第23話

 目覚めた時、私の右手は虚空を掴んでいた。

 見知らぬ岩の天井が見えたかと思ったら、それはすぐに憂いた表情のザクロに置き換わる。



「へ、ヘラクレイオス、大丈夫?」


「ザクロか……大丈夫だ、仔細ない」


「で、でも泣いて」



 言われて伸ばされた右手を戻して目元に触れると、しっとりと濡れていた。



「夢を見た」


「ゆ、夢?」


「ああ、我が王と熱く語らう夢だ」


「お、王様となんて……私だったら、緊張しては、話せないな」


「私も恐れ多くてあまり喋ることはできないな」


「え? で、でも語らったって……」


「ああ、語らったが」



 どうにも会話がすれ違っている。まあ、ザクロと話が合わないのは今更か。



「あー……え、えっとどんな王様なの?」


「最も苛烈で最も慈悲深い、誇り高いスパルタの中のスパルタ」


「へ、ヘラクレイオスがそんなに言うなんてす、すごいね」


「何か勘違いしているようだが、私は王の親衛隊で弱い方だぞ」


「え」



 ペルシア兵の弓矢は空を覆うと脅された時、それなら日陰で戦えるなと笑った豪胆な副将のディエネゲス殿はもちろん、勇猛なオルフェウス殿や剛力のマロン殿と比べてしまうとどうしても実力不足を自覚させられる。

 

 レオニダス王に至っては別格だ。

 王位継承権の低かった彼は、王族として免除されるスパルタ式教育アゴゲを履修している。叩き上げの戦士なのだ。

 鞭に叩かれ、獣と戦い、音もなく奴隷を殺してきた彼は他の王と目つきから違う。

 


「だが、自らの弱さを自覚したといって、無様な敗北は許されん。ザクロ、巨人は、ウルカスはどこへ行った?」



 身体を起こして周囲を見ると、そこは洞窟だった。光は薄く、生き物の気配は薄い。冥界の王ハデスの領域の入り口に似ている。どおりで死者と対話できるわけだ。



「お、王都に。オリゼ商会の皆とむ、向かったよ」


「都か」


 

 そこにはウルカス以外の巨人の戦士もひしめいているのだろう。決闘という形が認められるかも怪しい。

 無礼な人間だと、有無を言わさず捕縛される可能性もある。

 しかし、だからといって行かぬという選択肢はない。



「どちらの方向だ?」


「ま、待って! い、行くつもりなの!?」


「当然だ。スパルタ人が負けたままおめおめと引き下がるようでは、恥さらしだ。戦争の神アレスに笑われよう」


 

 アレス自身はトロイア戦争で人間の英雄に腹を刺されて、絶叫しながら撤退したのだが、それを倣うこともあるまい。



「でも、そ、その傷じゃ無理だよ。左腕なんて――もしかして、何も感じてないの?」


「左腕?」


 

 ザクロに言われて見やると、最初それが腕だと認識できなかった。

 肩口から生えた紫色に膨れ上がった肉塊。

 そう称するに相応しい何かがそこにあったのだ。



「き、筋肉はずたずた。骨も全部、こ、粉々になってるよ。それで痛みを感じないのは相当ま、まずい」


「治らないのか?」


「す、凄腕の回復魔術師が、魔力増幅塔のある教会で儀式をすればあるいは。でも、そんなことできるのは、そ、それこそ王様だけ」


「なるほど」


 確かに、刺し傷や切り傷など表面的な創傷は治りが早い。心臓に穴が空こうと、スパルタの健全な肉体ならば自然に塞がるが、骨が肉に食い込んだりする怪我となると位置を戻したり、破片を取り除いたり治療が必要となる。

 回復魔術も同じく、治療の難しい損壊になると難しいのか。

 

 もう一度まじまじと観察すると、砕けた骨がいくつも肌を突き破っている。医療の神アスクレピオスも匙を投げそうな見た目である。



「ザクロ、魔力をくれ」


「え、い、いいけど。戦技でも回復は難しいよ」


「良いから早く」


「う、うん」



 ザクロがいぶかしげに手を伸ばし、私の胸に触れる。どんどん流れ込んでくる魔力。膨大な力の奔流が身体を満たし、全身を漲らせた。



「こんなものか、感謝する」


「ど、どういたしまして?」


「礼と言ってはなんだが、お前の欲しかったものをやろう」


「え?」



 そして私は折れた魔剣ヘスティオンに火を灯し――



「だ、だめヘラクレイオス!」



 左腕を切り落とした。



「ぐっ‼ ああ!」


 

 肩から感じる灼熱にめまいがする。焼き切って出血を抑えていなかったら、その場で昏倒していただろう。



「な、なんでそんなこと」


「治る見込みのない腕を抱えても、余計な荷物になるだけだ。ならばいっそ、ない方が良い」


「でも、そ、それでもだよ! ヘラクレイオスは自分の身体に誇りに思っていたんじゃないの?」


「たしかに、我が肉体はスパルタに耐え抜いた誇りである」



 腕どころか、髪の毛の1本に至るまで私の肉体に無用な箇所はない。



「だが、執着することは弱さだ」



 氷を掴んだ子供は、手がかじかんでも氷を手放せないように、執着すればそれが自分の害とわかっていても放棄できなくなる。それは愚かなことであり、間違いなく弱みとなる。

 私はスパルタ人。世界最強の戦士の一員。

 ならば、わずかな弱みすらもっていることは許されない。



「ゆえに、切り落とした。腐り落ちるの待つだけの腕より、木で作った義手の方がましだ」



 レオニダス王に言われた言葉を頭で反芻する。

 私は弱い。しかし、それは肉体的な弱さではないだろう。親衛隊の中では劣るといっても、スパルタ国で最精鋭の300人の1人なのだ。5000人いる戦士の中では優秀と言ってもよい。


 王の真意はまだはっきりとわからないが、その要因の1つに私の甘さが確実にある。

 

 騎士を打ち倒し蛇を屠った魔剣にまるで至宝のように銘を付け、その力に過信し、船出の前に装備を整えることすらしなかった。

 スパルタの軍制を再現しようとするあまり、すぐに手に入る軍勢を試しもしなかった。

 決闘の前だというのに、潮風で傷んだ髪をくことすらしなかった。


 明らかなスパルタの不十分。


 この世界で強者であることに驕り、誇りと意地を誤解した。だから私は弱く、不死のベイトールには不覚をとり、巨人ウルカスに敗北したのだ。


 スパルタの誇りとは、その場限りの勝利ではない。

 己の持てる全てを発揮し、敵の記憶に徹底的にスパルタを刻み込むことこそ誉れ。

 

 

「これはケジメだ。スパルタの名を傷つけた私には、足りないくらいだがな」


 

 ぴくりとも動かず、傷口からどす黒い血を流して冷たくなるかつての腕。ウルカスが情けをかけなければ、全身がこの有様になっていただろう。



「ザクロの死霊術ならそんな腕でも活用できよう」


「で、できるけど。ほんとにいいの?」


「良い。どうせ後は捨てるだけだ」


「わ、わかった。預かっておく」


「ああ。さて、隻腕ではすぐに再戦もないな。まずは装備を整えなければ」



 とはいえ、ここは巨人の国。人間用の装備があるとは考えにくい。船が使えない今、人間の国に行くのも手間である。



「そ、それなら、良い場所があるよ」


「ほう、どこだ?」



 ザクロは魔力で地図を広げ、北を指さす。



「お、オークの首長国」

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