第18話
渾身の槍で数多の腕を薙ぎ払う。
腕は見た目よりずっともろく、簡単に崩れた。
同時に飛沫を上げるのは、血と腐敗した肉。
なるほど、どうりで気配がないわけだ。
少女の繰る腕は、生命でなく屍肉をつなぎ合わせたものなのだから。
「ふっ!」
呼気を吐き、開かれた腕の間隙を抜けて肉薄する。
間合いは十分。槍の穂先は彼女の心臓を捉えていた。
「
彼女が叫ぶと、虚空から屍体が溢れてくる。
際限なく現れては幾重に重なり合い、分厚い肉の壁となった。
いくらスパルタの一撃が重いとはいえ、槍はすでに摩耗している。5体を貫いたところで、限界を迎えた。
真ん中から砕け散り、最大の殺傷力を持つ刃を屍体の奥に残して失ってしまう。
だが、問題はない。
スパルタの拳は岩をも砕く。
折れた槍の柄を捨て、手の甲で屍体の頭を殴り飛ばす。
脳漿か腐肉か、大量の液体をぶち撒ける。思ったとおり、腕と同じくこの屍体ももろい。
槍で繋がったまま屍体は崩れ落ちると、私は彼女と再び相対する。
すでに次の準備をしていたのか、少女はすぐに魔法を唱えた。
「
「それはもう見た」
懲りずに屍体を溢れさせるが、一度覚えてしまえばどうということはない。竜の歯を撒いたら生まれる
拳の風圧だけで、肉は剥げ骨を顕にする屍体など、スパルタ人の敵ではない。
しかし、そこで彼女は不敵に笑った。
ぞくりと背筋を震わせた時にはもう遅い。
ひたり、と冷たい手が足首に触れる。
同時に私の体は遥か高く、空へと投げ飛ばされていた。
「!」
油断した。彼女は守りながら周到にも腕を操っていたのだ。
落下地点では待ち受けるように、花開く腕の触手。
逃げ場はない。
「だが、これは悪手だな」
掴まれたまま川に落とされたなら、さらに泳げないように沈められたならば、危なかった。
しかし、鉛直に投げ上げられたならばこっちのものだ。
スパルタ人はタイゲトス山から落とされ訓練をする。幼少の頃より幾度も。この国に初めて訪れた時、空から落ちてきても無事に着地できるほどに。
衝撃を完全に吸収できるならば、当然それを転化して利用することも可能なのは道理である。
くるりと身体をひねる。
足が真下にくるように、落下の勢いに全体重を載せた。
錐揉み回転を加え、命中率を高める。
さらに片足になることで接地面積を減らし、殺傷力を高める。
全身
「砕け散れ」
その威力は雷霆の如し。
ヘラクレスが
盾を振って、飛び散った腐汁を払う。
着地点がずれたが、一息で殺れない距離ではない。
「ふ、ひひ。やっぱりお前いいなあ。ほしいなあ」
彼女は杖を揺らして楽しそうに――不気味に笑った。
「スパルタ人は誰のものにもならない。スパルタの誇りのため、戦士として生き、戦士として死ぬ」
私は盗賊が落としたボロボロの剣を拾い、先端を少女に向けた。
「どうしても欲しいと言うなら。殺して奪い取るんだな」
「なら、あんたをころして、ザクロの不死の軍団に加えて、やる」
「不死の軍団だと?」
このもろい屍体どもが?
数だけを頼りにする有象無象が?
「ふ、ふふ、ふわーはっはっは!!」
「な、何? 何が、おかしいの」
あの冥界から這い出てギリシアを蹂躙するペルシアの精鋭部隊と、ただ少女に操られているだけの屍体の群れが同じ名前だとは、これほど、これほど――ふざけたことがあるものか。
「舐められたものだなあ!!」
レオニダス王麾下300人のスパルタ重装歩兵を、数の有為こそあれど苦戦させ、死に追いやった強敵と、ただの腐肉が同列に語られるのは反吐が出る。
怒気が全身の血を沸騰させる。
あの少女は、一息に殺そう。
「え、なに、いきなりわけわかんないよ!
堰を切ったように溢れ出す腕と屍体。しかし精度は低く、ただ少女の守る壁になるように出てくるだけ。
ならば、戦術などいらない。正面から叩き切るだけだ。
首を落とす。
肩口から腹まで断ち切る。
両足を切断して転ばす。
剣を投げて頭を潰す。
盾でかち上げて地面に叩き落とす。
顔面を踏み潰す。
頭を潰した剣を引き抜き横に薙ぐ。
屍体の壁が剥がされた先には、涙と鼻水で顔を歪める少女がいた。
年相応に怯え、恐怖を身に刻まれている。
「た、たすけ――」
私は構わず首を断った。
ザクロのように落ちて、赤い実を弾けさせた。
「戦で怯えるならば、最初から戦場に立つな」
剣を捨て、息を吸う。
人を殺めるならば、いずれ殺められる覚悟はしなけらばならない。
スパルタ人にとってそれは誇りだ。
アルカディア人もテーバイ人も、アテナイ人でさえも覚悟だけはしている。
子供とはいえ、好き放題に力を振るっておきながら助命する無様さは、許せるものではない。
戦場の栄誉を汚すものを、私は許さない。
「だが、なんだこれは」
だというのに、吐いた息は重苦しいものだった。
何かが茨のように胸を縛っている。
少女を殺すことに、何の呵責を感じているのだ。
「私は……甘くなったのか」
スパルタ軍に属していた時――今でも属しているつもりだが――は、もっと冷酷でいられた。
少なくとも、戦闘後に後悔を滲ませせるなど一度もしたことがなかった。
変わっている。この国に来てから私というものが、変化している。
いずれ戦場に駆り出された子供と退治した時、槍が止まってしまえば死ぬのは自分だと言うのに。
「殺しておいて、甘いっていうのは、へ、変なの」
「逡巡する間があるのは弱さだ。身体を止める一瞬で、勝敗が決まることもある」
「で、でも命乞いの、途中で斬った」
「一度不覚をとっているのだ。二度はないようにするのは当然だろう」
そこまで言ってから、はたと気づく。
「まて、私は誰と話している」
「え、ザクロと、だけど」
いそいそと落ちた頭を持ち上げて、首に乗せる少女。
乗せる方向を間違ったのか、腕で位置を調整していた。
「何故生きている?」
「ザクロ、死霊術師だから。自分の屍体も操れる」
なんと、この国の魔法は
弛緩していた筋肉を緊張させるが、少女はふるふると手をふる。
「もう、ザクロお前襲わない、だから」
「もう殺さぬよ。すでに
「よ、よかった」
胸をなでおろした反動で頭が落ちる。
コロコロと転がる自分の頭を追いかける光景は、悪い夢でも見ているようだ。
なんだか、戦闘以上にどっと疲れた。
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