第10話
財布は軽く気分は重くなったが、切り替えていかねばならない。スパルタ人はくよくよしない。
「次は武器を買わねばな」
「ヘラクレイオスさんのおかげで銀貨15枚も手に入っちゃいましたからね」
すでに窓の弁償代で10枚になっているが、言っても仕方ない。不機嫌になった女性は、触れば災いが訪れるあたり神々に等しい。
なんとか紛らわせようと私は何気ない質問を投げた。
「銀貨か。1枚でどれくらいの価値があるのだ?」
「うーんとですねえ……大体なんですけど、まず一番使われるのが銅貨で1枚あればパンとか野菜を買えます」
「ふむ」
それが功をなしたのか、彼女は下唇に指をあてながら思い出すように語り始める。
「それが10枚あると大銅貨になって、市場の食事やお酒1杯の値段になります」
「うむ?」
オボルとドラクマのような関係かな? 10枚だと3や4で割れないから不便そうだが。
「大銅貨10枚で銀貨1枚分。これでナイフ1本買ますね」
つまり銀貨1枚でパンが100個、いや1000か?
……段々わからなくなってきた。
「銀貨10枚で金貨1枚になって織物や装飾が……ってヘラクレイオスさん! 大丈夫ですか!?」
「問題ない。少々考えすぎて頭の熱が上がっただけだ」
「計算苦手なんですか?」
「何を馬鹿な、スパルタは7歳から読み書き計算歌に踊りを習う。苦手なわけがなかろう」
「じゃあ金貨は銅貨何枚分ですか?」
「さて、武器を売るのはどの店かな」
「覚えないと後に苦労すると思うんですけど……まあ買い物しながら覚えましょうか」
ティアナの視線が冷たいが、気にしないことにして武器屋に向かう。
到着した場所は密集した大通りと打って変わって、家屋の間隔が広く開放的だった。馬車には武器や防具に限らず、職人が作ったであろう商品が山と積まれて運ばれていた。
「ここが職人通りです。武器を買うならやっぱり直接親方に話さないと」
「確かに壮観だな」
鉄を打つ小気味良い音。煮え立つ油の音。研磨する音。
どこの国でも職人の奏でる音は美しい。
「よう兄弟、何か欲しいものでも?」
髭面の男が気さくに話しかけてきた。身長こそ低いが、日々の仕事からその身は厚い筋肉に覆われ浅黒く焼けている。他の職人よりガタイが良いので恐らく彼が親方だろう。
「槍と盾を。盾は円形が良い」
「ほう、傭兵さんかい? ずいぶん渋いチョイスじゃないか」
「傭兵ではない。冒険者だ」
「だったらこいつはどうだ。昨日できたばかりの槍だ。全長は2メートルと50センチ、穂先と石突には西国の粘りのある鉄を使い、柄はよく乾燥させた樫を使った一品だ」
長さの単位は聞き慣れないものであったが、持った感じはちょうど良く感じた。戦争であれば倍は欲しいところだが。
「良い槍だ。試しても?」
「もちろん、そこにある的を突いてもらってかまわねえ」
武器を並べた棚の横に膨らんだズダ袋がある。あれが的だろう。
鍛冶屋に許可を取り、槍を構える。
呼吸を整え一突きを放とうとして、止めた。
「よい槍だ。手に馴染む」
「なんだい、突かないのかい?」
「あの的の中身は藁だろう。突いてしまえば中身をぶち撒けることになる」
「おいおい、戦技も使わずに突きで袋が破けて中身がでるかよ」
「ぶち撒けるんですよねーこれが」
壊して問題ないだろうが、鍛冶場を汚すのは忍びない。
「そうかい? そんなパワーがあるならもっと重い槍もあるが」
親方が柄も金属の槍を差し出してきたが、私が受け取ることはなかった。
「重い槍は速さを損なう。1人で戦うならこれくらいの軽さがちょうど良い」
それに武器に金を掛けても仕方ない。武器は折れるものだ。可能ならば敵から奪うのが1番である。
「それじゃあ次は盾か。円形のやつが良いんだったな」
武器屋が手にとったのは、肘まで隠せる小さめの盾。
「小さいな」
「洞窟とか迷宮に入ることの多い冒険者には最適な大きさだぞ?」
「盾は自分だけでなく、味方の生死をわける。妥協は許されない。大きさは膝から肩まで、自分の左半身を守りながら隣の仲間の右半身を隠せる程だ。持ち手の他に内側に縄を這わせて、どのような防ぎ方もできるのが望ましい。矢が貫通しないのはもちろん、魔法も弾くのが良い」
「急に饒舌になるな兄ちゃん」
当然だ。盾を失うのは戦士の恥。槍が折れようと、剣が曲がろうとお咎めのないスパルタでも盾を失えば厳重な罰則が待っている。
「じゃあ、これかな」
次に出てきたのは、先程より円形で大きい盾。しかし意匠がよろしくない。獅子の顔面など付いていれば、まるでヘラクレスの聖域を擁するタソス人のようではないか。
「この獅子が邪魔だな」
「その獅子がかっこいいんだろう!?」
変な琴線に触れてしまったようだ。しかし、譲れないものは譲れない。
「いや、Λこそ至高だ」
「ラムダってなんだ! ええい、ロマンのわからんやつだ。こいつはどうだ」
今度は牛の意匠。働かないクレタ人と一緒にされるのは遺憾である。
「牛も要らん。角をもいでくれ」
「この精巧な形を作るのに俺がどれほど……!」
「意匠は私がつける。だから表面に装飾のないものをくれ」
「馬鹿野郎! そんな徒弟の練習作品みたいな盾売れるか! 職人を馬鹿にしてるのか!!」
「うむぅ」
スパルタにおいて鍛冶は
ふと棚の奥に武骨な盾を見つけた。親方が言った徒弟の練習作なのだろう。
しかし、その盾は歪みない円であり分厚く重厚。滑らかな表面は矢や槍をを受け流すのに最適。持ち手の周りと盾の淵につけられた金属の輪は、どのような持ち方にも対応できる。
「なんだ、良い盾があるではないか」
「あ、それは」
「商品棚にあるのだ。売り物なのだろう?」
「今日鋳つぶすつもりで持ってきた失敗作だよ」
親方は不機嫌そのものといった表情で語り続ける。
「騎士様のオーダーメイドで制作したけど、丈夫さに重きを置きすぎてとても戦闘向きじゃねえ。持ち歩くだけで疲弊するわ、戦技を解いた途端に肩が外れるだの大クレームを受けたやつだ」
「ほう」
「冒険者なら尚更だな。こんなの持って冒険してたら半日待たずに体力が尽きる。おまけに狭い道で使えないし良いことないぜ」
「だが、私は気に入ったぞ。いくらだ?」
「これは高価なヒヒイロカネの合金を使ってある。装飾はすでに剥いでいるとはいえ、原価だけで金貨6枚だ」
金貨は銀貨の10倍の価値ということなのでかなり高価な品物だ。ヒヒイロカネというのはかなり珍しい金属なのだろう。
「でも商品の価値はねえ、つぶして新しく盾を作った方が建設的って話だ」
親方の顔が陰る。自分の作品に誇りを持っていた彼だ。心血を注いで作られた盾が、誰にも使われないまま終わることに納得がいかないのだろう。
ならば、私が職人の誇りを取り戻そう。
「価値か……それでは私がその盾を扱えたならば、つぶさないでもらえるだろうか。後々金が貯まったら買い取らせてもらう」
「扱う、か。持つでも構えるでもなく。いいぜ、もしそんなことができたら銀貨1枚で譲ってやらあ。ただし戦技や魔法なんて使ったら二度とこの町で武器を買えなくしてやるからな」
願ってもない提案だ。試されるのは英雄の誉れ。
ヘラクレスは12の功業を経て神となっている。ならば、その子孫を自負するスパルタ人が試練を断ることができるだろうか。
「二言はないぞ」
私は盾に触れた。ひんやりとした金属の冷たさが肌に馴染む。
握る。確かに重みはある。だが、扱えないほどではない。
なるほど、これならばアイアスの盾よりは御しやすい。
一息で持ち上げ、盾を構える。左を守る基本中の基本。
次に頭上に掲げる。
背後に渡す。背面からの奇襲を防ぐように。
それから私は盾を縦横無尽に移動させ、あらゆる攻撃を防ぐ構えを見せる。
まだ血の匂いのしない盾は、素直に私の動きについてきてくれた。
攻撃に比べたら地味だろう。だが、命を守る防御において華美は不要。質実剛健、盾の構えはスパルタの心そのものである。
一通り披露した後、呼気を吐いて盾を置く。
重量こそあったが、スパルタ人が息を上げ、汗をかくほどのものではなかった。
「これで、どうだろうか?」
親方は口を結んだまま、じっと見つめる。
やがて諦めたように息を吐き、髪をかきむしった。
「……まいったな、戦技も魔法も使った形跡がねえ。手前の筋肉だけでその動きかよ。あーくそ、変な約束するんじゃなかった」
「それでは」
「兄ちゃんには負けたよ。いいぜ、槍と盾で合計銀貨7枚だ」
「よい買い物をした。貴公に
盾と槍を背中に収めた。テルモピュライで盾を失ったあの日からついて回ってきた違和感が消えていく。代わりに、己の半身を取り戻したかのような多幸感が溢れてくる。
これこそ、スパルタ重装歩兵のあるべき姿だ。
これぞ、スパルタ市民だ。
「最後に聞かせてくれ兄ちゃん、あんたは何者だ」
「愚問だな」
私は自信を持って言い放つ。
「私は、スパルタだ」
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