第6話

 対峙するのは形なき獣。

 喉を刺しても死なず、弱点となる臓器もない。

 ゆらゆらと形を変え、狼とも獅子ともわからぬ四足獣。


「さて、どう殺るか」


 長く戦場を渡って来たが、不定形の敵を相手取るのは初めてだ。

 

 改めて、盾と槍を構える。

木の盾は膝から肩まで隠し、槍は水平に。


 防御にも攻撃にも適したスパルタ重装歩兵の基本の構え。


「GAUッ!!」


 今度は槍を突かず、盾で牙を防ぐ。魔物を近くで見る狙いだ。

 しかし――


「すり抜けただと!」


 魔物の牙が左腕に食い込む。

 煙とは思えぬ硬さで噛み付いているが、どれだけ振り払っても揺蕩うだけだ。


「なるほど、オーガベアがそれほど恐ろしくないと言うだけある」


 防具を突き破る魔物が村からすぐの森にいるなど、悪夢に近い。

 しかし、どれだけ食い込もうとスパルタの鉄の肉体を傷つけるには能わぬ。

 筋肉を締めたスパルタ人の体は、ネメアの獅子と等しい。食い込む牙は、肉の筋でしっかりと挟み込んでいた。


 魔物の牙は完全に押さえ込んでいるが、かと言って反撃もできない。膠着状態だ。


 相手も察したのか、全身を震わせて雲散霧消する。

 

「まるで本当の霧を相手取っているようだな」


 再び現れる四足獣だが、先程より大きく、牙も爪も禍々しい。

 どこから発したのか、耳をつんざく雄叫びが響く。


 本領発揮というところだが、間合いを詰める速度は遅い。こちらを見定めるように、そろりそろりと周囲を回る。

 かと言ってこちらから打って出ることはできない。

 決定打のない両者はただ睨み合うのみ。


「はえ! 私寝てましたか!」


 場違いな声が、緊張の糸を揺らす。


「ティアナ、危険だ!」


「え、ヘラクレイオスさん、え、魔物!?」


 ティアナはよだれを拭いながら起き上がった。


「レイスビースト! なんでこんなところに」


 彼女は急いで前掛けから何かを取り出し、魔物に向かって投げた。放物線を描くのは、小さく透明な丸い壺。

 それが地面にぶつかり割れると、目をみはるほどの大火が出現した。


炎柱フレイムピラーの魔法玉です。ああいう、霊体の魔物に有効なんですよ」


「これが、魔法か?」


 なんというか、すごくはあるがペルシア軍の呪術師となんら変わらないような気がする。


「私のレベルだと自力で炎なんて出せませんよ……それより、燃えている今なら槍も刺さります!」


「全く、なんと不思議な国だ」


 言いながら突き刺した槍は、炎に巻かれる魔物の眉間を貫く。

 断末魔すら上げられぬ鋭い一穿。霧は爆発し、二度と形を得ることはなかった。


「少し村を離れたら魔法がなければ倒せぬ魔物がいるなど、肉体を是とするスパルタ人には厳しい土地だ」


「珍しい魔物です……レイスビーストは湿度が高くて涼しい水場が好きで、森の奥からでることはないはずなんですけど」


「羊が草を食む場所とは真逆だな」


 本日も陽光に陰りはなく、風は心地よい。


「うーん、昨日のオーガベアも普段は森の奥からでることはないんですよ」


「異常事態である、と」


「騎士様か冒険者組合に報告した方が良いかもしれません」


「魔物が移動しているというならば、木こりや猟師にとっても由々しき事態になる。もし今すぐ行くというなら同行するが?」


「ありがとうございます。でも、羊たちにもっと食べさせないといけないので」


「そうも言ってはいられない状況だ。ティアナ、羊をまとめて下がらせてくれ」


「え、それはどういう――」


 猛烈な殺気が、筋肉を震わせる。


 新手のレイスビースト。その数20。


「先程の魔法玉はあといくつある?」


「護身用なのであれ1つだけです……」


「そうか」


 申し訳無さそうにティアナはうつむくが、責める状況ではない。

 無いならば無いで戦うのみだ。


「獣相手では栄誉ある死は迎えられないな」


 思わず笑いが溢れる。ついさっきまで女々しく生き方を考えていたのに、栄誉の死に口に出すなど。

 

 やはり私はどこまでもスパルタ人らしい。


 槍を両手で構える。

 すでに盾は無意味だ。筋肉の鎧があれば事足りる。


「来い、異国の獣よ。スパルタを見せてやる」


 筋肉に血を巡らせ、脈が浮き上がるほどたぎらせる。

 火に弱いならせめて心の灼熱で燃やし尽くしてやろうと力を込める。


 しかし――

 

拡散火炎弾ファイヤーボール・スプレッド!」


 突然、目の前の魔物が燃え上がった。

 新たな形態かと思ったがどうやら違う。

 悶え苦しみ、暴れまわる。

 

 幾重もの火球が、レイスビーストの群れに当たるやいなや炎上したのだ。

 ティアナの火炎瓶とは明らかに異なる。まさしく魔法。


 程なくして火に包まれた魔物は動きを止め、小さな宝石を落として消えた。


「危ないところだったな。レイスビーストに魔力のない武器で挑むなんて自殺行為だぜ」


 現れたのは、馬に乗った戦士だった。

 珍しい鎧だ。

 関節部すら覆い隠す、全身の青色の金属鎧に、白色のマント。兜は無く、短く刈った赤色の髪を見せていた。腰に鞘を下げているが、長大で足先まである。


「貴方がさっきの火を放ったのか。感謝する」 


「見た目の割に礼儀正しいんだな」


「私では手に余る敵だった。助けてもらった自覚はある」


「ふーん、それにしても見ねえ顔だな。冒険者か?」


「冒険のような境遇だが、それを仕事とはしていないな」


「なんだそりゃ……お、よく見りゃティアナの嬢ちゃんじゃねえか」


「レオルド様! どうしてこのようなところに」


「ちょいと遠駆けに行く途中に火柱が見えたんでな。俺の領民が危機ではないかと思ったら大当たりってわけだ」


 呵々と笑うこの戦士はレオルドというらしい。いや、ティアナの話から戦士ではなく騎士という階級なのだろう。


「ちょうど報告しようと思っていたのですが」


「魔物が溢れてるって? 確かにきな臭いな」


「まだ2件しか例がないが、信じるのか?」


「あのなあ……まじでここらの人間じゃねえのな。魔物が頻発するような土地は穀倉地帯にならねえよ」


「スパルタでは茶飯事だが……アルカディアでも熊くらい出るしな」


「お前の国は魔界か」


 レオルドは呆れるように息を吐いた。


「どうやらとんでもねえ国から渡ってきたみたいだな。その割に知識が浅すぎると思うが」


「私もそれを懸念している。レイスビーストのように対処法が分からぬ敵と対峙した時、逃げるしか方法がないのは情けないにもほどがある」


「逃げるタマには見えねえけどな。だが、そこまで言うなら南にある都市を訪ねな。冒険者組合で登録すりゃ魔物の情報くらい教えてくれる」


「そんな利点が……情報感謝する」


「気にするな。俺の領地にいる間に死なれたら寝覚めが悪いだけだ」


 鼻で笑うとレオルドは手綱を引いて馬の向きを変える。


「あとレイスビーストの魔石はやる。組合の登録費用くらいにはなるだろ」


「この輝く石が魔石か。何から何までかたじけない」


 返事はせず、背中を見せたまま手を振って去っていった。

 貴族特有の傲慢さこそあれ、中々の快男児ではないか。


「いずれ機会があれば手合わせを願いたいものだ」


「駄目ですよ。騎士様が亡くなってしまったら私達の村が滅んじゃいます」


「流石に死合までしない……しないぞ?」


 ティアナの射殺しそうな視線が刺さる。人をなんだと思っているのか。

 スパルタ人が意味もなく殺すなど、奴隷ヘロットくらいのものだ。


「そういえば最初のレイスビーストは魔石を落とさなかったな」


「はぐらかした……でも、ほんとに不思議ですね。魔石はかなり

硬いので専門業者の処理が必要なはず」

 

 槍で砕いた感触もない。おおかた衝撃でどこかに飛んでいったのだろうが、資金となるならかなりもったいない。

 スパルタ人は金に執着しないが、いつまでも素寒貧すかんぴんというのは締まらないし、人から恵んでもらうだけというのは情けない。


「考えても仕方ない。とりあえず、羊を村に帰したならば南の都市とやらで換金してくるが、ティアナはどうする?」


「行きます! 今日は放牧以外にすることないので」


「そうか。では行こう」


 まだ日が昇りきらないうちに帰路につくのは面映ゆいが、財産である羊を失っては元も子もない。

 捨てた木の盾を拾い、槍を担いで私たち二人は村に戻った。

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