第38話

 私は大剣を盾の縁に置き、槍のように突き出せる姿勢で構える。

しかし、リックはゆっくりと長剣を鞘にしまった。

 氷が霧散し、ひんやりと炎で火照った肌を冷やす。



「勘違いするな。私は貴様と戦わない」


「邪魔立てしておいてよく言う」



 一騎打ちは古今東西、戦士にとって神聖なもの。それを介入という形で犯すなら、容赦はできない。



「ずいぶんと怖い顔をする、それは戦士の矜持というやつか? くだらんな」



 リックが指を鳴らすと、木の陰に隠れていた兵士たちがワラワラと湧いてきた。全員目に光はなく、まるでザクロの不死兵のように虚ろだ。



「お前の相手はこいつらだ」



 装備はリックのものより劣るが、それでも硬い全身鎧を着て、立派な剣を携えている。



「誇りなど謳っている奴にはお似合いの最期だ。誇りどころか意志もない、薬漬けになった強化兵の凶刃に果てろ」



 彼の命令で、兵士たちが一斉に斬りかかってきた。

 乱雑な攻撃だ。盾を持つ今ならば、私一人でも防ぎきることはできる。


 しかし、自ら率先して剣を振るわない臆病者に付き合うほど、私はお人好しではない。



「ザクロ!」


不死兵召喚アンデッド・サモン


 彼女は私の意図を即座に理解し、強力な不死兵を召喚した。


 巨大なオークの海軍都督サザンカと、黒い鎧の将軍ワンズ。2体の不死兵が腐乱した液を撒き散らしながら、雑兵の命を刈り取る。


 サザンカは首を小脇に抱え込んだまま、片手で後ろの大木ごと兵士を両断する。ワンズは対照的に、流麗な突きで効率よく心臓を穿っていた。


 ただの不死兵であれば、成す術もなくやられていただろうが、この2人ならばよほどのことがない限り倒されない。



「死霊術師だと……くそ、面倒事が重なるな」


「先に弓を引いたのはそちらの方だ。卑怯とは言うまいな」



 舌打ちをするリックの顔面に、片手で突きを繰り出す。だが、すんでのところで避けられた。



「ふん、戦闘に卑怯もクソもあるものかよ」



 追撃の突きも、上体を左右に振ることで回避している。

 断頭の振り下ろしを防いだことといい、筋は良い戦士なのだが、如何せん性根が腐っている。


 気迫のない者がスパルタの猛攻を防ぎきれるわけもなく、徐々に追い詰め、ついには肩の部位が弾け飛んだ。

 

 兜の奥にある彼の苦々しい表情が目に浮かぶ。

 予想通り、リックの口から出たのは舌打ちだった。



「――――――――これ以上の作戦継続は困難か」


「逃げるのか?」


「生憎私はお前やエドのように死ぬまで戦うなど、馬鹿げた矜持は持っていないのでな」



 リックはエドの足を掴み、自由歩行フリーランニングで飛び退いた。エドが行なった時より高く、私の跳躍力の限界を越えた先に。

 


「だが、苛ついている。私がおめおめと逃げ帰り、お前がのうのうと生きるなど腸が煮えくり返る」



 小さい男だ。誇りの代わりにその胸にあるのが、そんなものか。森の奥に居座ってピエタの住民に迷惑をかけておきながら、邪魔されたら逆恨みとは。

 完璧なるギリシアの神々ならともかく、一介の人間が行うのは見苦しい。


 さらに言うと、この期に及んで負けていないといった態度が、気に入らない。



「お前はいずれ殺す。私たちの計画の邪魔をしたお前は絶対にだ」


「さっきから計画だの、なんだの煩いな」



 気に入らない奴はぶん殴る。それがスパルタの流儀だ。



「私が知ったことか」



 大剣を大上段に構える。空を両断せんとするほど力を込めた腕には、大樹の根のごとき血管が浮かび上がった。



「ザクロ、魔力を送り込め!」


「う、うん!」



 業火の魔剣ヘルファイアに魔力が注ぎ込まれる。魔剣はその名の通り、冥府すら焼く蒼い火炎を纏った。

 死霊術師の潤沢な魔力は、さぞ美味いのだろう。エドが起こした火が可愛く見えるほど、巨大で熱い。



「馬鹿が、お前の跳躍も投擲もすでに見た。どうあっても私に届くわけがない」


「そうであろうな」


「はぁ?」


「知っているか? 蝋の翼で空を飛ぶイカロスは、太陽の熱によって海に落ちた」


「何を言っている」


「貴様は業火の熱で地に落ちるだろうよ」



 大地に剣を振り下ろす。

 獄炎が大地に広がり、尽くを炎上させた。

 不死兵に殺された雑兵は灰となり、炭となった木々は崩れ落ちる。

 そして、灼熱が巻き上がった。


 それは、天災テュポーンの蹂躙であった。



「なんだこの風は!?」

 

 

 炎の大竜巻、火炎旋風。

 巨神タイタンのように全てをなぎ倒す暴風。

 複合獣キマイラの吐く炎のように、触れるだけで金属を溶かす高熱。

 冥府など生ぬるい、奈落タルタロスの光景がそこにあった。



「くそ! 氷剣フリジット、最大出力」


 

 リックは剣を抜き、氷の壁を展開するが焼け石に水だ。

 オリンポスを焦がす怪物の厄災が、その程度で消えるわけがない。


 現に彼の氷はすぐさま溶け、壁の意味を成さなかった。



「なぜ、なぜ消えない! 畜生がああああぁぁあああああぁああ!!!」


 

 リックとそれに掴まれたエドは、炎の渦巻の中へと消えていく。

 私は彼らの消失を確認して、剣を地面に突き立てた。



戦争スパルタ完了」



 気づけばひどい有様だ。何もかもが燃やし尽くされ、一面灰しか残っていない。私の体力も限界に近く、崩れるように膝をついた。



「だ、大丈夫、ヘラクレイオス」


「なに、少し疲れただけだ。小休止すれば回復する」


「本当? こ、ここに来る前から、すでにつ、疲れてたみたいだけど」


「本当だ。スパルタ人の体力を侮るなよ」



 ペルシア軍と一戦交える前日に筋力鍛錬する逞しい戦士こそスパルタだ。



「しかし、飛ぶ敵を落とすためとはいえ、やりすぎたな」



 目の前には、未だ燃え続ける火柱がある。エドが周りの木々をあらかじめ燃やしていたからすぐに消えると思ったが、見通しが甘かった。

 一向に弱まる気配がないどころか、他の生木を飲み込んでさらに大きくなっていく。


「山火事になれば薬草も採取できない。どうしたものか」


「うん、と、魔力じゃなくた、ただの火で起きてるみたいだから、消すのは難しい」


「それでは雨を待つしかないか」



 今更水を汲みに行って炎にかけても無駄なことは、先程のリックの氷で証明済みだ。

 絶世の美女ダナエでもいれば天空神ゼウスが黄金の雨となって降り注ぐが、無い物ねだりは無意味。ここにはむくつけきスパルタ人と、腐った女と、軟弱な山賊しかいない。



「お前たちも生きてたのか」


「そりゃないですぜ、スパルタの旦那」


「あんな火の中逃げ回ってたんだから、少しくらい褒めてくれてもいいっじゃないっすか」


「そうだそうだ!」


「貴様らとは、冒険者組合で引き渡すまでの間柄なのだが……」



 本当に調子のいい奴らだ。殺しても死ななそうな人間とはこういう奴らを指すのだろうな。谷底に落ちても生きているのだから笑えないが。



「ともかく、移動するか。これ以上いたら私たちまで焼死体エウアドネになってしまう」


「へい、兄貴! ってあれ? なんかあの火柱膨らんでないっすか?」


「なんだと」


 

 木々を巻き込んで大きくなっていたが、膨らむとはまた独特の表現だ。

 山賊の言を信じて振り向くと、確かに卵のように丸く膨らんでいた。それは決して竜巻が起こす挙動ではない。



「これは一体……まさか!」



 炎が弾け飛んだ。

 業火の胎内から生まれたのは、巨大な氷の球体。


 地面に落ちて氷が割れると、その中心には憤怒の形相のリックがいた。



「よくもやってくれたなぁ」


「……存外しぶといな」


 あの状態からさらに氷の壁を何層も展開したのか。


 とはいえ、無事とは言えなそうだ。リックの青い鎧は半分以上融け、兜は完全に剥がれている。晒された肌はほとんど火傷で爛れていた。

 まだ気絶しているエドは、自らの剣で鍛えられているおかげかリックより軽傷だが、それでも火傷が目立つ。

 


「私たちの計画を邪魔し、私にこんな手傷を負わせ……もう許さねえ」


「贖罪する気はさらさらない」



 剣を突きつける。あの重傷であれば、どんな切り札を隠していようと、決着はすぐにつく。



る気があるというなら、来い。正々堂々蹂躙してやる」


「は、冒険者がイキりやがって」



 リックはこの期に及んでも剣を構えない。代わりに突き出したのは左腕。

 見覚えのある腕輪が、刻まれた文字を点滅させていた。



「支配の腕輪か」


「そうだ、目を合わせたやつの精神を操作するいにしえの魔法道具。だが、これには欠点がある」


「欠点?」


「最初に屈服させないと、支配の力が働かない。つまり強いやつ捕まえて奴隷戦士に仕立て上げるのは無理だ」



 なるほど、弱者が奪って人生逆転とはいかないわけだ。恐らく王か将が効率よく部下に命令を下すための道具だったのだろう。



「だから私たちは考えた。弱いうちに支配して、成長させることで最強の尖兵を作ろうと」


「急に口が回るようになったな。氷で頭が冴えたのか?」


「もう知られても構わないのだ」



 腕輪が強烈に輝き出す。そして、轟音。

 山の奥から何かが爆発する音がした。

 土石流か噴火か身構えたがそうではない。


 音の原因は巨大な生物だった。



「KISYAAAAAaaaAAAAAAAAAaaaAAAAAaAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!」


「なんだ、これは」



 それは蛇だ。しかし、大きさがおかしい。

 青銅像をひと飲みできる口、大剣ほどもある牙。

 外套ヒマティオンより長い舌はチロチロと動き、人の頭大の瞳は朱く輝く。

 鱗は一枚一枚が金属光沢を発し、全長は計り知れない。

 

 思い出すのは、予言の神アポロンの讃歌。

 聖域デルフォイの神託所に絡みつく大蛇、ピュトーンだ。神話の怪物がそこにいた。



玄翁大蛇ハンマーヘッドボア、巨人の国でも手を焼かせてる正真正銘の化け物だ。卵から大事に育ててるのに、まだ完全に懐いていない」



 大蛇は私たちを睨んで、凶相を濃くした。



「計画は失敗。戦力低下によって自力での回収は不可能。だったらいっそ暴れさせてやるのが親の役目だろう?」



 リックの自暴自棄によって、本日最悪の戦闘が始まった。




 



 



 






 



 


 








 



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