第7話

 南の都市の名はエアリスというらしい。

 思いの外近く、太陽が南中に達する前に城壁が見えた。


「あれがエアリスの都市か。旗は……やはり見覚えがないな」


 動物と幾何学、剣のモチーフなど盛りだくさんの旗が城壁の上で棚引いている。

 オリンピアの地エリスと親しい響きだったが、まるで意匠が違う。壁に垂らすのでなく、竿に挿して風になびかせるのもギリシアと全く異なる文化だ。


「ほんとに随分お遠くから来たんですね。私オリゼ候とレオルド様の属する騎士団旗しか見たことないですよ」


「ラケダイモンのΛラムダを見た者はそれだけで震え上がると謳われたんだがな……」


 わかっていても、スパルタが知られていないという感覚は慣れない。私にとってスパルタは故郷であり、憧れであり、人生だった。

 己の半身を無くしたような寂寥感に包まれながら、都市の門をくぐる。

 門兵がかなり訝しんだ顔をしていたが、ティアナの顔を見ると再び門の外を眺める仕事に戻った。よく羊を卸したりしているのだろうか。

 

「かなり賑やかだな。アテナイの広場アゴラのようだ」


 壁の中は大通りを挟んで木造の家が所狭しと並んでいた。家屋の前には露天が並び、大声で商品を宣伝している。

 織物も、果物も、魚も、全てが色鮮やかであった。


「見事なものだ。思わず目が移ってしまう」


「ふふ、ヘラクレイオスさん子供みたいな目をしてますよ」


「おっと年甲斐もないところをお見せした」


「いいですよ~意外な一面を見たみたいで得した気分です。でも年甲斐っていうほどヘラクレイオスさんって老けてませんよね。いくつなんですか?」


「30だ」


「へぇー30……30!?」


 何を驚いているのか。スパルタ人で軍人として完成するのは30歳。どれだけ訓練をしようとそれに満たねば半人前だ。


「それより冒険者組合とやらはどっちにあるんだ?」


「え、はい。大通りを抜けた先に噴水のある広場があるんですけど、その右側です」


「承知した」


 人混みに身を投じてみると、賑わいは一層激しく感じられた。


「今朝取れた新鮮な野菜だ。瑞々しくて美味いよ!」


「よってらっしゃい見てらっしゃい。タータ村の羊で作った焼き串だよ!」


「塩漬けの魚はいらんかね。一匹なら小銅貨4枚、樽ごとなら銀貨2枚だ」


「どうでしょう? 東の都市ピエタで織られた毛織物ラシャだ。触ってみれば品質の違いに気づくはず」


「砂漠で取れた紫水晶を使った首飾りだよ! 現品限りだ、買った買った」


 自分一人ならば人の隙間を抜けることは容易だが、ティアナを置いていくわけにいかない。男女の仲でもないのに手をつなぐわけにもいかず、どうしても人の波に流されてしまう。


「ティアナ、大丈夫か」


「あはは……久しぶりに来ましたけど、やっぱりすごい人の数ですね」


「無理に流れに逆らおうとすると押し流される。人の進む道を読んで身を任せろ」


「できませんよそんなの~!」


「うむ、困ったな」


 こんなことになるならば娼婦ヘタイラで女性を知っておくべきだった。

 スパルタの女性はよく訓練するため、徒競走場ドロモスで話す機会は多い。だから会話自体はどうということはない。

 だがしかし、30まで男子と共同生活のため扱い方など全く知らない。中には抜け出して恋愛をする不届き者もいたが、少なくとも私は知らない。


「あの、手握ってもらっていいですか?」


「良いのか?」


「別に手くらい良いですよ。そこまで初心じゃありませんから」


「う、うむ。手くらい……そういうものなのか」


「もしかしてヘラクレイオスさん、女性と手をつないだことないんですか?」


「神々のように恋愛にうつつを抜かせば痛い目を見る。昨日ゼウスの話をしただろう」

 

「手をつないだことないんですね」


「……うむ」


 なんであろうか。スパルタ人として間違っていないのに敗北感を感じる。せめてアテナイ人のように男色にくらい手を出すべきだったのだろうか。


「仕方ないですねえ~私の柔肌は高いですよ」


「すまぬが手持ちがない。冒険者組合で換金してからでいいだろうか」


「冗談ですよ。はい、エスコートお願いします」


 差し出された左手は、硬く、荒れ、指ダコがあり、日焼けしていた。

 仕事をする者特有の健康的で美しい手だ。


「エスコートとは先導のことだろうか? 私で良ければ喜んで引き受けよう」


 彼女の手を引き人混みの中を駆ける。

 これがアテナイ人のいう青春へーべーなのだろうか。

 

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