第13話

 大自然を生き抜く獣は賢い。強者の気配を嗅ぎ取れなければ、蹂躙される側になるから当然である。仲間を2匹立て続けに失えば、出方を変えるのは必然だろう。

 予想通り、魚影の動きが変わった。

 獲物をいたぶるようなな恐怖心を煽る泳ぎ方ではなく、茂みから機を窺う狩人の動きへと。

 あれだけ目立っていた背ビレは全て海の中へと消える。ギラついた殺意だけを残して、サメたちは深く潜行していった。


 朝焼けの海に静寂が訪れる。

 


「ちょっと、サメがいなくなったんだから早く助け――」


「静かにしろ」



 受付嬢を片手で制して黙らせた。

 不満げな表情を向けられても、それを気にしている余裕はない。


 海は彼らの領域。本領を発揮して海から奇襲をしかけられたら、万一ということもある。奴らを補足し、備え、覚悟することで万に1つをすり潰す。


 目を瞑る。全神経を集中させる。

 視覚以外の感覚を研ぎ澄ませろ。


 波の音。息遣い。心臓の鼓動。

 潮の香り。血の匂い。

 肌寒い朝の空気。肌を焼く朝日。足を濡らす冷たい塩水。


 さらに感覚を拡張する。意識を飛ばして己を鳥瞰する。


 海鳥が翼を広げる。帆が風をはらむ。

 船上で話すオリゼ商会の護衛と水夫。

 波を受ける船。樽の食料を齧るネズミ。


 群れをなす小魚。気ままに泳ぐ亀。うねりを上げる海流。


 そして、さらに奥。人の身では肺がつぶれる深度へ。



「見つけた」



 およそ1スタディオンと40ペーキュス200メートル下。


 サメたちは小魚のように群れを成して、ひとつの巨大なサメと化していた。総数は100を超える。餌を奪い合う巨大肉食魚が群れを成すだけでも奇妙だというのに、被捕食者イワシのように振舞うのは異常の一言だ。


 目が合う。

 お互い肉眼では視認することはできないが、間違いなく目が合ったと直感した。


 それは瞬きのことで。


 彼らは噴火する溶岩のごとく急上昇する。


 足元から現れたのは――無数の顎だった。



「――っ! ザクロの不死兵と同じ合体か」



 驚くべきことに、比喩ではなくサメはひとつの生き物となっていた。癒着する肌と肌は、最初からつながっていたと言わんばかりに継ぎ目すらない。


 多頭の超巨大ザメ。100人が見たら100人が怪物と称す異形。


 絶大な筋肉量の前に、私の身体は宙を舞った。

 自由走行を用いているというのに、私は空で不自由を強いられる。


 迎え撃ちにと魔剣ヘスティオンで頭を落としたが、無駄だった。


 サメの牙がそうであるように、この怪物は頭を切り伏せても新しい頭が現れる。空中で都合8つ叩き割ったが、全て元通りになっていた。


 まるで百俣蛇ヒュドラだ。猛毒がなく、斬っても頭が倍に増えないことが唯一の救いか。



「埒が明かない」



 空気を蹴って距離をとる。

 超巨大ザメも、限界に達したのか、高度を落として海へと消えていく。

 噴き上がる水柱は空高く、私にこびりついた返り血も洗い流した。


 戦況は悪い。このままでこちらのジリ貧で、いずれは捕食されるだろう。



「――今までならば、な」



 新しい魔石を噛み砕く。



「戦技を覚えた私にとって貴様らは脅威になりえない」



 ざらざらと口に広がる不快感の代わりに、漲る魔力が全身を巡る。

 


筋力強化マッスルストレンティニング



 筋肉が膨張する。玄翁大蛇ハンマーヘッドボアと戦った時のような、英雄の体型には遠く及ばないが、それでも無駄のないスパルタの肉体に、純粋な筋肉が上乗せされれば効果は言わずもがなであろう。


 再び海から鉛直に飛び上がる多頭の超巨大ザメ。

 その恐ろしい姿に変わりなく。ゆえにそれが敗因だ。

 殺し合いで何の捻りもなく同じ技に固執すれば、敗北は必至であるというのに。


 

「貴様らに恨みはないが」



 空を蹴る。


 1歩で獅子の踏み切りより速く。

 2歩でハヤブサの落下速度を超え。

 3歩で――音を置いていく。

 


栄光スパルタの礎になってもらおう」



 衝突。


 自分の声が耳に届いたころには、全てが終わっていた。

 超巨大サメの頭は破裂し、血煙が雲のように漂う。胸ビレから尾ヒレにかけて、食道を貫くように真っすぐ伸びる空洞は、私が通過した跡だ。


 音が後から聞こえるような速さは、それだけで災害となる。かつて拳圧でエアリスの冒険者組合の窓を全て叩き割ったように。

 強化済みの全身からなる突撃ともなれば、その圧は大英雄ヘラクレスでさえ格闘を避けたエリュマントスの猪の突進に等しい。


 ゆえに、牙という牙は私が接触する前に全て粉砕されていた。


 心胆を寒からしめるサメの牙も、触れなければどうということはない。



「合体しなけらば、避けられただろうに」



 踵を返し、ゆっくりと歩き出す。

 世界沈没デウカリオンの大洪水もかくや残響を背中に受けつつ、私は緊張を解いた。


 

漁猟スパルタ完了」



 気付けば、海は1メトテレス40リットルのワインが詰まった大甕ピトスを積んだ商船が沈没したような有様になっていた。本当にワインであったら損害額は馬鹿になるまい。

 ……ワインが飲みたくなってきたな。もし船に積んでいたら分けてもらおう。


 完璧な朝食のことを考えていたら、藻屑のように浮かぶ受付嬢のところまでたどり着いた。

 


「助けにきた」


「あんたそんなに強かったの……なんで最低ランクの冒険者なんてやってんのよ」


「実績がないからな」



 冒険者組合を通した依頼は1回も成功してない。これでランクが上がっていたら賄賂を疑われる。



「それだけ実力があればあんな依頼くらい――いえ、そうね何か事情があったんでしょう」


「ようやく頭を冷やしてくれたか。朝の海水浴がよほど効いたらしい」


「あんたねぇ……」


 

 彼女はため息をつく。そして、かぶりを振ると初めて私に笑顔を浮かべた。



「まあいいわ。けど、あとで納得のいく話をしてもらうわよ」


「もちろんだ。しかし長いぞ?」


「望むところよ。あたしを破滅させたんだから、相応に壮大スペクタクルじゃないと許さないわ」



 言いながら伸ばされる彼女の腕をしっかりと掴む。

 

 その時である。

 パァンと乾いた音が響いた。


 初めて聞く――いやペルシア軍の火炎瓶に近いのがある。恐らく船上から発せられたと思うが、特定することより重大なことあった。



「あんた――それ」



 海水がまたワインの色に染められる。

 視線を追えば、私の左胸に穴が空いていた。

 

 信じられない。信じるわけにはいかない。

 スパルタ人がこんな不覚を取るなどど。



「いやあ、さすがですね。まさか手持ちの魔物をほとんどやられるとは思いませんでしたよ」



 振り返ると、船上で聖騎士ベイトールが薄笑いを浮かべていた。


 

「貴様……」


「恨まないでくださいよ。イザドラ様直々の依頼なんですから」

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