第26話

「すさまじいな」


 空を操る大魔術。雷の雨が過ぎ去った後には、焼け焦げた肉しか存在しない。一瞬で血が沸騰したのだろう、剥かれた瞳は真っ白である。



「当然さ。オリゼ商会の裏で流してる一番強い薬だからね」


「それは使って良いものなのか?」


「しばらく魔法が使えなくなるだけで死にはしないよ。危険手当も出すし、大丈夫さ」


 

 魔術師を見やると、他の護衛に肩を貸してもらいやっと歩ける状態だった。大丈夫と言う割に恐ろしい秘薬だ。戦場で使ったなら、費用対効果は抜群だろう。

 魔術師1人で100人以上の戦士を屠れるのだから、魔女の神ヘカテも羨む秘薬である。



「言っておくけど売らないよ」


「物欲しそうにしていたか?」


「してたね。戦場でぶっ放そうって目だった」



 鋭い。私は魔法も戦技も使えないので、正確にはザクロに使わせようとしたのだが。



「あんたの治療もしたいんだけど、おいそれと魔法が使えない今じゃ応急手当しかできないんだ。すまないね」


「この程度、祈っていれば治る」


「どこの高度な神官職さ。四の五の言わずに座りな。包帯で出血を抑えるだけで違うから」



 あきれ顔に少しムッとしながら大人しく座ると、無言の女戦士が包帯を巻き始める。キツ過ぎず緩過ぎず、運動に支障ない巻き方だ。思いのほか繊細で丁寧な仕事だ。



「上手いな」


「その娘は戦士になる前は教会にいたからね。ある程度の治療はお手の物さ」



 この国の教会は医療の神殿アスクレピオンのような役割も担っているのか。包帯の端を結び終えたら、幾分痛みが緩和されたような気がした。



「さて、取り敢えずの脅威は退けたけど、まだまだ大変だよ」


「侵略してきたオークは倒したのだろう?」


「あくまで一部さ、本隊は海岸の船にいるらしい。そして、この火事を見たら飛んで来るだろうね」


 考えてみれば当然か。100や200の兵隊で都市を落とそうなど、スパルタ人くらいしか考えまい。


 倉庫があった場所に目を向けると、未だに濛々もうもうと煙が上がっている。雷の衝撃で火勢は弱まったとはいえ、狼煙より明確に異常事態を気づかせるだろう。



「町に撒かれた薬はまだ空気中に漂っているし、船には在庫がごまんとあるだろうね。攻められたらこっちは不利さ」


「ならば、打って出よう」



 彼女はこめかみを抑えながらため息をつく。そんなに頭痛がするならば、医療の神アスクレピオスに祈れば良いものを。



「あのねえ……ピエタは魔法が使えない状態で負けてるんだよ。状況が変わってないのに戦力だけは少なくなってるんだ。勝つなんて夢のまた夢さ」


「敵の数は?」


「正確な数はわからないけど、巨大な帆船10隻が湾に停泊しているそうだよ。オークの帆船なら1隻に600人は乗れるから、6000は覚悟した方が良いね」



 アテナイの三段櫂船は漕ぎ手170人の士官20人、水夫4人に戦士が10人なのでおよそ3倍の人員だ。ペルシアの巨大艦ならばそれくらい乗るのだろうか。



「こちらの兵力は?」


「仲間になってくれたピエタの兵士はここにいるので全部さ。戦うのが馬鹿らしくなるだろう?」



 夜の暗さでも最奥の兵士が見える。おそらく1000もおるまい。



「だから、さっさと逃げるんだよ」


「ピエタの人間を見捨ててか」


「……あたしだって好きで見捨てるわけじゃない。ただ相手は魔法を使えなくする上に、圧倒的な暴力を持っている。魔力増幅剤だって無限にあるわけじゃない。どうあがいても負けるだけさ」



 エマの悲痛な表情に面食らう。商人らしく、損得勘定で語ると思っていたが彼女の悔恨の念は本物だ。

 いつも飄々として姉御肌をみせる彼女にしては珍しい。

 オークを蔑んだ時といい、何かしら因縁があるのだろうか。


 彼女の気持ちはわかった。

 しかし、スパルタ人に後退の文字はない。



「聞きたいことがある。ピエタはどれほどの兵を失っているのだ?」


「……船で戦った兵は全滅らしいよ。籠城戦でも兵士の話じゃ2000人は死んでる」


「なるほど、その彼らはちゃんと埋葬されたのか?」


「ほとんど野ざらしのようだよ。かなり悔やんでいたね」


「なるほど」



 それは、悔しいだろう。命果てるまで戦うも、得られたものは何もなく、敗北の冷たさだけが屍に残るとは。


 死んでも、死にきれないだろう。



「あんた……まさか!」


「兵士に言って屍体を薬の有効範囲から除かせてもらいたい」


「――それは、冒涜だよ」


「ここの神のか?」


「違う、遺族の心情を考えれば」


「不思議なことをいう。命あっての物種なのだろう? 死者を慈しんで、生者をむざむざ殺させるなど、本末転倒も良いところだ」


「……やるんだね」


「やるとも」


 

 睨み合う。だが彼女も知っているだろう。

 都市を囮にしてエアリスに逃げ出そうとも、崖の隘路と魔物の出る森で足止めを食らえば、追いつかれる。

 そうなったらひとたまりもない。

 誰かがオークの進撃を止めなければならないのだと。



「わかった。あんたには負けたよ」


「ならば、勝者には戦利品を渡さねばな」


「この期に及んで交渉かい? 図太くなったね」



 エマは、彼女らしく豪快に笑う。こちらの傷などお構いなしに、ばんばんと背中を叩く始末だ。

 ……痛くなどない。



「それで、何が欲しいんだい?」


「なに、些細なものさ。武器と――だ」


「そんなもの何に……まあいいか、餞別に安値で売ってあげるよ」


「売るのか」


「当然さ。あたしは商人だからね」



 そう言われても、こちらに金はない。いや、報酬の金貨15枚を使うとしてもとても足りないだろう。



「すぐに支払ってもらわなくてもいいよ。持ち合わせがないのは知ってるからね」


「では?」



 彼女はにやりと笑い、私の胸を指で突いた。



「あんたの命が担保だ。生きて、顔を見せてくれるならそれでいいよ」


「なるほど、承知した」


 

 スパルタにとって戦士は栄誉だった。

 しかし、それはスパルタにもたらす栄誉である。国土を遠く離れ、栄光の届かない異国では意味をなさない。


 それでは、何が栄誉になるか。

 

 それは――



「スパルタをこの地で示すまで、私は死なんよ」


 

 人、オーク、エルフ。人種を超えて遍く者にスパルタの在り方を記憶に刻むことだ。

 スパルタはここにありと、世界に示すことだ。



「これより、侵略スパルタを開始する」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る