第5話
「…………馬鹿にしてますの?」
「そんなことは決してない。其方の筋肉はまさに芸術、アポロンも喜んでいるだろう」
しっかり盛り上がった力こぶ。
6つに分かれた腹筋。
腰より太い脚。
トロイア戦争の英雄アキレウスは、
「貴様! イザドラ様に何たる不敬を!」
激昂した騎士が剣を振り下ろす。
まだ、私の眼は彼女にくぎ付けだ。
しかし、鍛え上げた肉体は、頭がとろけていようと俊敏に反応する。身をひねり、つんのめった騎士の腹に拳を当てると、騎士は体を
ざわりと慌ただしくなる周囲と、目を見開くイザドラ。
「抵抗する気ですか」
「貴女の魅力には抗えませんが」
「またふざけたことを……いいでしょう、それならば刑はここで執行します」
商人と3馬鹿から手を放し、私を取り囲む騎士たち。
キラリと輝く鎧と剣は、よほど良い金属を使っているのだろう。
しかし、そんなことは今はどうでも良い。取り囲む騎士のせいで彼女が見えなくなる、それが一番の問題だ。
「邪魔だ」
剣を振り抜く。
魔剣は、その名に恥じぬ切れ味を発揮して、騎士の剣を叩き折り、鎧を砕く。
真っ二つにするつもりだったが、思いのほか鎧の硬度が高い。近衛騎士というのは、それだけ強力な兵なのだろうか。
ともあれ、兵が倒れたおかげで私と彼女を隔てるものはなくなった。
「その剣――貴女まさか赤竜騎士団の!」
「これですか? これは山賊が持っていたものを頂戴したものです。私は一介の冒険者、スパルタのヘラクレイオス。騎士団とは無関係です」
「業火の魔剣をもった山賊などいるものですか! お前たち、早く立ち上がって彼を捕えなさい」
彼女が叱咤するが、騎士は地面で震えるだけだ。さもありなん、血は出ていないとはいえ、鎧を砕く衝撃を一点に食らえば悶絶くらいはする。
「……わかりました、それではわたくし自ら捕えるとしましょう」
「姫様、なりません! この者の力は尋常では」
「そうでしょうとも、不意を突いたとはいえ、彼は近衛騎士団を鎧袖一触するような者です」
イザドラが指輪に触れると、どこからともなく槍が現れた。いや、槍にしては先端が大きい。なんと、穂先には刺突用の刃の他に。斧と鉤まで付属していた。
「ですが、王宮武術を皆伝し、古のエルフの
地面に水平に長物を構える彼女の姿は様になっている。恐らく、相当鍛錬を積んだのだろう。全身から発せられる圧は、すさまじいものだ。
まあ、スパルタ人女性ならこれくらい全員発せられるが。
「何を笑っているのです? 大人しく膝をつくのは今のうちですよ」
「貴女のためならば、12の功業も、金羊毛を探す旅にでも出られるでしょう――だが、膝をつく、それだけはできないな」
スパルタ人は誰であろうと屈さない。たとえ相手が
「そうですか、では力づくで下げさせて差し上げます」
彼女の姿が消える。
一瞬で視界から外れる脚力は見事。
「だが、詰めが甘い」
「これを防ぎますか!」
真後ろに回った彼女の攻撃を、振り返らずに受け止める。
矢の軌道を見極める訓練は、12になる前に済ませた。どれだけ速かろうと、人間大ならば、目で追わなくても位置がわかる。
さらに言うと、彼女の香水は華やかすぎる。これでは目をつむっても防げてしまう。
「運動能力も悪くない。やはり、好みの女性だ」
「戦闘中に余裕をみせるとは、後悔しますわよ!」
イザドラは左手を添えるようにして、右腕だけで突きを繰り出す。
重い連撃だ。もしかしたら一発一発が、魔剣の元の持ち主、エドの剣撃に迫るかもしれない。
「
「まだ、言いますか!」
一旦距離を取った彼女が行ったのは、なんと石突きで土を弾く目つぶし。何もかも文化の違う国だと思ったが、王宮武術とやらはスパルタ的だ。王がなりふり構わず効率的に相手を殺そうとする武術とは、かなり好感が持てる。
「隙あり!」
彼女の渾身の突き。強い踏み込みと右腕の捻りが加わった、強力な刺突が迫る。
もし直撃したら、スパルタの肉体でも危うい。腹をえぐられ、内臓をこぼすことになるだろう。
「ふむ、惜しい」
だが、隙を見せていないスパルタ人には当てることは到底無理だ。
私は穂先をぺいっと左手でいなし、空いている右腕で彼女の腰を抱き留めた。ティアナやザクロよりしなしなと弾力がある身体だ。
鼻孔をかすめる花の香りが、心臓を高ぶらせる。
「私の勝ちだな」
「離しなさい! 貴方自分が何をしているかわかっていて!?」
イザドラは顔を赤くして暴れるが、武器を抑えられた人間など、生まれたばかりのライオンよりかわいいものだ。
「貴女こそ、敗者がどういった定めかお分かりか?」
「貴方まさかわたくしを手籠めにするつもり……?」
「え?」
手籠め――女性に乱暴をすること。戦時下では理性のたがを外した兵士がしばしば行う。淫行。
「ば、馬鹿な事を言うな! 私がそのようなことできるわけがないだろう」
「だったら、手を離しなさい! いつまで女性の腰を掴んでいるつもりなんです!」
「それは、しかし」
イザドラは王族。ここで彼女を離したら、2度と会う機会はないだろう。嫁にするためには、この機を逃すわけにはいかない。
こんなところで恋愛経験がないことが仇となるとは。ええい、やはり男色であっても手を出すべきだった。
そんな時、1つの記憶が思い起こされる。そうだ、エアリスの都市をティアナと廻ったあの日。
「
「え、う、うん」
呆けていたザクロが頭を振りながら行った死霊術によって、首のない馬が召喚された。
私はおもむろにイザドラを抱きかかえ、馬に乗せる。
「臭い! というかこれ腐って――」
「では、行きましょう」
そして、私も飛び乗って馬の腹を優しく叩く。
「はいや!」
「せめて、この臭いをなんとか! ねえ、聞いてらっしゃる!?」
彼女の声が耳に心地よい。私は心を震わせながら、狩りという名の逢引へ向かった。
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