第15話
「エマの護衛任務に付くこととなった。短い間だが世話になった」
「いえ、こちらこそ! 命を助けてもらった上にこんな綺麗な髪飾りまで」
ヒヤシンスを象った髪飾りは、ティアナの亜麻色の髪を際立たせる。無理を言って装飾品店に店を開けてもらって助かった。
扉を軽く叩いただけで開けてくれるとは、良い人間もいるものだ。
「気にするな」
「気にします! 本当は私もピエタに行きたいんですけど、羊の世話をしなくちゃいけないし……だからせめて旅の無事を祈らせてください。必ず無事で帰ってきてくださいね」
「無論だ。ティアナにも
「はいはい、いちゃついてないで早く行くよ。日が落ちるまでには安全な村に進みたいんだ」
エマが蜂蜜を
男女の機微とは難しいものだ。
「うむ、了解した。ティアナ、達者でな」
「ご武運を!」
笑顔で見送るティアナはいつまでも手を振っていた。
スパルタでは見ない見送り方だ。だが悪くない、心が温かくなる。
最後の戦は、見送る者すらいなかったからな。
私は彼女を背にして、牛歩で進む馬車列の先頭に並んだ。
「それじゃあ行くよ。あんたは徒歩になるけど構わないだろう?」
「無論だ」
マラトンの戦勝は1人のアテナイ兵が不眠不休で走り、伝えたという。いわんやスパルタ兵、ペルシアの王道すら走り切って見せよう。
目的地は東の都市ピエタ。
10日間を要する行程で、エマの荷物を害する敵を全て殲滅する任務だ。
この国の人間にスパルタを見せつける好機である。
私は筋肉を漲らせながら歩みを進めた。
……そうは言ってもさすがに騎士団を擁するエアリスの近くに魔物がいるわけもなく、ただ歩いているだけの時間がしばらく過ぎた。
周りを警戒する必要があるため鍛錬するわけにもいかず、仕方なく私は改めて商隊を眺める。
2頭立ての馬車が30台。1台につき2人護衛がついており、一糸乱れず行進する姿は壮観だ。デルフォイに献上品を運ぶ時でさえ、ここまでにはならない。
「それにしてもこの荷物、どこかでみたような……ああそうか、職人通りの馬車だ」
積まれた荷物は武器屋に入る前に見かけたものと同じだと気付く。あの山のような荷物はすべてこの女の商品だったのか。
「多いとは聞いたが、本当にすごい量だな」
「当然さ、オリゼ侯爵を後ろ盾にしている天下のオリゼ商会だよ。これでも使ってる金は小指の爪程度にもならないよ」
この国はそれほど裕福なのか。まるで
「これだけの物資があれば、戦争もできるだろう」
「するどいね。戦争するんだよ」
「何?」
エマはさらりと重要な情報をもらした。
「聞いてないぞ」
「言ってないからね――そう怖い顔しないでおくれよ。すぐにおっぱじまるわけじゃない。開戦はまだまだ先さ」
「ならばよい。ちなみに戦場はどこで、敵は誰なのだ?」
「多分、ピエタのさらに海の上さ。上陸する前に叩きたいんだと」
「海か……」
そういえば我らスパルタがテルモピュライで戦っている間、アテナイ人はアルテミシオン岬で海戦をしていたはずだ。
海となればアテナイの独壇場。船は戦士以上に多くの漕ぎ手が必要だが、アテナイ市民の人口はスパルタを上回る。さらにテミストクレスとかいう有能な将軍がいると聞いていた。
だが、相手はアジアを統べるペルシア。人も奴隷も、けた外れだ。
彼らは勝ったのだろうか?
「あそこは岩礁が多いし、寄港できる場所も少ない。守るにはうってつけでね」
ギリシアに思いをはせていると、エマが話を続けていた。
私は適当に相槌を打つ。
「よく知っているな」
「そりゃそうさ。オリゼ商会は陸路だけじゃなく、海路も制覇している。どこかの流通網で何かあればすぐに私の耳に入る」
なるほど。確かに金で王にも神にもなれるらしい。
情報を握っているならば全知全能とはいかずとも、万能くらいにはなれよう。
「それで敵は?」
「オークさ」
「オーク?」
「地の底に住む、醜い豚面の凶悪な種族さ。人の血をすすり肉を食う化け物ども。人間が裕福な生活しているのが気に食わないのか、ことあるごとに宣戦布告してくる」
エルフと異なり、随分と嫌われた種族である。ギリシア人だってペルシア人をそこまで言わない。
……アテナイ人は言うかもしれんな。
「とはいえ、さっきも言ったけどまだ始まらないよ。航路でオークの軍艦は見つかってないからね」
「別の航路を使った可能性は?」
「まず無理だねえ。北により過ぎれば巨人の国があるし、南の海は潮流が激しすぎてとても軍艦じゃ進めない」
「それでは戦争は望めないな」
「あんたは冒険者っていうより生粋の兵士って感じだね」
「もちろん。スパルタ以上の兵士は存在しない」
何がツボに入ったのか、エマは呵々と笑う。
「金に関してあんたはあたしに傲慢って言ったけど、あんたも大概だよ」
「これは傲慢ではない。自負だ」
「そういうことにしとくよ。さ、おしゃべりは終わりだ。道が広くなったし速度を上げていくよ」
「了解した」
駆け足で馬車と並走する。
鎧がこすれて鳴らす音は、どこか懐かしく。
かつての栄光、レオニダス王との進軍を思い出させた。
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