第20話

 崖路を抜けてからは道も広がり、商隊は順調に旅程を進める。

 魔物が現れた際には、私よりザクロの方が速く仕留めることも多く、3日もしたら他の護衛に頼りにされていた。

  

 心配し過ぎだったな。



「よし、明日にはピエタが見えてくるから、今日はここで野営するよ」



 了解、と揃った掛け声が響くと、手際よく天幕が張られていく。

 夜風をしのげる程度ではあるが、有ると無いとでは大違いだ。筋肉も冷えると十全の動きはできない。



「それでは私は周囲の警戒と薪の回収を行う」


「ああ、頼んだよ」



 今度はしっかりエマに許可をとって森の中に入る。

 遅れてザクロが後ろをついてきたので、首根っこを掴んで放り投げた。



「ひ、ひどい」



 何を言うか。尻もちで済むように投げただけかなり温情がある。



「……お前はすでに敵ではないことを示したし、無償で商隊に尽くしている。それは信頼に値することだ」


「じゃあ、い、一緒についていってもいいでしょ」


「だが、致命的な欠陥がある」


「なに?」


「…………臭いのだ」



 汗臭いのではない。腐敗臭だ。

 鼻の奥底まで痛み、涙が止まらなくなるほどの悪臭。彼女を信頼する護衛も、軍用の槍が届かない距離からしか話さない。

 

 この数日で鼻が曲がり、おかげで魔物の気配を感じ取ることも難しくなっている。そうでなければ幼少よりアルテミス・オルタイア神殿で祈っていたスパルタ人が、狩猟で遅れをとるものか。



「お前が一緒にいては、警戒もできん」


「わ、私が守るから」


「いらん。別行動したほうが効率的だ」



 彼女が召喚する腕ならば、私が抱える量より多く運べる。生木と薪を区別できないのが欠点だが。



「もし殺されるのが怖いと言うならば心臓は返す」


「それは別にい、いいんだけど」



 良いのか……やはりこの女と同じ空気を吸っているだけで本調子でなくなる。ため息の数も増えるというものだ。



「好きにしろとは言ったが、私の邪魔をするな」



 言い捨てて森の奥へ向かう。


 澱んだ悪臭から離れて、久しぶりに新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

 木々の香り、土の香り、その全てが芳しく感じる。



「戦場に慣れた私の鼻がやられるとは……まった、く」



 その時、甘い香りが鼻孔を掠めた。

 蜂蜜とバラをワインに漬け込んだものより、もっと甘い、甘い。


 意識が遠のく。

 抗いがたい眠りの誘惑ヒュプノスが襲いかかる。



「な、あ……」


「危な、い!」



 ザクロの声が耳に届くが、眠りを妨げられることはなく、目の前が真っ白と――






 気がついた時には、私は空を見上げていた。

 すでに日は落ち、木々は不気味な影を落としている。


 頭には狩った山羊を枕にしているような感触……ザクロの腐った脚があた。わざわざ膝の上に乗せてくれたのか。



「どれくらい寝ていた」


「そんなに、経ってない、よ。5分、くらい」



 ごふんというのは良く分からないが、時間が経っていないという彼女の言を信じよう。



睡眠樹スリープツリー、実から睡眠作用のある香りを出して、寝ている間に種を植え付ける。宿主が死んだ時に発芽して、生息域を広める」


「博識だな」


「私、な、長生き。これくらい知ってて当然」



 えへん、としたり顔をする彼女は長生きしているようには見えない。死んでこそいるが、見積もって13か14程度だ。



「ほんと、だよ。私、エルフだもん」



 禍々しいローブのフードを外すと、ザクロの顔が全て露わになった。

 血の気の引いた肌に、落ちくぼんだ目に分厚い隈。なにより目を引いたのは、人とは思えぬ尖った耳だった。



「この国の人間はエルフを信奉していると聞いたが、お前が……?」


「彼らがし、信じてるのは太古のエルフ。天空大陸で潤沢な魔力を摂取していたエルフと、今のエルフは似ても似つかない」


「なるほど」



 ギリシアでも時の神クロノスが支配していた黄金時代では、もっと巨大な体躯であり、老いを知らなかった。しかし白銀、青銅、英雄と下るにつれて今の身体となり、不死や不老と無縁のものとなったのはよく知られることだ。


 この国の信じているエルフは、黄金時代のエルフなのだろう。



「1つ教えてくれ、なぜエルフはワインを割ることを禁じているのだ」


「人間が税として納めた時、水で薄めて納めたから」


「ああ……」



 それは禁じる。ワインを薄めて輸出することはギリシアだって厳罰ものだ。その法律がどこかでねじ曲がって飲む時でさえ割ることを禁じるようになったのだろう。

 真実を知ってしまえば馬鹿らしい話だ。


 そんなことより、と前置きして私は訊ねる。



「なぜだ」


「な、ぜって?」


「お前は私の屍体が目的なのだろう。気絶したならこれ以上の好機はなかったはずだ」



 そのために心臓を渡して油断させて様子を見ていたのだろう? そう言外にぶつけるが、彼女の答えは首を横に振ることだった。



「あな、たを戦い以外で殺しても意味がない。無念で死んだ人間は、念を残す、から、使役できない。しかもあなたは、どこかで1度死んでる。難易度、最大」


「ああ、戦闘前にそんなことを叫んでいたな」



 すでに死んでいる、と。

 あの時は深く考えていなかったが、確かに本来ならテルモピュライで死した身。ここが冥界ハデスの領域でないならば、こうして旅をしているのは奇妙というほかない。



「何か知っているのか?」


「たまに、あなたみたいなひ、人が空から落ちてくる。原因はわからない」


「ふむ」


 ならば神々の悪戯であろうか。ヘラやポセイドンから怒りを買った覚えはないのだが。



「せ、戦士は正面から戦って死ぬと、満足することが多い。私じゃあなたにか、勝てない。から、あなたが満足して死ぬ瞬間を見届ける」


「満足して死ぬか」



 なるほど、ならば暗殺はしないだろう。スパルタ人が満足して死ぬとは、戦場で死ぬことに他ならない。

 眠っているうちに、獣に貪られては死んでも死にきれない。彼女はそれを知り、眠る私を守った。



「では、それまで手を出さないと?」


「出さ、ない、出せない」



 現に今殺されていないのだから真実なのだろう。



「命を救われたなら信じるほかあるまい」


「ありがと、う」



 何の感謝かわかりかねる。しかし、ザクロのことは少し理解をし始めていた。

 彼女は嘘はつかないだろう。


 私の屍体が欲しいということも、そのため自分では殺さないことも。

 信頼を勝ち取るために心臓を差し出し、私を守り、自らの種族も明かした。


 見た目が屍体で臭いが最悪なこと以外、彼女に悪い点はない。


 私は脚と背筋の力で勢いよく立ち上がる。



「遅くなってしまったな。それでは、薪を拾ってこようか」



 彼女がのそのそと立ち上がるので、私は手を差し伸べた。



「手伝ってくれるか?」


「う、うん!」



 暗い森の中では、彼女が発する魔法の光が、とても頼もしかった。

 

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