第9話

「ガルドはどこに行った?」


 冒険者組合を出ると、あの巨体はどこにもいなかった。


「もしかして銀貨をもって逃げたのかも……」


「そうであればあの男の臓物を全て吐き出させてやる」


 不義には死を徹底しなければならない。最強の戦士は舐められてはいけないのだ。


「おっかねえこと言うなよ兄ちゃん。逃げも隠れもしねえよ」


「!?」


 それは衝撃的な光景だった。さんさんと降り注ぐ陽光を遮り、影を落とすのは、見覚えのあるデカブツ。豚のように肥え太ったガルドが、壁に垂直に立っていた。


「兄ちゃん失礼なこと考えてねえか?」


「気のせいだろう。そんなことよりそれが戦技か?」


「応よ。自由走行フリーランニング、崖だろうが水の上だろうが足場として駆け抜けられる戦技の初歩にして究極よ」


「初歩で壁を走れるとは、この国の歩法はすごいな」


「歩法っていうか戦技なんだが……まあやってみな。魔法が使えなくても魔力っていうのは漂ってるんだ。それを掴むイメージでやればできるぜ」


「漂う魔力か……」


 さっぱりかわからない。哲学者たちの言う万物の根源アルケーのようなものだろうか。

 ともあれ、手本を見せられたなら見様見真似でやってみるしかない。私は壁を踏みしめ、垂直に立った。


「お、一発ででき……なんか違うくないか?」


「うむ、足の指で壁の溝を掴んで立っているだけだ。長時間は難しいな」


「いやそんなの出来る奴いねえよ!?」


「スパルタの精鋭ならば可能だ」


「どんなバケモンだよスパルタって……ともかく違う。もっと空気中の魔力を感じるんだ」


「そう言われてもな。魔力というのが全く理解できない」


「嘘だろ……そんな奴いるのかよ」


 気の毒といった感情を隠しもしないガルド。どうやら常識らしい。


「じゃあ、自由走行フリーランニングはやめだ。まずは基本から、魔力を取り込んで筋力を上昇させる呼吸からだ」


 巨体に関わらず、猫のようにしなやかに着地するガルド。有翼のサンダルタラリアを履いたゴルゴン殺しペルセウスはこんな動きだったのだろうか。

 

 私が降りるとどうしても猛禽のそれとなってしまう。


「実用的な技だ。ぜひ教えて欲しい」


「よっし、まず見てな」


 ガルドは息を吸い込み、大きく腹を膨らませる。

 腰を落として一拍、突き出した拳は空を切り、パンッと乾いた音を鳴らした。


「魔力を取り込めばこれくらいできるんだぜ」


「なるほど、やってみよう」


 息を丹田はらに取り込む。内側から爆発させるように呼気を発する。

 

 音は鳴らない。

 衝撃が離れていたガルドの脂肪を揺らし、ティアナのスカートを捲くりあげ、冒険者組合の透明な窓を全て割った。

 音は、遅れて着いてきた。


「そうはならねえよ!? というかまた魔力使ってないよね!?」


「戦技とは難しいものだな……」


「逆にすげえんだが……なんで体1つで戦技の真似事できるんだよ」

 

「スパルタとはそういうものだ」


「わけわからん……でもまあ、俺の教えられることはねえみたいだな」


 肩を落として落胆している。かなり悪いことをした気がする。

 私も年長組アゲライとして指導する時、物覚えの悪い子供に手を焼いた記憶がある。その心中は察するに余りある。


「申し訳ないことをした。これは私の落ち度だ。授業料はそのまま受け取ってもらって構わない」


「いや、俺も何も教えていないのに貰うのは気が引ける。銀貨は返すよ」


 見た目の割に義理堅い男だった。熱き門テルモピュライで共に戦ったアルカディア人に親しいものを感じる。


「どうやらとんでもねえ新人みたいだな。今日から同じ冒険者であることを誇りに思うよ」


「私こそ、貴公のような人間と知り合えたのはありがたい。これもまた旅人の神ヘルメスの加護だ」


 私達は互いに拳を突き合わせ、友情を確認した。


「なんか良い感じにまとめようとしてますけど、窓ガラスは弁償していただきますよ?」


「あの、ヘラクレイオスさん。さすがに往来で女性のスカートをめくるのはあの……」


 青筋を立てた受付嬢と、赤面したティアナが詰め寄ってくる。


 まさか女たらしゼウスに憧れる日が来るとは、夢にも思わなかった……。


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