第11話

 冒険者組合と武器屋に時間をかけすぎて、すでに日は落ちようとしていた。


「こんなに時間が早く感じたのは久しぶりです」


「ティアナ、そんな悠長なことを言っている場合ではない。夜道は危険だ。早く帰らねば」


「もう遅いですよ。都市の門限も迫ってますし――あ、ちょうど鐘がなりましたね」


 都市の中央から、重く高い響きが鳴りわたる。見ると、石造りの塔の頂点に吊り下げられた巨大な鐘が揺れていた。

 あれだけ離れた場所でも聞こえるならば、戦場の指揮に使えそうだ。笛や琴より通りが良い。それとも、それはあまりにも音楽の神アポロンに不敬だろうか。

 

「今日は村に帰れませんね。まだ銀貨も余ってますし、良いとこの宿をとっちゃいますか」


「私は野宿でもかまわない。ティアナだけ宿に泊まると良い」


「都市の道端で寝ていたら夜警に捕まりますよ。大人しく宿をとってください」


 この国は外で寝ているだけで罪になるのか。スパルタ教育アゴゲなど一生できないな。


「しかし残りも少ない。二人も泊まれるのか?」


「銀貨1枚あれば足りますよ。ほら、しぶってないで歩いてください」


 ティアナに背中を押されつつ、夕暮れの町で宿を見つけることになった。宿屋や酒場は決められた区画にないので、彼女もよくわからないらしい。


 ほどなくして他の区画より明るく、にぎやかな通りに突き当たった。女性が店の前に立っていないので娼館の通りではないはずだ。


「宿はどれだろうか?」


「看板に馬がついているのが良い宿です。馬も一緒に泊められるので、商人や巡礼者が利用するんですよ」


 なるほど、わかりやすい。

 私は夜目をきかせて周囲を見回す。すると通りから離れた場所に、ひと際大きい建物を見つけた。1棟だけでなく4つの屋根が見え、周囲を丸太のの柵で囲っている。中庭があるのだろうか、かなり広い面積を有しているようだ。


「あの店は堅固な造りだ。もし攻め込まれても平気だな」


「どんな基準で選んでるんですか。でも大きくて広そうな宿ですね。ここにしましょうか」


 宿の入り口は火も焚いていないのにかなり明るかった。これも魔法の力なのだろう。視認性がよく、敵に投げつければ夜襲に便利そうだ。

 この国の技術に驚嘆しながら、宿の扉に手をかける。扉はきしむことなく、静かに開かれる。

 瞬間、すさまじい喧噪が耳朶を打った。


「3番テーブル、ビール4つお待ち!」


「おーい、こっちに揚げオニオンをくれ」


「今日は懐があったけえ。やっぱり護衛はぼろいな」


「じゃあ高え肉頼んじまおう!」


「酒をもっとだ! 樽でもってこい!」


 そこには、笑いと怒号が溢れていた。

 誰も彼もが酒に酔い、食事に酔い、己に酔っている。

 この空気には覚えがある。友と酒を酌み交わす、戦場の宴と同じだ。

 今この空間には酒の神ディオニュソスが降りている。


「宿にしてはやけに大きいと思ったら、1階は酒場を兼ねていたのか」

 

「すごい盛り上がりですね。受付はどこでしょう」


「おや、お客さんかい。いらっしゃい。ちょっと待っておくれよ」


 貫頭衣にエプロンをした女性が山盛りの料理を運んだあとにこちらに駆け寄ってくる。

 後ろで一括りにした髪が揺れ、花の香りが鼻孔をくすぐる。しゃべりが初老じみている割りに、若く美しい。美の神アフロディーテではなく母性の神ヘラといった類であるが。


「今日は飲食? それとも宿泊?」


 紙の束を小脇に抱えて女性は訊ねてきた。冒険者組合でもそうだったが、この国では紙は安物なのだろうか? エジプトのパピルスより安いならばスパルタに帰った時に良い土産になりそうだ。


「両方願いたい」


「りょーかい。それじゃあ2人で銀貨3枚だ」


「ちょっと高いですね……」


 ティアナの顔が曇るのを察したのか女性はにやりと笑うと、小皿にのせた肉の切れ端を差し出してきた。


「まあそう言いなさんなって。うちの料理は絶品だし、酒もつく。一口食べてみな、絶対気に入るから」


 いきなり差し出されて戸惑うが、一応は酒場だ。毒は入っていないだろう。私たちは半信半疑といった体で、おもむろに肉をつまみ上げて口に運んだ。


「む、これは!」


「おいしい! すごい美味しいですよこのお肉!」


 口の中に強烈なうまみが広がり、鼻に焼けた肉の香ばしい香りが吹き抜ける。飲み込んだ後も脂の甘味と、酒を流し込みたくなるちょうどよい塩味が舌に残る。

 スパルタで食べる血の味が残る肉とは全く違う。

 猛烈にワインが欲しい……!


「さらに宿泊する方には夕食だけじゃなく、朝食も付いてくる」


 ティアナと無言で頷きあう。断る理由など、どこにもないだろう。


「決まりだな。泊まらせていただこう」


 袋から取り出し銀貨3枚を受け渡す。残り1枚だが、所詮降って湧いたあぶく銭だ。未練はない。


「まいどあり! それじゃあすぐに食べるかい? それとも部屋で休んでからにするかね? もし身体を拭きたいならお湯は銅貨2枚だ」


「私はすぐでも構わないが、ティアナはどうする?」


「私もお腹ペコペコなので先に食事したいです」


「それじゃあ16番のテーブルにかけてくんな。すぐに料理と酒を運ぶからね!」


「楽しみだ」


「はい、いっぱい食べましょう!」


 子供のように心を躍らせ、食事を待つ。


 この国に来てからというもの初体験が多すぎる。

 もしかしたら、質実剛健から離れすぎてスパルタ人として堕落しているのかもしれない。


 しかし、戦士スパルタとして間違っているかどうかは、飲んで食って騒いでから考えればよい。

 明日は明日、今日は今日だ。

 

 おお、かまどの神ヘスティアよ我に美味い食事を与えたまえ!


 

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