第25話

 まるで蒸し風呂サウナだ。


 オリゼ商会第2支部で1商隊を預かるエマ=ランドブリッズは、額に汗を浮かばせながら心の中でごちた。


 原因は暖炉だ。

 ウルカスは王城に至る道中に、城内では天板がないむき出しの暖炉があるから、温まってくれと説明を受けていた。


 しかし、それには語弊がある。

 いや、規模が違い過ぎるというのが正確か。


 巨人らが暖炉と呼んだそれは、人の身からすればもはや炎の壁だ。

 成人男性が腕を伸ばしてやっと届く石積み。その上で轟々と燃え上がる大火。まるで戦火に襲われ落城した砦だ。

 近づくことはもっての外、見るだけでも焼かれそうな強烈な熱を発している。


 さらにあろうことか、火の上には巨大な鍋。ぐつぐつと煮立つ音と共に大量の蒸気がまき散らされているため、部屋中がうすぼんやりと靄ががかっていた。

 はるか南の獣人の国だってここまでの暑さはない。

 

 水夫はおろか手練れの護衛すら犬のように舌を出してへばっている。



「エマ様、このままでは気絶者がでます」


「わかってるよ。だけど、好意でこの部屋に通してもらってるんだ。文句は言うんじゃないよ」



 好意。そう、これが拷問の類であったら総力を挙げて脱出を図っているが、これは純粋な親切心からなるものだ。

 ここは謁見の間。王が到着するまでの待合室は他にある。


 ならばなぜこの部屋に通されたかというと簡単で、この謁見の間以外の部屋は恐ろしいほど寒い。

 巨石の建築は風こそ通さないが、あまりにも広い上、素手で触れたら皮膚がくっつくほど冷気をため込んでいる。今から火を熾そうとすれば、部屋中が温まる前に凍死者がでるのは間違いないだろう。

 しかも、城内には至る所に残飯を漁る鼠がいるのだが、それがまた横倒しにした樽より大きい。寒さで動きが鈍った人間など良い餌だ。


 人が来ることなど考えない、巨人本意で設計した結果の欠陥住宅。

 

 かと言って外で待つのは論外だ。

 寒さに加えて、立つのも困難な暴風が粉雪を巻き上げ、隣に立つ者の姿すら見失う凶悪な地吹雪が吹き荒れる外など、どれほどの死者がでるか想像もつかない。


 死ぬほど暑いが、本当に死ぬよりはまし。


 エマはそう考えながら汗で重たくなったハンカチを絞る。


 上陸したばかりは危険な生物はおれど、気候は穏やかな土地だと思っていたが、さすが最強種の巨人の住まう大地。

 こんなことなら第1支部の会員に巨人の国について詳しく聞くんだったと激しく後悔していた。


 そんなエマの心情を知ってか知らずか、しびれを切らした護衛の1人が怪鳥の羽をむしるウルカスに話しかける。



「ウルカス様、巨人王様はいつ頃お着きになるのですか?」


「さて、狩りに出かけたらしいからな。詳しい時間はわからん。まあ、日が暮れないうちには帰るだろ」


 作業も止めない適当な返事。しかしあまりに綺麗に言い切られたことで続けて言葉を重ねることができず、護衛の者は再び俯くことになった。いや、先ほどより徒労感が増えた分、首をもたげる角度が大きくなっている。


 出口が見えない時ほど、精神的に参ることはない。

 窓にはびっしりとこびりついた白い雪。あれでどうして日暮れがわかるというのだ。

 諦めて心を無にした一同。

 そんな折である。城が揺れた。


「なんだ! 地震か?」


「頭を隠せ! 防御魔法の幕の中に入るんだ」


「盾持ちの護衛は固まって落盤を防げ」



 とっさに行動できたのはオリゼ商会が日々行っている備えの賜物だ。誰もが適切に判断し、迅速な行動で身を守る。

 

 しかし、それは見当違いだったようだ。現にウルカスは慌てるそぶりも見せず、羽をむしり終えた怪鳥を鍋に投げ込んでいた。



「落ち着けお客人。そして姿勢を正せ」



 ウルカスはゆっくりと腰を上げ、重厚な扉へと視線を移す。そして呟くように一言漏らした。



「王の帰還だ」



 開け放たれる扉。部屋に吹き込む冷気。

 オリゼ商会に属する人間全員の背筋が冷えたが、それは冷気によるものだけではない。


 現れる人影、否巨人影。

 それが放つ膨大な魔力が、背から肝までを底冷えさせたのだ。



「今帰ったぞ!」



 優に10メートルを超える体躯は、一切の無駄がない引き締まった筋肉塊。纏う色とりどりの毛皮は、名前も知らぬ凶悪な魔物のなれ果て。

 右手に棍棒、左手に白目を剝いた巨獣。長いひげに滴る赤はその獣の返り血か。

 いかにもな巨人といった出で立ちだが、様相に似合わずその顔は子供のように無邪気だ。

 

「お早いご帰還で、陛下」


「うむ、八脚猛牛オクトパスブルの追い込みが上手くいったのでな。予想より多く録れたわ」


「それは重畳。ところで陛下、人間の客人が参っております」


「人間? また青い騎士が懲りずにやってきたのか」


「いえ、別件です。オリゼ商会の者がそこに」


「ほう」



 じろり、と巨大な目がエマたちを射すくめる。

 首筋から臀部でんぶまでつららが差し込まれたような悪寒を感じ、全員ぶるりと身体を震わす。

 そこにいるだけ、眼を合わせるだけで歴戦の護衛までもが歯を鳴らしてしまう。エルフの大敵、歩く災害、最強種族といった俗称は伊達でないことを身をもって知しることとなった。



「きょ、巨人王陛下におかれましてはご壮健でなによりでございます」


「うむ、其方らも元気そうだな」



 そう言いながら王はゆっくりと巨石に座る。まさかとは思ったが、あれが玉座らしい。

 プライム王族の墳墓ほどありそうな石だというのに、巨人王が座ると丁度良い腰掛けに見えるからすさまじい。



「それで、今日は何用で来た」


「は! 商船が難破しまして、修理が終わるまで滞在許可をいただきたく――」


「許す」


「はっ! ……は?」


「許す、と言った。もし宿がないならば城の空いている部屋を使うといい。ちと寒いが今から薪をくべれば夜には寝れるくらいには温まるだろう。ああ、薪は好きなだけ使ってもらって構わん。人の使う量など高が知れてるのでな」


「あ、ありがとうございます! しかし、この城は――」


「ああ、鼠がいるか。儂らからは逃げるくせに人間やオークには牙を剝くからのう。こちらで潰しておこう」


「良いのですか?」


「なに、オリゼ商会は毎年大量の酒をくれるからな。それにこういう機会でもないとうちの若い者どもは掃除すらせん」



 先ほどの恐ろしげな気配はどこへやら、好々爺然とした顔で笑う巨人王。

 とはいえ、人を容易に殺せる力を持つ怪物がコロコロと感情を変えることほど恐ろしいことはないのだが。

 


「ありがとうございます。しかし、商会として貢物に対する褒美は別に賜っております。つきましては、今回商船に積んでおりましたワインを献上させていただきたいと思います」


「ほう、それは儲けた。オリゼ商会の用意する酒はどこより美味いからな」


「お褒めいただき恐縮です。しかし、此度はオリゼ商会が都合したものでなくオークが拵えたものにて」


「ん? 商会はついに私掠を始めたか」


「いえ、戦利品ではありますが。オリゼ商会はいつでも綺麗な商売をしております」


「綺麗、人の考える綺麗か……ふむ、まあよいだろう。人とオークが戦争してところで儂らには関係のないこと。略奪品だろうが純正品だろうと美味い酒なら問題ないわ」


「寛大な処遇に感謝いたします」


「よい、よい。儂は王ゆえにな、寛大なのは当然だ。さて、そうと決まれば今夜は宴だ。其方たちを歓迎しよう」



 巨人王が手を叩くと次々に巨人が部屋に入って来て、肉に酒樽に山積みにしていく。ウルカスはそれを見てにんまりと頬を緩めていた。



「よっしゃあ、今日は飲むぞ」



 嬉々として暖炉に加わろうとしたウルカスに冷や水を浴びせるような静止が入る。巨人王である。



「ウルカス、お前は休め」


「王何故ですか。俺様だって今日は獲物を獲ってきたんです。宴に参加する資格はあるはず」


「これだから若い者は……魔力にあふれている分、自らの身体に鈍感でいかん」



 巨人王が棍棒で小突くと、ウルカスは音を立てて尻もちをついた。

 倒れるだけで巻き起こった風によって、薪が爆ぜて火の粉が舞い上がる。



。また随分と綺麗にいったものだ。だが、添え木くらいせんとずれて悪化するぞ」


「なんでこんな怪我――まさか、あの男」


「男? なんだ喧嘩でもしたのか」


「いえ、鼠をしつける程度の戯れです。しかし存外鼠の牙も鋭いものですね」


「わけがわからんことを。まあ良い、とりあえず今日は休め」


「……はい、そうさせてもらいます巨人王陛下」



 ウルカスは立ち上がると、骨折したとは思えない軽快な足取りでその場を去っていった。



「見苦しいところを見せてしまったかな?」


「いえ、そんなことは」



 と言いつつ、エマは度肝を抜かれていた。

 折れた足に心当たりがありすぎる。


 ヘラクレイオス、間違いなく彼の仕業だ。

 彼が強い戦士だとは認めている。それはそうだ、でなければ2度も護衛を依頼するほどオリゼ商会は困窮していない。


 しかし今回のは驚きのレベルが違い過ぎる。


 常時戦技を発動している巨人の肉は一塊の金属に等しく、骨にいたっては鍛造された鋼鉄に等しい。


 それをたった一撃で。

 しかもあの時彼は戦技すら使っていなかった。

 純粋な膂力で内側まで衝撃を伝えたというのか。


 剣が砕けたためそのまま敗北したが、もし砕けぬ武器を持っていたら奴は巨人殺しすら成し得てしまうのでは?



「どうした、お客人も不調か?」



 巨人を倒しうる人間。

 そんなものが存在するとなれば、世界の勢力図は激変する。



「いえ、なんでもありません」



 エマは頭の中で算盤を弾く。

 商機になるなら良い、だが一歩間違えればそれは穏やかな日常の破局になるかもしれない。


 手綱が必要だ。

 あの戦闘狂が従順になるくらい強力に縛ることができる手綱が。



「そうなると……リゼ、ネム!」


「……!」


「どうしましたエマ様」



 エマは声が出せない褐色の女戦士と、大魔法すら御せる魔術師を呼びつける。



「あんたたちは急いで船の方に戻って、ヘラクレイオスと合流しな」


「……?」


「契約違反をした者に慈悲は与えないと放っておいたのはエマ様では? と言いたいみたいです」


「あんたらに頼むのはお見舞いじゃないよ」



 エマは懐から貝のような装飾を取り出す。開くと中には魔石が埋め込まれ、そこを中心に複雑な回路がびっしりと描かれていた。



「これは通信魔道具ですか?」


「そう、私のものと直通だよ」


「?」


「諜報は私より適任がいるのでは? と言いたいそうです」


「違う違う、あんたたちに頼むのは情報の収集なんかじゃない。ヘラクレイオスがあんたたちの情にほだされるように上手くやりな」


「そ、それって」


「そうだよ」


 エマは2人の肩に手を置くと、耳元でそっと呟いた。



色仕掛けハニートラップさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る