第12話

「美味い! 美味すぎる!」


「わ! このお魚こんなに脂がのっている」


 出された料理に舌鼓を打つ。焼き物、揚げ物、煮物にスープ。またはパンやナッツまで今まで食べてきた全てを上回る。

 スパルタの夕食アイクロンでは豚の肉と血のスープメラス・ゾーモスが好物であったが、今食べている料理と比べるとただの血なまぐさい何かだ。


「それとビールというのだったか? 最初は苦い酒など飲むに値しないと思っていたがこれは良い。エジプト人が好んで飲む理由がわかった」


「ふふ、最初はヘラクレイオスさんこんなの飲めるかー! って怒ってましたからね」


「大人げないことをした。酒と言えばワインしか飲んだことがないものでな」


「へ~この国ではワインなんて貴族様か神官様しか飲めないですよ。スパルタってお金持ちの国なんですね」


「いや、金はない」


 私は断言した。


「戦争で勝った時に得た戦利品も、ほとんど神託の地デルフォイに運ばれる。おかげで市民も自給自足、下手をすれば奴隷へロットの方が金持ちだ」


 共同食事シュッシティアの費用が払えなくて市民権を剥奪されるスパルタ人もいれば、蓄えた私財で自由を得る奴隷ヘロットもいる。


「お金がもらえないのに戦うんですか?」


「金に執着すれば死を恐れる。誇り高きスパルタ人は死を恐れない。ゆえに、スパルタに金は不要である」

 

 スパルタ人の私腹が肥えてしまったら、軟弱な子供すら育てようとするテーバイ人にすら勝てなくなるだろう。一瞬想像してみたが、ありえない話だ。もし負けるようなことがあったらコパイス湖に沈めてもらっても構わない。


 しかし、これはスパルタにいる時の心構えだ。他の国では金が人を支配することは理解している。スパルタから離れた今、契約も武器も食事も、金がなければ手に入らない。


「贅沢は体だけでなく、心にも贅肉をつける。この国に来てから少し浮かれているな。御馳走をいただくのは今日限りにしよう」


「それじゃあ、明日の朝食私が食べちゃっていいんですか?」


「うむぅ、それは困る。贅沢は明日の朝までにしよう」


 けらけらと笑う彼女はまるで童のようだ。自分も妻を持ち、子をなしたらこのような子に育って欲しい。


 ……無理か。スパルタの女性はアマゾネスのように活動的だ。


 苦笑しながら樽の器をあおる。しかし、雫ほどの量しか流れてこない。いつの間にか飲み干していたようだ。


「おかわり貰いましょうか?」


「そうだな……うむ、どうせなら残りの銀貨も使って憂いをなくそう。女主人、ワインを銀貨1枚分」


「まいどあり! すぐに持ってくるよ」


 女主人がとてとてと厨房にかけていった。すると、入れ替わるように隣席の酔っぱらいが絡んでくる。


「ワインを頼むやつがいるとは。ずいぶん羽振りがいいねえ」


 声色は女だ。しかし、その姿はティアナとは真逆の威圧感に満ちていた。炎のように不揃いな髪は飛び跳ね、切れ長の吊り目や裂けるような口角は、貪欲な猛獣を思わせる。

 

 何より服装が今まで見てきた人間とは異質すぎた。

 白いチュニックに、ベルトにズボン。それだけならまぁ男装趣味の範疇だろう。しかし全ての指に黄金の指輪がはめられ、いくつもの宝石が埋め込まれた首飾りを下げていた。

 耳にも髪にも、装飾が着けられるところがあればどこでも良いと言わんばかりに、綺羅びやかに着飾っている。

 おまけに黒い獣の毛皮を肩に羽織り、女海賊の船長といった出で立ちだ。


 正直なところ、悪趣味としか言いようがない。


「おいおい、見惚れるんじゃないよ?」


「女性をまじまじと見るとは不躾をした。少し圧倒されてな」


「なんだい。この程度でびびってたら冒険者なんてやってられないよ。私以上の奴がわんさかいるんだからさ」


「なぜ私が冒険者だとわかった?」


「何故ってあんた首に冒険者証……ってランク1かよ! それでワイン頼むとかボンボンの息子かよ。羨ましいねえ」


 ちらりと目だけでティアナを睨み、得心いったとにやける。


「ははぁ、なるほど。貴族の火遊びってことかい」


 ティアナの顔が真っ赤に染まる。恥辱から怒りを覚えているのだろう。


「それ以上の侮辱は敵対行動と判断する」


「怖い怖い、そんなに怒るな。ちょっとからかっただけじゃないか」


 女は豪快に酒をあおる。聞こえるほど大きく嚥下し、殻になったコップを叩きつけた。


「まぁなんだ。ワインを酌み交わせるやつは少なくてね。ピエタならともかく、エアリスの冒険者はしみったれてるからビールしか頼まないんだよ」


「貴族や神官が飲むものだと聞いた」


「ははははは! あんな軟弱な連中が飲みきれる量じゃないよ。町民や冒険者が飲んでも罰せられるわけじゃない。ただただ貧乏だから飲まないだけさ。現に注文できただろう」


 周りの空気が悪くなる。女の言葉で水が差されたのだろう。低く小さい声だが、悪口であることはわかる。


「風土の習慣もあろう。私の国ではビールを飲まず、ワインばかり飲んでいた」


「なんとも羨ましい国だ。一度お目にかかりたいものだね」


「残念ながら遠い国でな。容易にたどり着けないだろう」


 なんだそれ、と女は笑う。

 そこに、状況をなんとなく察した女主人がワインを持ってやってきた。


「エマさん、面倒事はやめてください。次にやったら追い出しますよ」


「勘弁してくれ女将! ここの飯がなけりゃ生きていけないよ!」


 エマと呼ばれた女は大げさに泣きつく。しかし、水差しの水滴が指で拭われた跡が残っているので演技だろう。


「少し遅れちゃって申し訳ないね」


「いや、この盛況だ。注文が重なるのは仕方がない」


「そう言ってくれるとありがたいよ。おまけにチーズつけとくからね」


「ありがたい」


 目の前に壺に満たされたワインが置かれる。バラのように赤々とし、芳醇な葡萄の香りを漂わせては、鼻を楽しませる。ワインの名産地タソスのワインに劣らない強い風味だ。おそらく辛口アウステロス。私の好みにばっちり合う。


 しかし、生のままワインを出すとは。

 料理に酒に文句はなかったが、これだけは減点だな。


「すまない、水差しとこのスープを入れる皿をもらえるか?」


「? 良いですよ。今持ってきますね」


「ヘラクレイオスさん一体何をするんです?」


「何って」


 私は至極当然のことを言った。


「ワインを水で割るだけだが?」


 私の喉元に、冷たい刃が当てられていた。

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