第21話

 港湾都市ピエタ。


 エアリスと同じく城壁に囲まれているが、商港と軍港を兼ねる巨大な湾口を保有しており、人口は比でない。

 まだ豆粒ほどの大きさであり、潮の香りすら感じないというのに賑わいを感じさせる。

 香りを感じないのは、隣でピエタを説明する彼女のせいかもしれないが。



「ぴ、ピエタはオリゼ侯爵領で最大の経済力と軍事力を持つんだよ」


「それはすごいな」



 海軍力のないスパルタにとっては羨ましい話だ。


 そういえば、アテナイ人は新しくペイライエウスに軍港を開いたのだったな。まだ舟屋も少ないが、いずれギリシアで最大の港になると吹いていた。

 スパルタ軍は最強とはいえ、少し妬ける。



「よし、もう一息で到着だ。あんたたち、気張るんだよ」



 エマの顔も幾分か朗らかだ。酒飲みの彼女のことだ、荷下ろしがすんだら飲みに行くところをすでに決めているのだろう。



「なんだい、あたしの顔に何かついているのかい」


「いや、なんでも」



 移動中ずっと張りつめていた護衛や御者も浮足立っている。

 小声で行われる会話の内容は、主にピエタで何をするか。


 久しぶりに酒を浴びるように飲みたい。腹が裂けるまで食いたい。柔らかいベッドで眠りたい。娼館に繰り出したい。市場で買い物がしたい。

 それぞれ思い思いの欲望を話している。


 ふと隣で歩く少女のことが気にかかった。ザクロは、屍体以外興味のなさそうなこの死霊術師は都市で遊ぶのだろうか。



「お前はどうするのだ?」

 

「どう、って。私は貴方についていく」


「行きたい場所や、買いたいものはないのか」


「と、都市の墓地を荒らしたら怒られるし……食用に加工された肉、は使えないから」


 まるで前科があるかのような言い回しに呆れる。あるんだろうな……


「そうは言ってもピエタに到着したら私もお役御免だ。それといった予定はないのだがな」



 折れた槍に代わる武器の購入と食事くらいだが、武器屋はともかく食事へ彼女とともに行くとなれば、眉根をしかめられそうだ。


 睡眠樹スリープツリーの実を煎じた香水によってだいぶ抑えられてはいるが、腐肉の香りを漂わせて外食しようものなら、つまみ出されることは必至だ。

 

 喜んで同席するのはキティラ島の住人くらいだ。あそこの島民は嗅覚が消失している。でなければ、腐った貝を鍋で煮詰めるなど、とてもできるものではない。

 まあ、できた染料は見事なものであるが。



「そうだ、旅を続けるならば外套マントが必要か」



 今回は天幕を張っていたが、馬やロバもない一人旅でそんなかさ張る布など持っていられない。さすがに高級な貝紫とはいかずとも、雨風をしのげる立派な布が欲しいところだ。


「では武器屋と仕立て屋にも寄ろう。旅を続けるとなれば外套もいるからな。後は市場で何かつまめるものを買おうか」


「か、買い食い。あの憧れの」



 憧れるほどのものなのか。確かにスパルタでもあまり見かけない。

 男は一同に会して食事をするから当然ではあるが。


 話しているうちに都市がはっきりと見えてきた。均一の石で積み上げられた城壁は強固さを見せつけ、エアリスでも見た獣と剣の旗は海風で雄々しく翻っている。

 いかにも不落の要塞といった出で立ちであるが、少し様子がおかしい。


 真昼にもかまわず、外壁の高台で炎が煌々と燃え上がっていた。



「煙――狼煙のろしか」


 

 空へと高くまっすぐ伸びる煙は普通ではありえない。ゼウスに捧げるため100頭の牛を焼いた時でさえ、煙は風に流されて広がり、散っていく。特殊な燃料をくべているのだろう。



「エマ、どうやら緊急事態のようだ。私が先行するか?」


「ちょっと待ちな」

 


 エマは木の筒を取り出しピエタの城壁を覗く。何でも、あれを通せば遠く離れたものが精細に見えるらしい。以前偵察に便利だから欲しいと強請ったら、金貨30枚と言われたので引き下がった。



「……煙は1本、援軍の要請か。他に火の手が上がっている様子もない。大事ではあるけど、緊急とまでいかないみたいだねえ」



 彼女は腐ったワインでも飲んだかのように顔をしかめる。



「このタイミングってことは、もうオークの船団が来たのか。商会の情報網も焼きが回ったね。全く、間に合ってよかったと喜ぶべきか、もっと早く着ければよかったと悲しむべきか」


「喜ぶべきであろう。少なくとも物資は無駄にならない」


「それもそうだね……あーあ、酒はしばらくお預けかい」



 さて、とエマは呟き大きく息を吸う。



「お前たち! せっかく楽しみにしていた余暇がおじゃんになって悲しむのはわかるが、ちょっと辛抱してもらう。足並みそろえて全速前進、ピエタの城門に急ぐよ!」



 弛緩した空気は一変して、各々仕事人の顔つきに戻る。

 この程度想定内といったところか、彼らの練度がうかがえる。


 唯一変わらないのは、ずっとへらへらしてる死霊術師くらいのものだった。


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