第14話
「イザドラ様、あのような輩と食事の約束などして良かったのですか?」
ピエタ領主屋敷の1室。広々とした空間に品の良い調度品が飾られた部屋で優雅に紅茶を嗜んでいたイザドラは眉根をよせる。
訊ねたのは子供のころから仕えてきた同年代の近衛騎士。普段であれば退屈な時間を過ごす上で少々馴れ馴れしい彼の存在はありがたいのだが、今日に限っては不愉快だった。
金で縁取りされたティーカップをソーサーにぶつける音が大きく響かせてから、イザドラは口を開く。
「良いわけないでしょう。プライム王家第3王女の私と、あの下賤な輩が逢引めいたことをするなど、あってはならないわ」
「では何故」
「あなたは目の前でよだれを垂らす肉食獣から逃げる時、無策で走りだしますの?」
「いえ、それは」
「悔しいことに、あの男と私たちの戦力差は獅子と兎なんてものではありませんでしたわ。だから少しでも離れるためには、獣の好みそうな餌を用意する必要がありました」
「面目次第もありません。私たち近衛騎士の力が及ばないばかりに」
「戦技も使わずに墜落する王家の秘宝を受け止めるような化け物相手です。仕方ありません。私も頭に血が上っていたとはいえ、挑むのは無謀が過ぎました」
王族の嗜みとして、暴漢を圧倒するだけの鍛錬はしている。しかし、あの者――ヘレクレイオスと名乗る男には一切通用しなかった。
まるで児戯だと。一介の兵士や冒険者などより、血と汗を流して体得した王宮武術が、子供の振り回す木の棒と同等だと言わんばかりに。
イザドラは親指の爪を噛む。武を修めるため短く切った爪の間から血が垂れる。
近衛騎士がさっとハンカチを差し出すが、彼女は受け取らず話を続けた。
「だからこちらも化け物をぶつけるのよ」
「聖騎士ベイトールですか……」
「あら、あなたは彼のことがお嫌い?」
「いえ、嫌いとまでは。ただやはり教会から出向してきた者に信頼を置くには難しいです。それにベイトールはその」
「得体が知れない?」
「はい。剣や魔法より銃を得意としたり、誇りある一騎打ちを行わず闇夜から襲撃したり、騎士らしからぬことをしばしば行いますので」
「ふふふ、そうですね。彼は騎士らしくありませんわ」
イザドラは笑顔を浮かべて、窓から海を眺めた。
「だからこそ、あの野蛮人にぶつけるのが相応しい」
「驚きましたね。心臓を撃たれて死なない人間がいるとは」
大海原に浮かぶ巨大な商船の甲板で、ベイトールは膝をつき、肩口からどくどくと血を流していた。
奇襲しておいて止めもささずに語りだすものだから、普通に駆けつけて斬り捨ててしまった。
「スパルタ人がそのくらいで死ぬようならば、ギリシア最強の戦士と呼ばれていない」
すでに胸部からの血は止まっている。ペルシアの矢のように返しが付いていれば、肉がずたずたになるので止血は難しいが、幸い敵の攻撃は綺麗に貫通していた。これならば筋肉の収縮だけで傷は塞がる。あとは新鮮な牛肉でも食えば完治するだろう。
「ははあ、ほんとに化け物じみている。全く、損な依頼だ」
「此度の襲撃は、イザドラの仕業なのか」
「
「そうか」
「命を狙われた割にずいぶん冷めてるじゃないですか。もっと憎悪と怒りを表すものだと思っていました」
「なぜだ? 求愛したのは私だ。イザドラには私を試す権利がある」
「試す、権利」
腹を痛め、子をなすのは女性だ。しかし、孕んでいる間はどれほどの強者であっても無防備になる。引き締まった筋肉によって、あらゆる災厄から死を遠ざけるのがモテるスパルタ人男性だ。
他の
「これも恋の駆け引きというやつだ。私を殺そうとするなら、その全てを退けて認めさせてみせよう」
「狂ってますね。いや、常識が違い過ぎる。王女に求婚して、権利はあるだの、認めさせるだの。何様のつもりで語っているんですか」
「何様だと?」
私は顎をつまみしばし考える。
答えはやはりは決まりきっていた。
「私は戦士だ。そして、スパルタだ」
「それが、訳が分からないと言っているんですよ!」
向けられる鉄の筒。
間違いなくこれが私の心臓を射抜いた武器。仕組みはさっぱりわからないが、筒の先を向けるということは先端から何かを飛ばすのだろう。
恐らく弓矢のような予備動作は必要ない。あったならそのわずかな筋肉の動きが殺気として現れ、感じ取れたはずだ。
照準を合わせればあとはわずかな力で発動する遠隔射撃。隠れて長距離から斉射されたらかなり危険だ。
しかし、悪手だ。
距離はすでに私の間合い、武器は1つ。
筒をむんずとつかみ取り、あらぬ方向に向けてやればそれで事足りる。
乾いた音だけが空しく響き、帆にわずかな穴を空けただけで敵の手番は終了した。
「無駄なあがきだ」
ベイトールの顔面に、私の足裏がめり込む。
技とも言えない粗雑な蹴り。鼻骨と前歯の砕ける感触を残して、彼は海へと落ちていった。
水音が鳴った後、海面に浮かんでくる姿はない。再びゆっくりと血の染みが広がるだけだ。
終始見物人だった水夫と護衛たちは、ここきてようやく息を吐き歓声を上げた。
「すげーな兄ちゃん! サメだけじゃなく騎士も1発ノックアウトってか」
「さすが、ヘラクレイオスだ。オークの進撃をとめた実力は伊達じゃねえな」
「当然だ! スパルタの兄貴は山をひと回りする巨大蛇だって倒したんだぜ!」
まるで祭りのような騒ぎだ。
しかし、スパルタを称賛する言葉は悪くない。勝利の報酬として十分過ぎる。
ここで勝利に酔いしれるような者はスパルタ人にはいないが、彼らの賛美は素直に聞きいておこう。この声がこの国の全てに広がることを夢想し、筋肉を滾らせる。
とはいえ、あまり先を見過ぎると足元がおぼつかなくなる。必要なのは今とこれからだ。遠い未来は
少し休むと断りをいれて群衆から距離を置く。盛り上がり足りないと不満そうな顔を浮かべる者もいたが、先の戦闘を鑑みて道を開けてくれた。
私は日陰に入り、腰を下ろして一息ついた。
「さて、どうするか」
イザドラが彼を暗殺者として差し向けたというなら、赤竜騎士団と青獅子騎士団の調査依頼を全うする義務はない。しかし妨害をものともせずに試練を乗り越えてこそ、真のスパルタ人。
「このままオリゼとバウル砦に向かい、情報を収集するのが良いか。ふふ、イザドラの驚く顔が目に浮かぶ」
きっと彼女は私の戦士の在り方に感銘を受けて惚れるだろう。完璧な計画だ。トロイの木馬を立案した
「おっとそうだ、急いで来たため受付嬢を置いてきてしまった」
しっかりと掴んでいたつもりだったが、思いのほか返り血で手が滑ったようだ。正直なところ朝食前にこれ以上無味な石を飲み込みたくないのだが、密航者を優しく救助する水夫などいるわけもなく、仕方なく腰に付けた袋に手を伸ばす。
「む?」
空気を掴む感覚しかないことに疑問を覚え視線を落とすと、魔石の入った小袋がなくなっていた。
いつの間に。踏み込んだ時に落としたのだろうか。
海に沈んでしまっては厄介だなと思っていたら、背後から声を掛けられる。
「探し物はこれですか?」
「ああ、すまな――」
私はスパルタ人にあるまじき、恐怖からの後退をした。
狼から逃げる鹿のように、無様で見っともない、被捕食者の逃亡。足を止めた際に開いた距離に愕然とし、同時に恥じた。
しかし、それをさせるだけの威圧感がそれにはある。
「貴様っ!」
「どうしたんですかヘライクレイオスさん。死人に出くわしたような顔をして」
無傷のベイトールがそこに立っていた。
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