第8話

 魔物を狩りつくした頃には、夜はとっぷりと更けていた。



「さすがに調子に乗り過ぎたか」



 周囲に目を向けると、山と積まれた魔物の死体。1つひとつの山が私の背を超えるほど高く、まるでオリンピア祭典3日目に行われる百頭の生贄ヘカントベーのように見事だ。


 全て持ち帰るわけにもいかないし、死体をそのままにするというのは冥界の神ハデスへの侮辱となる。燃やすのが1番なのだが、あいにく薪はない。



「業火の魔剣、これの真価を発揮すれば容易いのだろうが」



 エドのように魔法に特化していない戦士でも発動できたし、私にもできないということはないだろう。



「あの時、戦技を使ったように、魔力とやらを感じることができればな」



 玄翁大蛇ハンマーヘッドボア討伐の際は、塔で増幅された莫大な魔力があった。だからこそ、魔力という概念のなかった私でも感じ取ることができたのだ。

 しかし、目視する限りでは草原と魔物の死体しかないここで魔力を感じ取るのは難しい。



「ガルドは魔力は漂っているといっていた。つまり見えぬだけで煙や霧のように立ち込めているのか」



 大きく息を吸ってみる。しかし、腹が膨らむ感覚以外何も感じない。



「違うな。あの時はもっと全身に駆け巡るような感覚があった」



 目を閉じて瞑想する。鳥のさえずり、虫の声。血の香り、草の香り、土の香り。肌をなでる湿り気のある風。鼓動する心臓、脈動する血。

 どれだけ研ぎ澄ましたところで変わらない。魔力と思われるものはどこにもなかった。


 ザクロに頼めば魔力を吹き込んでくれるが、いずれ軍を指揮するつもりなので、今のうちに覚えた方が良いだろう。常に近くに彼女がいるというわけではないのだ。



「考えていたら腹が空いたな……そういえば、朝から何も食べていない」



 身体を資本とするスパルタ人が昼食アリストンを抜くなど不覚。3食しっかり食べてこそ肉体を十全に使えるのだ。

 幸い肉なら沢山ある。



「まだ蠅も集らぬ新鮮なものだし、生で食べても大丈夫だろう」


 

 とはいえ、さすがに豚に似た魔物は怖いので牛の角の生えた熊、オーガベアにしておく。肉付きの良いオーガベアを選び、おもむろに青い毛皮を剥くと紫色の肉が現れた。

 

 どこから食おうかと逡巡したが、獣は背骨に近い肉が一番うまいと相場が決まっている。私は大剣の先を背骨に当てて、薄く削ぎ落す。

 切り取った肉には脂はのっていない。代わりとばかりに、表面から黄緑色の体液がじんわりと滲んでいた。

 


「どれ、まずは一切れ」



 滴る血と体液で口元を汚しながら、魔物の肉を口に含む。

 剣のような鉄の香りが口いっぱいに広がり、続いて獣特有の匂いが追いかけてくる。ぶりぶりとした身を歯で噛み切ると、どろりと汁が溢れてくる。



「おお、美味いな」



 熊に牛を足したような濃厚な旨味が舌を喜ばせた。

 のど越しも爽やか。いつまででも食べていられる肉だ。



「これほど美味い肉ならばイザドラも満足しただろうに……振舞えないのが残念だな」


 

 干し肉では味気ない。やはり血が滴るくらい新鮮なものを食べてもらいたいところだ。一緒に食事と言っていたし、その時にまた狩って持っていこう。


 彼女のことを思いながら、一口また一口と食べていったら。やがてオーガベアの内臓までたどり着いた。腎臓は臭くて食べれたものではないが、心臓や肝臓なら濃厚で美味いだろう。

 素手でもぎ取ろうと腕を伸ばしたら、何やら硬いものに触れた。


 それは、小さく輝く宝石のような石。



「魔石か。危なく食べてしまうところだった」



 魔石は売れる。交渉次第のようだが、1つあれば1日食うに困らない程度には良い値段だ。

 血をふき取り、袋にしまおうとしたところで、はたと気付いた。

 

 魔石はなぜ売れるのだろうか。

 宝石のような見た目ではあるが、これを身に着けた者はどこにもいなかった。豪奢な服装の商人エマも、ピエタ領主のユーリッドも、王女であるイザドラも、誰一人。


 装飾品でないならば、考えられるのは何かしらの素材。

 魔とついているならば、魔法や魔力に類するもの。

 もしやこれは、魔法玉や魔剣などの材料になっているのではないか?


 思い立ったら即行動。私は魔石を口に入れて奥歯でかみ砕いた。

 ボリボリと音を立てて細かくしていくが、無味無臭の石を噛むというのは、妙な不快感がある。


 砂のようになった魔石を魔物の血で流し込むと、変化は劇的だった。



「力が漲る」


 

 これは間違いなく、魔力増幅塔の先端に触れた時と同じだ。

 血管とは別の管が肉の内側に現れて、全身を巡っているのを知覚する。



「これならば、いける」



 力の奔流を意識的に右手に送り込む。魔剣を握る右手に。



「目覚めよ、魔剣」



 夜の暗がりが、暖かい色に染められる。根源的に安心感を覚える温もり。朝焼けのように世界を照らす火炎。

 業火の魔剣ヘルファイアが私の魔力によって初めて点火した。


 火山の神ヘファイストスには及ばない、弱く優しく火ではあるが、確かに剣は燃え上がっていた。



「まだ業火とならぬ始まりの火であるならば、銘を改めねばな」



 頭に浮かんだのはベールを被った女神。


 オリンポスの神々にあって、特別な神がいる。

 全能神ゼウスの6人兄弟姉妹の中で最年長にして最も若い、永遠の処女神。


 やがて新しく参入した酒と狂乱の神ディオニュソスに12神の座を明け渡し、自らは炉の前で1人。


 しかし、その炉の火はギリシア全土に灯される。闇を照らし、獣を退け、料理を行い、体を温め、全ての神々の祭祀にまで使われる、原初にして至高の聖火。

 

 家庭の保護者、国家の保護者。


 ヘスティア。



「聖火の松明ヘスティオン。これより続くスパルタの道行きを見守りたまえ」

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