第18話

「まさかあそこでそのまま放置されるとは思わなかったわ」


「すまない」


「謝らないでよ、ほとんど私のせいなんだし。それに、きっとそうしなきゃあんたも危なかったんだしね」



 受付嬢がぐったりと船倉の壁にもたれかかっていた。なんでも、私がベイトールと戦っている間に自力で泳いで戻ってきたらしい。波が穏やかだとはいえ、まだ水も冷たく死体が浮んで泳ぎにくい海を泳いできたのだ。スパルタ人ほど筋肉をもたない人間なら凍えても仕方がない。



「へ、ヘラクレイオス。この人はだ、誰?」


「そうか、ザクロは初顔合わせか。この女はピエタ冒険者組合の受付嬢だ」


「その紹介の仕方はどうなのよ……って私も名乗ったことなかったわね」



 受付嬢は背筋を伸ばし、にこやかな笑顔をつくると軽く頭を下げた。ここだけ切り取ってみると、さぞ才女に見えるだろう。海藻が髪についてなければなお良かった。



「元ピエタ冒険者組合総務課主任、アイナです。お見知りおきを」


「も、元?」


「冒険者組合は経営破綻しましたので……」



 受付嬢、もといアイナは遠い目をしていた。

 哀れだ。スパルタのように最初から金を持たねば破産などしないものを。



「そ、そんなことあるんだ」


「私も重労働だけど食いっぱぐれない仕事だと聞いていたんですけどね……」


「アイナほどの実力があれば冒険者でも食っていけると思うがな」



 猟師にでもなれば食いっぱぐれることはない。農家と違って土地が入らない分、根無し草でも可能な職だ。



「誰も彼もが戦闘民族だと思わないでください。平和な街で静かに暮らしたい人間もいるんですよ」



 確かに、蟻より蝉の生き方に共感を示し、労働を忌避して哲学と詩に明け暮れるアテナイ人のような者達もいる。まあ、あの国は祭りでもない限り女性が家から出ることはないが。

 女性が自由に生きられるのはスパルタと、女詩人のレムノス島くらいのものだな。

 

 そんなことを考えていたら、私の知る中で最も自由に人生を謳歌している女傑が呆れ顔で話に混ざってきた。

 


「平和に暮らしたい人間が密航するなんて世も末だねえ」



 あの華美な服は、間違いなく私が忌む金銭をふんだんに使っている。同じ自由を持ちながらアイナとエマを隔てるあまりの格差にため息を吐くしかない。

 


「ああそうだ。エマ、船を汚してすまなかった」


「あれくらいのことは別にいいさ。それよりお嬢ちゃんの方だ。事情がどうであれ密航は犯罪、それはわかってるんだろうね?」


「……はい」


「今手持ちの金はあるかい?」


「……ないです」


「そうかいそうかい」


 

 エマは笑顔で頷き、いつの間にか後ろに控えていた水夫たちに振り返る。



「つれてきな」


「「「アイサー!!」」」


「いやああああああああああああああ!!!!」



 無情にもアイナは男たちに担がれていった。



「おい、彼女は」


「わかってるよ安心しな。あんたが助けた相手を海に放りだしたりはしないよ。でもまあ、何事もけじめってのは必要でね。乗船料は肉体労働、あんたが汚した甲板の掃除で払ってもらうさ」


「ありがたい」


「あんたを敵に回したくないだけさね」



 そんなことより、と言いながらエマは右手で寸胴な瓶を振る。すでに開けられた瓶の口から漏れ出すのは、濃厚な酒の香り。



「ワインか」


「朝からは飲めないかい?」


「いや、ちょうど飲みたいと思っていたところだ」



 朝の食事アクラティマスはパンとワイン。これぞ正しいスパルタ式だ。



「そうとなれば海水を汲んでこなければな」


「またあんたは割るのかい――って海水? 真水でなくて」


「せっかく海の上にいるのだ。海水割りの方がよかろう」


「あんたの舌はどうなってるんだい……」



 後ずさりするほど引かなくてもいいだろう。確かにこの国の人間は酒を割る文化がないようだが、真水で割るなら海水でも割るだろうと想像しそうなものだ。

 内陸に都市があったので訓練中にしか飲めなかったが、塩味が体に染みるので運動後は最高に美味い。



「まあ、趣味嗜好に口を出すのも野暮ってもんだ。それより飲みながらで良いから話を聞いてくれないかい?」


「良いが……わざわざ前置きをするということは悪い話か」


「察しが良くて助かるよ」



 エマは杯を私に渡しワイン注ぐと、すかさず自分の分も注ぎ一口煽る。



「今この船の北に向かっている」


「北だと?」



 確か本来の航路はオリゼ侯爵領の都のある南西のはずだが。



「舵が壊されていたんだ。十中八九あの男のせいだね、気付いた時には方向転換ができなくて、強い北向きの海流に乗っちまった。帆を広げてみたけど、ここまで風が静かだと減速もできない」


「北には何がある?」


「巨人の国、もっと奥にはオークの帝国があるよ」



 なんと。ここにも巨人ギガスがいるのか。ペルシア軍の中にも巨人の血を引く者が何人か見られたが、私は戦うことができなかった。是非とも手合わせをしたいものだ。

 オークは戦争を仕掛けてきた敵国だし、捕捉され次第襲撃を仕掛けてくるだろう。


「どちらに漂着しても戦闘は避けられそうにないな」


「いや、巨人は中立国だし勝手に戦うこと考えないでおくれ。あの戦闘種族に喧嘩売ったらあんたとて無事じゃすまないよ」


「そんなに強いのか?」


「肉体が巨大なだけじゃなく、常時戦技を発動できるんだ。人間じゃ逆立ちしても敵わない」


「ほう」


 

 それはそれは、ずいぶんと攻略しがいのある相手だ。

 足を狙うのが順当であるが、それを見越して重装備にされたら厄介だ。戦技を使うということは膂力も機動力も高いだろうし、関節部を狙うのも厳しい。

 ならば合えて飛びつき、首を掻っ切るというのは――



「目を爛々とさせるんじゃないよ。戦闘は避けてくれって言ってるんだ」


「……少しくらいは構わんだろう?」


「駄目だ。あんた1人の判断でプライム王国を危機に陥らせるつもりかい」


「そういわれると、むぅ」


「かかる火の粉くらいは払ってもいいけどね、自分から挑発とかするんじゃないよ」


「……了解した」


「その不承不承って顔をやめておくれよ。代わりにオークと接触したら嫌でも戦ってもらうんだからさ」


「そちらは承知した」


「ほんとにあんたは……まぁ、そういう戦闘狂ウォーモンガーなところを気に入って護衛として雇ったのはどこの誰だっていう話だね」



 スパルタ人を蛮族のように言うのはやめてほしい。ただ他の都市国家ポリスの市民より戦争が好きなだけだ。



「まあ、つまり話ってのはそういうことさ。あんたをまた護衛として雇いたい。今度はザクロも一緒にね」


「なるほど」


 

 一瞬イザドラの依頼を思い出すが、彼女は期限を定めていない。少し遠回りにはなるが、漂着先から急いで南進すれば問題なかろう。



「了解した。再びスパルタの栄光を見せてやろう」


「相変わらず報酬すら聞かないんだね。頼もしくて助かるよ」



 エマは手酌でワインを注いではまた飲み干す。美味そうに顔をほころばせ、口を拭る姿は、一仕事終えた後のようだ。

 そして気を良くしたのか、彼女は私の満たされた杯を一瞥すると、めんどくさく絡んできた。



「それよりあんたさっきから一口も飲んでないじゃないか」


「割らないワインを飲む気はない。話が済んだなら海水を汲ませてもらいたいのだが」


「ちょっとくらい付き合いな。一杯くらい良いだろう?」



 有無を言わさず注がれるワインは、鮮やかな色彩を放ち、滑らか光沢をもっていた。ふわりと漂う葡萄の香りも上々。

 間違いない。最高級のワインだ。


 できれば薔薇や蜂蜜を加えてもっと香しくしたいところだが、注がれてしまったならば、杯を干さねば不作法というもの。


 一気に煽り、流し込む。



「悪くない、しかし野蛮な味だ」



 想像通り上質だったが、如何せん酒精が喉を焼く感覚は好ましくない。水のように飲むのが理想だというのに、これではちびちび舐めるようにした飲めないではないか。



「あんたもそう思うかい?」


「商人にしてはすいぶん歯切れが悪い物言いだな」



 得てして商人は自分の商品を誇大に広告する。まして、自分で勧めた製品なら、聞かれなくてぺらぺらと蘊蓄うんちくを語るのものだが。



「これオークの鹵獲品なんだよ」


「よく飲もうと思ったな……」



 あくまで野蛮と言ったのは、酒精の強さを言ったもので風味は関係なかったのだが、心象というのは不思議なもので、あのオークが造っていると思うと途端にワインの味が粗野に思えてきた。



「ちゃんと毒や異物混入は検査したさ。人類の敵だと思ってたけど、酒造りに関しては考えを改めないとね」


「それならばまあ……良い心がけだ」


 

 言葉の通じない蛮族バルバロイだからといって文化が劣っているわけではない。騎馬民族トラキア人の黄金の冶金技術は大したものだし、砂漠の民族エジプト人の造るパピルスはギリシアでは再現できない。

 また、文化を理解すれば攻めどころもわかるというもの。

 なんでもペルシア帝国はエジプトに攻め入る際に彼らが神聖視する猫なる生き物を盾にしたとか。小賢しい策であり、褒められたものではないが征服できたということは効果的だったのだろう。

 我らの祖もトロイア戦争に勝つために、神の像パラディオンを盗み、奉納品として木馬を忍び込ませたくらいだしな。


 

「オークと商談になった時には、あんたの護衛に期待しているよ」


「喧嘩を売られたら買ってしまうだろうが、善処しよう」


「いや、買わないでおくれよ」


 

 私は杯を逆さにして、残ったワインの雫を舐める。

 渋さだけが口に広がる。やはり強い酒は駄目だ。

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