第7話

「貴方は馬鹿なんですの?」


「面目次第もない」


 イザドラの辛辣な言葉に、私は頭を下げることしかできなかった。


 獲物の気配だけを頼りに、土地勘のない場所で走り回れば道に迷うのは当然の帰結。魔物が徘徊するので、立ち寄る人も少ないだろう。


 せめて太陽が見えればよかったのだが、狩りに夢中になっている間に雲がかかっていたようだ。



「下手に動くのは危険だ。おそらく術者のザクロならば私の位置がわかる。彼女が来るまで待機しよう」


「嫌ですわ」


「なぜだ」


「なぜって言わなくてもわかるでしょうに」


「ふむ」



 木々がまばらに生える草原。燃料となる乾いた枝や、水源となる川や池はない。



「排泄なら私は離れているが?」


「デリカシーってものが存在しないんですの!? というかそれ以上にありますでしょう」


「なるほど風呂か」


「確かに腐敗臭は流したいですけれども!!!」


「違うのか。私には難しいな」


「嘘でしょう……」



 イザドラは信じられない者を見る目で私を睨みつける。

 性格は真逆に位置するが、コロコロ変わる表情は羊飼いのティアナを思い出すな。



「魔物や賊に襲われる心配をしているならば、無用だぞ」


「そこは信じていますわ。というか信じざるを得ないでしょう」


「食料も問題ない」


「待ってくださいまし。もしかしてわたくしに魔物を食べさせるつもりですの?」


「寒いなら毛皮もある」


「まだ血が滴っておりますけど!?」



 頭を押さえるイザドラ。天気が悪くなると頭痛を覚える人間もいると聞く。きっとそのせいだろう。



「そういうことではなく、さっき反乱の可能性を話しましたわよね? プライム王国第3王女が、どこの馬の骨とも知れない男と長時間逢引していたなんて民に広がれば、燻っていた火種が燃え上がると考えませんの?」


「そう言った意味では、すでに手遅れなのでは? あそこは情報を生業とする商人ばかりだった」


「拉致した本人がぬけぬけと……ともかく、誤解を解くには早い方が良いのです。だから悠長に待っていないで馬を走らせなさい」


「そう言われても、行くべき方向が分からねばなんともなるまい」


「その点は問題ありません」


 

 すたっと馬を飛び降りて、彼女が取り出したのは短い笛。柔らかそうな唇でそれを咥えると、頬を膨らませて息を吐いた。

 耳を突き抜けるような、甲高い音が草原に響く。



「それは?」


「見ての通りの犬笛ですわ」



 彼女が言うや否や、空に一筋の光が走った。

 


聖遺物レリックを腐臭で汚したくありませんでしたが、こうなっては仕方ないでしょう」

 

 

 光は広がり、やがて雲間に空いた亀裂となる。

 白金の猟犬が、エルフの犬橇を牽いて、勢いよく亀裂から飛び出した。



「WAOOOOOOOooooooooOOOON!!!!」

 


 天から鳴りわたる咆哮。

 そして猟犬はふわりと大地に降り立つと、イザドラに敬意を示すように伏せる。



「それでは冒険者、スパルタのヘラクレイオス。依頼の件頼みましたよ」


「了解した。そちらも、約束を覚えていてくれ」


「……もちろんですわ。では私は先に行きます、御機嫌よう」



 彼女はさっと乗り込むと、猟犬はすぐさま立ち上がり、空へと駆け上っていった。

 初めて見た時とは逆に、徐々に輪郭をなくし粒のような光体になるまで私は空を見上げ続ける。



「イザドラ……素晴らしい女性だ」



 私は感嘆をもらす。



「王女だというのに、なんといじらしい」



 スパルタの女性は、幼少期から成人するまで――男性とは比べられるものではないが――鍛え上げている。


 デュオニュソスの宴で走る11人の代表となる少女となれば、弓を持たせて森に行かせれば猪を担いで帰ってくるし、ナイフの切れ味が悪いと素手で解体を始める。

 女王ともなれば、素手で猪を狩る。

 恋愛しようものなら、骨の5本は覚悟しなければいけない。


 対して、イザドラは肉体はしまっているが恋の駆け引きなど、かわいらしいことをしてくる。



「騎士団の調査、これは失敗できないな」



 彼女を失望させたら、もう会うことはできない。ゆえにこの任務の重要性は王の勅令に等しい。



「その前に、片付けるものを片付けなければな」



 草むらに潜む獣の気配。

 犬笛の音に誘われたか、滴る血の匂いに寄ってきたか。



「さあ、景気づけだ。軍神アレスに血を捧げようではないか」



 大剣を抜き、大空に掲げる。


 未だ雲は晴れないが、オリュンポスに座す神々に届くように。

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