第14話
「頭が痛い……」
鈍い痛みが頭を走り、思わず額を抑える。二日酔いになるまで飲んだのはいつぶりだろうか。
「ここは、どこだ」
周囲を見渡す。薄暗い部屋の中には、敷き詰められた藁。
息を吸うと獣の匂いが肺に満ちる。
すると突然、生暖かくざらざらとした何かが頬をなでた。
舌だ。粘性のヨダレが急速に熱を奪う感覚はなんとも気持ち悪い。
「ティアナ、さすがに大胆では――」
手をつないだとはいえ、いきなり過激すぎる。
「……私そんなに馬面じゃないです」
舌の伸びる方向とは逆から、怒気の孕んだ声が聞こえた。
目を開くと栗毛の馬が歯をむき出しにしていた。首をひねれば、水桶をもってぷるぷると震えるティアナ。
「馬と私を間違えるヘラクレイオスさんのことなんてもう知りません!」
乱暴に降ろされた桶から跳ねた水は温かかった。
手のひらで拭うとすでにティアナの姿はない。
「ううむ、怒らせてしまったかな」
「馬と間違えられて喜ぶ女は稀だよ」
入れ替わりでエマが馬小屋に入ってくる。
目の間に水差しを置き、飲みなと促してきた。
私はコップも使わず直接注ぎ口に口をつけて、勢いよく飲み干す。
清涼感が喉を潤し、体全体に巡る。テルモピュライで死んだはずの私が言うのもなんだが、生き返った気分だ。
「あの嬢ちゃんにはちゃんと謝っときな。酔いつぶれて馬小屋で寝始めたあんたのが風邪引かないように女将に無理言ってシーツもらったんだから」
確かに肌着とは別に薄い布がかけられていた。藁の上で寝たにしては疲れが取れていると思ったが、彼女の気遣いだったのか。
「そもそも、何故私は馬小屋で寝ていたんだ?」
「それも覚えてないのかい」
エマは肩をすくめ、やれやれと説明を始める。
「あんたがレオルド倒した後、他の冒険者も参加して大乱闘がはじまったんだよ。さらに騒ぎを聞きつけた青獅子騎士団の若手が乱入して乱痴気騒ぎさ」
「そんなことが」
「あんたがワイン片手に全員倒したせいで賭けにもならなかったよ。そんなあたしの気持ちも知らず、あんたは日課だとか言いながら外に出て、中庭を何周も走って、片足でスクワットをしたと思ったら、片腕で倒立腕立て。最後は馬小屋の梁で懸垂している途中で爆睡したんだよ」
「それはなんというか……ひどいな」
鍛錬は体に染み付いている。実際テルモピュライでもペルシア兵が到達するまでは鍛錬を続けていた。
しかし、酔いつぶれるまでやってしまうとは恥ずかしい。もし寝ている間に襲われたら不覚をとってしまう。
「何か埋め合わせを……いや、金は昨日全部使ったんだった」
「宵越しの金は持たないってか? 粋だねえ」
エマは馬の頭を撫でながら快活に笑う。
「でもこの世は金さ。金さえあれば王にだって神にだってなれる」
「強欲な上に傲慢だな」
「人間なんてそんなもんさ。あんたは嫌いなのかい?」
「嫌いだな。金は人を弱くする」
「だが金は人を強くする。訓練費用に武器購入、護衛を雇えばどんなに貧相でも力を得る。私みたいにね」
エマが親指をクイッと後ろに向けると、音もなく佇む女戦士。
宝石まみれの三叉槍を持つ彼女は、確かに実力者だ。
「それにあんただってこの国じゃあ金無しで生きていけない。現に埋め合わせの資金にすら難儀してるじゃないか」
「ううむ」
痛いところを突かれた。
信条も、教示も、先立つものがなければ無意味だ。
「どうだい? あたしの護衛につかないかい」
「いきなりだな」
「昨日の暴れっぷりをみてピンと来たんだよ。あんたなら、あたしの護衛を任せられる。それに、あんたにはランク1冒険者の依頼なんて似合わないよ。それだけ戦えるのに、森で薬草をむしりたくないだろう?」
「冒険者とはそんなことをするのか」
「知らなかったのかい? ほんとに遠くの国から来たんだねえ。それでどうする?」
「お前には優秀な護衛がいるではないか」
「この娘かい? 確かに腕は立つがこの娘だけじゃ心許ないのさ。最近は街道沿いでも魔物が現れるんだよ」
「魔物殲滅が希望か」
「ああ、あたしが運ぶ荷物は重い上に多くてね。道中で遭遇したら全員殺るしかない。この娘には荷物とあたしの護衛、あんたには魔物の駆除。倒した魔物の魔石や素材はあんたのものにしていい」
「なるほど、やろう」
「即決かい! まだ報酬を全部言ってないよ」
「戦いがあり、僅かに貨幣が稼げるならば問題はない」
「大ありさ。オリゼ商会の商人が護衛をはした金で雇ったとなれば、評判が下がっちまうよ」
エマが指を鳴らすと、女戦士が懐から取り出した拳大の袋を開く。薄暗い馬小屋の中でも燦然と輝く黄金。初めて見る、金貨だ。
「前金で金貨10枚。完遂した暁にはさらに15枚だ。あんたの実力には相応だろう」
「……なんだと」
金貨25枚。ワインがいくら買えるのか想像もつかない。
まずい。この沸き立つ感情は、心に悪い。
「足りないかい? じゃあ、さらに金貨5枚足そう」
「さらに、だと……!」
悪趣味な金持ちとは思っていたが、この額をポンと出すなど、この女どれだけ金を持っているのだ。
「でもまあ」
そう言ってエマが馬小屋の外を見やると、笑顔で手をふる女主人がそこにいた。
「壁とテーブルの弁償代払ったら半分は消えるけどね」
……完全に忘れていた。
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