルタの前では児戯だったな」



 着地して、剣を一回転。

 巻き起こる風は周囲を焦がす大火を鎮める。



 「良い剣だ。戦利品としてもらっておく」



 エドを見ると、円形にへこんだ地面にその身をめり込ませている。すでに戦闘不能だが、因縁を持たれても面倒だ。止めを刺しておこう。


 せめて最期は痛みのないように、一息で首を刎ねてやるのが戦士の礼儀というもの。

 剣を高く構えて、切り下ろす。

 自力を使わず重みに任せれば、その剣筋はまっすぐ首へ向かう。

 

 しかし――――



「エドめ、邪魔をするなというくせにしくじるとは。使えん奴だ」



 振り下ろされた大剣が、エドの首に届くことはない。

 


「何をする」



 傍観を決め込んでいた青い痩躯の騎士リック。

 彼はエドの首の寸前に、自らの長剣を差し込んでいた。彼の剣はエドの炎剣と対照的に、透き通った氷に包まれている。


 

「だが、こいつに死なれるのも面倒なのでな。憎んでくれるなよ、冒険者」



 青の騎士リックが、静かに戦端の幕を切って落とした。

 


 


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