第20話
「帆を畳め、錨を投げろ! 船を停泊させるぞ」
船長が掛け声を上げると、船員は慌ただしく甲板を走り回った。帆柱の下で綱が引き、重々しい鉄の塊が海に投げ込まれると、船はゆっくりと動きを止める。
しかし、未だ海原だ。陸までそれなりの距離があった。
「まだ陸まで距離があるぞ?」
「座礁しちまったら修理もできやしないだろう。まずは港を見つけて曳航してもらわなきゃいけないのさ」
「大船というのは存外めんどうなものだな」
喫水の浅いギリシアの櫂船ならば、陸に乗り上げたところ皆で押して戻せばすぐに航海できるというのに。
「では、ここからは泳ぎか?」
「あんたもう戦技使えるだろう。
「なるほど、戦いでなくとも戦技は多用されるのか」
本当に戦技は生活に必須なのだと、改めて実感する。
上陸作戦の難しさはマラトンで証明されたが、戦技があればどうなるかわからんな。
「しかし、今の私は戦技を使えんぞ」
「なんでさ。ちゃんと海の上走ってたじゃないか」
「あれは魔石を砕いて魔力を感知してたからに過ぎない。そして魔石は先の戦いで落とした。今の私はお前と最初にあった時と変わらんよ」
「そんな贅沢な使い方してたのかい……いや、あんたは金に興味をもたないんだったね」
エマが頭を抱える。商人としては許容しがたいのだろうな。下取りの冒険者組合で結構な値段なので、市場ではどんな値段になるか想像もつかない。
「じゃあ、あんたは泳いで来な。これくらいの距離ならわけないだろう」
「承知した」
「承知しちゃうあたり、あんたは揺るぎないねえ……」
何かおかしなことを言っただろうか?
陸まで目測で
「不思議そうな顔してるけど、毛皮の鎧着て、背中に大剣括り付けて、おまけに戦技もなしに600メートル以上泳ぎ切れる人間なんてそうそういないよ」
「はは、何を言う。さすがに鎧は脱ぐさ」
「せめて剣の方を置いていきな!」
怒られた。何故だ。
スパルタの完璧な肉体美のどこに不備があるというのか。
やはりオリンピア祭典の代表選手のように、香油を全身に塗って筋肉を強調させなければいけないのか。
「何考えてるか分からないけど、多分見当違いだよ」
「むぅ、この国の文化はよくわからんな」
「全裸が許容される国なんて世も末だね……」
不思議なことを言う。全裸と言っても、勃っているわけではないのだ。恥ずかしくもないだろうに。
全く異文化というのはこういう時に困る。まあ、もともと窮屈なズボンを履いているような奴らだ。トラキアのような僻地のものと文化水準が一緒なのだろう。
「その見下したような眼はやめな。無性に腹が立つよ」
「それは失敬した」
とはいえ、文化が劣ろうと侮辱は良くない。侮辱が国を転覆させることはままあるからな。
私は頭を下げ、素直に謝罪した。エマもそこまで怒っているわけではなかったようで、適当に受け流すと他の船員の指示に向かった。
「へ、ヘラクレイオス。もしかして浮かれてる?」
「浮かれてる? 私がか?」
思い浮かべてみるが、そんな浮足が立っているような態度をとった覚えはない。
「気のせいだろう、それよりザクロは戦技を使えるのか?」
「わ、私は鳥型魔物の
そういえば、
「へ、ヘラクレイオスも使う?」
「いや、やめておこう。あまり空に近づくのは神に不敬だしな」
イカロスのように飛んだとして、その末路まで一緒になっては良い恥さらしだ。
「小舟の1つもないならば、大人しく泳ごう」
「ま、魔物に気を付けてね」
「ははは、誰に言っている」
「そ、それでも気を付けて」
念を押された。
そうか、ザクロはサメの群体を退治しているところを見ていないから、懸念しているのだな。
「も、もうここは巨人の国の領域。どんな怪物が出てもお、おかしくない」
「承知した。気を付けよう」
しかし、軍隊でもない私個人を化け物と称するようなこの国で私に不意をつけるものがどれだけいるだろうか。傷も疲労もなく万全の状態の今ならば、
「ほ、ほんとにね。巨人は常識が通じるあ、相手じゃないから」
「わかった、わかった。スパルタの名にかけて誓――ん?」
「ど、どうしたの、ヘラクレイオス?」
「いや、あんなところに岩があったかと思ってな」
波で隠れていたのか、指を刺した方向には岩礁が見える。たしかに、これ以上船で進むのは危険だったな。大穴が空いてしまえば、陸に着く前に多くの積み荷が海の底に沈んでいただろう。
エマの判断は正しかったようだと感心していると、隣に立つザクロの眼があらん限りに見開かれていることに気付いた。
「ザクロ?」
「――――――――――ほ、帆を広げては、速く!」
「どうしたザクロ、何を慌てている」
「あ、あれは、岩礁なんかじゃない。
話している内に岩礁はどんどん大きくなる。岩は高く島となり、頂点には物見櫓のようなものまで建ち始めた。
「危険なのか?」
もし孤島の要塞となるなら警戒しなけらばいけない。
上陸できない船では、一方的に蹂躙される可能性もあり得る。
「あれ自体はそ、そうでもない。で、でも、霧を出すってことは
「なるほど、つまり危険な魔物が近くにいるということか」
意識を戦闘に切り替える。
心臓を跳ねさせ、血流を速くする。
しかし、神経を研ぎ澄ませようと敵性生物を発見できないでいた。
「どこだ?」
「貝を食べるのは、さ、魚だけじゃない」
「上か!」
見上げると、そこには怪鳥がいた。
空を覆い隠す巨大な翼。三段櫂船の衝角を思わせる嘴。
まるで
「KEEEEEEEEEEEEEEEEEeeeEEEEEEEEEE!!!!]
抗うことすら馬鹿馬鹿しく思える対格差。鉤爪で
「手荒い歓迎だな。まあ、良い。あの大蛇を捕食する魔物なら相手にとって不足はない」
魔剣を構えたところで、ふと気づく。
怪鳥が掴む大蛇。その傷があまりに不自然だ。
あの太く大きい鉤爪や嘴で負った傷ならば、えぐるような穴が空くはず。
しかし、大蛇につけられた傷は鋭利な上、的確に急所に撃たれていた。
疑念への答えは、大音声とともにやってきた。
「はーーーーーーーーーーはっはっは! 俺様から逃げられると思うなよ!!!」
距離感がおかしい。彼はまだ陸にいる。
だというのに筋肉の影がはっきり見えた。
恵まれた体躯に、魔物から剥ぎ取ったものをつなぎ合わせたような混沌とした腰蓑。
ああ、この国に疎い私でも一目でわかる。彼は、巨人だ。
「人様のもの奪ったらどうなるか、教えてやるぜ!」
槍が放たれた。
徐々に大きくなる槍。
人差し指ほどに見えたそれは、怪鳥に刺さった時には船の帆柱と同じ太さになっていた。
「よっしゃあああああああああああ!! 大当たりぃい! 一石三鳥とは幸先良いぜ」
怪鳥と大蛇と大貝が串刺しが一瞬見え、その後すぐさま波に飲まれる。
私が巨大サメを倒した際より巨大な波が船を襲い、大量の海水が甲板を洗い流す。
全員がもれなく濡れネズミ。そんな中、私だけが肌から海水を滴らせなかった。
立ち上る蒸気。浮かぶ塩。
規格外の強敵に、私の血潮はこの上なく滾っていた。
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