第19話

 漂流して3日経ったが、未だに陸地は見えなかった。

 かと言って生活に不便があるわけではない。食料は途中で補給する予定だったので少なかったが、大海原は魚介類の宝庫であるし、飲料水は魔法で生み出せる。酒はオークの造ったワインが大量にあったため、宴が毎日開かれるほどだ。


 慌ただしく戦争をするのも良いが、こうして平穏をかみしめるのも良いなと、帆けたで片手懸垂をしていると、海鳥が肩に止まる。

 そのまま食い千切り、滴る血で喉を潤していると、ザクロが手を振っているのが見えた。



「何か用か?」


「う、うん。ちょっと時間をもらって良い?」


 

 すぐに話さないということは長くなるのか。すでに日課の回数はこなしているし、小休止にしてもいいだろう。

 私は手を放し、するりと甲板に着地する。ついでに口に入った羽毛を吐き出すと、憎々しげな視線を向けたアイナがデッキブラシで磨いていった。



「良い話だといいのだがな」


「う、うん。損はさせない」



 ザクロがちょいちょいと誘導するのでついていくと、そこには山と積まれたベイトールの屍体があった。ザクロが死霊術の実験に使いたいと無理言ったためだ。

 死霊術師だし屍が多いことに越したことはないだろうが、船舶のような狭い空間に100以上密集させるのは大変よろしくない。悪臭と無尽蔵に湧く蠅と蛆は見ていて気持ちの良いものではないからな。


 と考えていたが、それは臭いもなければ、蠅一匹とまっていなかった。



砂漠の国エジプトのミイラは蠅が湧かぬと聞くが、ベイトールの死体を塩漬けでもしたのか?」


「し、してない。何もしてないのに、く、腐らないの」


「腐らない死体とは、まるで青銅の人間タロスだな」


「せ、青銅ではないけど、人造の有機化合物がふんだんにみられる」


「有機化合物? なんだそれは食えるのか?」


「う、うん。ざっくり言うと食べれるのが有機物。た、食べれないのが無機物」


「ふむ…………つまり、どういうことだ?」


「えっと、ベイトールは繁殖や分裂によって生まれたのではなく、じ、人為的な技術で製造されたものみたい」


「生まれたのではなく、作られた……そんな神の御業を使えるものがいるのか、この国は」


「い、古のエルフの技術なら。化身アヴァターとかいう、代替の身体を使ったって記録がある」



 どうやら、古のエルフとやらは確かに信仰を集めるほどの力を持っていたらしい。つまり、古代はベイトールのように無限に復活する者が何人もいたのか。エルフの長の名前はキュロスとか、ダレイオスとかではなかろうな。



「ベイトールの身体が貴重なものであるのはわかった。それで、良い話とは?」


「う、うん。この死体ね、まだ生きてるの」 


「死体が……生きている?」



 哲学だろうか。

 謎かけの怪物スフィンクスのような発言に頭が混乱する。10スタディオン約1800メートルを逆立ちで走った方がまだましなほど頭部が熱を帯び、私は考えるのを止めた。

 


「え、えっとね。つまり普通は魂が抜けると身体もう、動かなくなるんだけど、これは魂がか、空っぽなのに命令すると動くの」


「動く死体。死霊術のようなものか」


「ちょ、ちょっと違う。私の場合、ま、魔力を疑似的な魂にして埋め込んでるけど、これはそれがいらない。と、というか、逆に入れようとするとぼ、防御機構なのか抵抗される」


「そういえば、ベイトールが死霊術で自分の死体を動かすことがすごいこととか何とか言っていたな」


「そ、そう。無理矢理やれなくもないけど、か、かなり効率が悪い。高燃費」


「…………それが良い話か? 死霊術で動かしにくいなら、ただの腐らないゴミだろう」



 こんなところに転がしているより、海に投げて海界の王ポセイドンの眷属の餌にした方が建設的だ。



「ふ、ふふ、それがそうでもない」



 ザクロがひぇっひぇっと笑う。この国の法はよくこんな気味の悪い魔女を裁かないな……ギリシアだったら発見次第死罪だろう。



「へ、ヘラクレイオスの腕についてるそ、それは飾りじゃないでしょ」


「腕? ああ、あまりに違和感なくはまっていたから忘れていた。確か支配の腕輪といっていたなそれがどうかしたか?」


「し、支配の腕輪も古のエルフの技術なんだよ」


「同じ技術系統……まさか」


「そ、そう! ベイトールの死体はし、支配の腕輪で操作できる。へ、ヘラクレイオスが欲しがっていた軍隊がて、手に入ったも同然だよ!」


「なんと!」



 軍隊があれば、密集陣形ファランクスが組める。密集陣形ファランクスを築いたスパルタ人を倒せるものなど、西はヨーロッパから東はアジアまで存在しない。まさしく最強の力だ。



「いや、待て」



 軍隊。確かに、私が喉から手が出るほど渇望していたものに相違ない。

 しかし、しかしだ。こんな形で手に入れてよいものなのだろうか。


 極限の訓練。生死を彷徨う日常。誇りを培う年月なくして、それは軍隊足りえるのだろうか?



「あ、あれ? う、嬉しくないの」


「戦力は増強されよう。だが、その物言わぬ肉塊を軍隊と呼ぶのに抵抗はあるな」


「??? な、何が不満なのか、わからない」


「日頃から死体を操るザクロには理解しがたいだろうが、スパルタにとって兵とは軍とは、掛け替えのない仲間であり友なのだ」



 だからこそ、半身より大きい盾で隣に立つ者を守ることができる。もし、信頼できない者が隣に立っていたなら、不屈の意志で膝から上に盾を構えることなどしないだろう。


 例えばの話であるが、もし同性愛同士のみで軍隊を編成したら強力な部隊になるだろう。友どころか、愛する人が隣にいるのだ。盾は決して下がらず、槍は高々と構えられたままに違いない。まあ、そんな恥さらしな国があるわけがないが。



「とにかく、それは使えん。 心無い兵を率いるなど、ペルシア帝国にも劣る」


「い、良い作戦だと思ったのになあ……」


「私とて、少々もったいないと思う気持ちはある。私に及ばなかったとはいえ、ベイトールの身体能力はこの国の者にしては高かったからな」



 ひと月もスパルタ式訓練を施せば、強力無比な精兵となるだろう。数は10分の1残れば良い方というやり方だが。



「じゃ、じゃあゴミだね。あとでアイナに捨ててもらおう」


「うむ、無銭乗船には与える仕事にはちょうどよかろう」



 私がやっても良いが、エマからアイナをこき使うように言われている。下手な水夫より力強い彼女なら、てきぱきと海に投下してくれるはずだし問題ない。



不死の軍隊アタナトイ……か」



 未練がましく死体の山を眺めるが、やはり魂無き人形をつれて戦争に行く趣味はない。私がその場を後にして、再び筋力鍛錬を行おうとした矢先、船首から大きな声が響く。それは歓喜と緊張の混じった、鬨の声にも似ていた。



「陸地が見えたぞおおおおお!!!」



 遥か遠くに見える荒涼とした大地から、新しい戦を予感させる風が吹く。

 タイゲトス山の吹きおろしより冷たい風は、喉を張り付かせる。

 私はもう痕すら残らない胸を掻いた。

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