第25話

 多勢に無勢とはまさにこのことだ。ミュケナイ連合軍に囲まれたトロイアもこのような気分だったのだろうか。


「抵抗してもいいぜ、できるもんならな」


 オークが挑発してくるが、返せる余裕はない。

 一度に殺せるのはたかが数人。止まったら最後、後ろに控える100以上の凶器が命を奪うだろう。

 ましてや、子供を守りつつ、相手の手中にある人質に手をかけさせないとなれば、スパルタ人でも不可能な功業だ。


 神に愛されていればあるいは、などと希望的観測をしても意味はない。



「子供をつれて逃げれるか?」



 肩で息をする兵卒に尋ねると、かすれた声で答えた。



「……できなくてもやれっていうんだろ、お前は」


「よくわかってるじゃないか」



 殿しんがりは戦士の誉れ。

 

 殺しきれずとも、守り切ることはできる。スパルタ人が命をかけるとは、そういうことだ。


 奪われた盾が行方知らずなのは残念なことだが、転がっている大量の武器があれば支障ない。

 

 薙刀を拾い、突きつける。



「ほう、オークの中隊に対して戦意を喪失しないとは、その意気や良し。ならばこちらも、オークの誇りをかけて塵も残さず切り刻んでやろう」


「スパルタの鉄の筋肉を、そんななまくらで斬れるのか?」


「斬ってみればわかることだ」

 

 

 オークが薙刀を構える。単純明快な大上段。己が斬られるより速く、敵を屠る決意を込めた、最も攻撃的な構えだ。


 それが最前列に20人。


 たった1人相手に、ここまで徹底するとは。



「ふふ」


「何がおかしい?」


「すまない、笑うつもりはなかったのだが」



 胸に宿るこの感情は、歓喜。



「私を脅威と認めるのだな、オーク」


「当然だ。奇襲とはいえ1人でオークの小隊を殺せる人間を、脅威と認めないわけがないだろう?」



 オークたちの太い腕に、血管が浮かび上がる。仲間を殺された怒りか、強敵と相まみえる興奮か、またその両方か。


 彼らならあるいは、栄光なる死を与えてくれるだろうか。

 

 もしかして、私はそのためにこの国へ――



「いや」



 頭を振る。スパルタの名声届かぬこの国で、何が名誉か。ただオークに殺され野垂れ死ぬ。スパルタ教育アゴゲも終わらぬ小僧が、タイゲトス山の狼に殺されるのと変わらない。


 だから、私は死ぬことで栄誉を得るのではない。


 この者たちの記憶に、スパルタを刻み込むのだ。



「ならば、御覧じろ。貴様たちの埒外にあるギリシアの極致、スパルタの力を」



 私は薙刀を担ぐように大ぶりに構えて、言い放つ。



「これより、戦争スパルタを開始する」



 走り出すのはほぼ同時。

 猛進するオークはまさにエリュマントスの猪ヘラクレスの功業を思わせる。かの英雄が生け捕りにしたならば、その血を継ぐスパルタ人も同様に、手玉に取らなければならない。

 

 ぶつかり合う鉄と鉄。

 鳴り響く轟音は、炎さえ押しのけた。


 断ち切った薙刀は8つ。

 9つ目で刃は止まり、11の凶刃が自分の肉体を切り裂く。



「っつ!」


 さすがに、大英雄の真似事は無茶だった。


 臓腑に至らぬ傷なれど、思わず痛みで奥歯を噛みしめた。

 薙刀の刃は野蛮なオークの名に恥じない不揃いの棘があり、皮膚を裂くに止まらず肉をえぐる。おびただしい血が肌を伝い、汗とともに大地に滲んだ。


 だが、それだけだ。

 痛みはスパルタ人を止める理由になりえない。スパルタ人を止めたければ、両手両足をもぎ取り、首を落とさなければ。



「ふっ!」



 触れ合う刃を押し返し、オークを力任せに


 血を吹き出し、崩れ落ちようとする間際、私はそのオークの胸ぐらをぐっと掴む。簡易的な肉の盾。弓矢には有効だが、いかんせん相手は近接戦闘に特化している。

 

 案の定、ひと呼吸をする間に盾としたオークは惨殺された。

 オークは気にも留めず、薙刀を振り切った。仲間を斬ることにすら、一切の躊躇はない。



「まるで狂戦士だな」


「お前に言われたくないわ!」



 斧に持ち替えたオークが、私の腹を割いた。瞬時に固めた腹筋によって守られたが、あと一拍遅ければはらわたを溢していただろう。それだけ速くするどい一撃。

 だからこそ、直後の隙も多い。斧を振り切った腕の肘を撃ち、関節を破壊する。


 苦悶の表情のオークの首を刎ねる。

 

 別のオークが背中を斬りつける。斬り返す。


 まるで子供の喧嘩だ。もはや戦略も戦術もない、いきあたりばったりの攻防戦。

 あちらもこちらも血まみれで、顔には狂喜を貼り付けている。


 子供や兵卒を気にする余裕すらない。

 ただただ戦闘に耽溺した。



「ん?」



 気づけば、第一陣のオークは全て伏していた。

 自分の身体にも覚えのない傷が多い。少しハメを外しすぎた。


 残るオークを見やると、未だ意気軒昂。

 第二陣が薙刀を構えて突撃してくる。


 素晴らしい。素晴らしい戦士たちだ。

 こちらもスパルタとして恥じない戦をしなければ。



「さあ、かかってこい!」


「かかってこいじゃないんだよ、脳みそ筋肉が!」


 戦場でもよく通る、女の声がした。


 同時にオークと私の間に、何かが飛んでくる。

 盾だ。肩から膝を覆い隠すほどの大きな、円形の盾。魔物の血でΛ《ラムダ》が書かれた新しい半身。


 私は空中でそれを受け取り、左腕に装着する。


 これならばオークの100や200、問題ではない。


「感謝する、エマよ」



 盾を投げた女戦士の隣で頭を抱える女丈夫。囚われていた時と打って変わり、その様相は見覚えのある絢爛豪華なものだった。 



「なんで間諜を頼んだのに、戦争してんだいあんたは」


「ちょっとした手違いだ。気にするな」


「気にするよ! まあ、あんたが陽動になってくれたからこっちも動きやすかったけどね」



 彼女の周りには見覚えのある護衛たち。女戦士に魔術師、高価な鎧をまとった者たち。それに加えて、同一の鎧を着る男たちが複数。



「解放された人質たちのおかげで交渉すら必要なかったよ。ピエタの兵はもう味方だ」


「ああん? まだ人質は残ってるぜ。そいつらの命はどうなっても構わないっていうのか?」



 オークが牙をむくが、エマは一笑に付して指でこめかみを叩いた。



「あんたたちも脳みそまで筋肉詰まってるね。あたしがそこまで考えなしだと思うかい?」


 

 彼女の手には、香水でも入れるような小瓶が握られていた。



「それは!」


「魔法を使えなくする薬なんて眉唾だったけど、ほんとにあるんだねえ。屋敷にあるものは全部回収させてもらったよ」


「だが、それがあるところで魔法が使えるようになるわけでは!」


「だから脳みそ筋肉って言ってるんだよ。ネタが割れれば対策なんていくらでもできるんだよ」



 隣に立つ魔術師の杖の先に、雷が集まる。決して自然のものではない。杖の先端を何周も何周も巡る、魔法の雷電。



「馬鹿な、なぜ魔法が」


「この薬を撒くことで、魔法の発動を阻害する。戦勝記念で宴会をやってるあんたたちのお味方が大声で教えてくれたよ」



 雷光の一筋は人間大の大きさに膨れ上がり、何筋も現れては消える様は、根源的な恐怖を感じさせる。

 抗うことなど馬鹿らしくなる、神の怒り。

 全ギリシアが畏敬の念を贈る、最高神の権能。



「つまり、自前の魔力を使えるならその薬は無力だ。そして、オリゼ商会の取扱品には一時的に魔力を増幅させるドーピング剤もある」



 まさにそれは、雷霆の神ゼウスの領域だった。



「オリゼ商会を舐めるなよ、オーク」



 エマが親指を下に向け、



雷轟雨サンダーレイン



 魔術師は呟く。



「退ひ――――」



 オークの叫びは、雷鳴によってかき消された。


 目を焼く閃光。耳をつんざく大音声。

 とっさに目を閉じ、耳をふさいだというのに、全て無意味と上書きしてくる暴力的な衝撃。



 しばらくして目を開けると、全てのオークが泡を吹き、そのままハデスの下へと誘われていた。

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