第3話

「助けていただいてありがとうございます!」


「礼には及ばない。スパルタ人は呼ばれずとも戦争に行くものだ」


「それでも、です。動機がどうであれ助けていただいたからには感謝する。それが私の流儀なんです」


「流儀……か。ならば感謝を受け取ろう。どういたしまして」


 丁寧に頭まで下げた彼女は先程の熊に襲われていた御仁だ。ギリシアではみない貫頭衣に革の前掛け。先端が曲がった杖を持っているのは羊飼いの証拠だろう。亜麻色の髪を後ろに編み込んでいるが、どこの都市国家の人間なのだろうか。


「私、ティアナって言います。貴方の名前を聞いてもいいですか?」


「婦人に名乗らせておいて自分が名乗らないのは紳士スパルタじゃないな。私はヘラクレイオス。スパルタのヘラクレイオスだ」


「ヘラクレイオスさんですね! 本当にありがとうございました」


 ゼウスも見惚れるほど朗らかな笑顔だ。まあ、あの神が見惚れないことなどないのだが。


「スパルタっていう村は初めて聞くんですけど、冒険者さんですか? もしよかったら感謝の印におうちでご飯でも――」


「待て、スパルタを知らない?」


 ギリシア最強の戦士の里であり、かの大英雄ヘラクレスの血を引くスパルタを知らないとはどういった了見なのだろう。ティアナの目を見るが、ふざけているわけでも、挑発しているわけでもない。


 本当にスパルタを知らないのだ。


「……ひとつ確認したい。ここは畏ろしくも絶大なるハデスの治めるエリュシオンだよな?」


「エリュ? もしかして道に迷われましたか。ここは騎士オリゼ様が治めるタータ村ですよ」


「どこだそこは」


 全く聞き覚えのない人名地名。戦争と略奪のため、あらゆる土地に渡った私でもさっぱりだ。


「では、あの獣も冥府の怪物ではないのか……」


「冥府なんてそこまで恐ろしいものでは――いや、恐ろしくはあるんですけど。オーガベアは割とよく知られた魔物ですよ」


「魔物? ふむ、わからないことが多すぎる。ティアナ殿、よろしければ知識のすり合わせがしたいのが」


「もちろん、命の恩人ですもの! もともとおうちでご馳走する予定でしたし。あ、でも」


「何か問題があるのか」


「さっき襲われた時、羊に逃げられちゃいまして。全員見つけるまで待ってもらっていいですか?」


「手伝おう、そちらの方が早い。何頭だ?」


 頭数を確認したあと私は散り散りになった羊を見つけるため、一旦その場を去る。

 羊を捕まえるのは得意だ。14の時、狼と競って奴隷の羊を狩ったものだ。


「殺さぬよう気をつけなければな」


 ほくそ笑みながら、色とりどりの草原を駆け抜けた。


 羊10頭を肩に載せて現れたら、ティアナは手を叩くほど笑っていた。

 


 



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